呪詛

疎らな木立の中をユタは駆けていた。

逃げ切れぬと悟ったか男は足を止めて振り返る。

ユタの目に男の容姿が映る。


老齢に差し掛かった屈強な武士であった。

黒い頭巾付きの外套の下にはコブシ風の装束を纏っている。


「ひひっ、ひっひっひっ、吃驚した。僕達の里の襲撃にはコブシのマヤナ家が関わってるって事?」


「………」


老人は無言で曲剣を抜き払う。

緩やかな反りに白波打ち寄せる波打ち際のような美しい刃紋。


コブシ内乱にて名を挙げた東軍の武将、鬼聖ツネル・キッカであった。


ユタはその男を知っていた。

コブシと海路により貿易が行われるランジューにはコブシの情報がよく入る。


「……それは我がキッカ家には関係のない事。しかし、お主を斬ってしまえば無駄な言い訳も不要。…だが、お主はなんだ?お主らは何者なのだ?…その武力、余りに危険。コブシの国にいずれ害を為すやもしれん」


「僕は森渡りのユタ。お前達が襲った森渡りのね」


ツネル・キッカはコブシの内乱にて圧倒的不利を跳ね返し自軍を勝利に導いた英雄である。


その勇猛さに加え思慮深く学にも秀でていると伝わる。

だがユタには彼がどの様な人間であるかなどどうでも良い話だった。


「…森渡り…聞いた事がないな」


「折角、クチェを殺して心穏やかに過ごしてたのに。…お前達が僕の気に入ってた綺麗な里を滅茶苦茶にして!何も悪い事してない子供まで殺して!お前達は屑だ!」


ユタは親を殺された森渡りの幼子を己に重ねていた。

許す事はできない。


ユタはツネルと向き合った。

剣は外套に隠され見えない。


「…王剣流徳位、鈴剣流仁位、ツネル・キッカ」


「鈴剣仁位、ユタ」


ユタは己の階位を偽る。

鈴剣流の戦いは向き合い剣をぶつけ合うだけではない。


背後から経を感じた。

しかし振り返らない。


放たれた鎌鼬は風流陣によって掻き消される。

ヴィダードの経だ。今のユタにはそれが分かる。


ユタは身体を前後に振り始める。

鈴剣流振り子の構えだ。


対しツネルは深く腰を落とし腰だめに中段で構えた。王剣流薪割りの構えだ。


背後から風に乗って老若男女の悲鳴が聞こえる。

しかしユタは何も感じない。

因果応報、自業自得。


人を傷付ければ仕返されるのは摂理である。

山渡りは森渡りにとってやってはならぬことをした。


だから全てを失ったとしても彼等自身の責任だ。

ここにいる者達は私はやってないと騒ぐかもしれない。


だがそれは罷り通らない。なぜなら襲撃が成功していれば漏れなく彼等、彼女らも恩恵を受けていたはずだからだ。


成功すれば森渡りの生き血を啜る恩恵を受け、失敗すれば報復を声高に非難する。


そんな理不尽が罷り通るはずがない。


森渡りへの攻撃を彼等が止めようとしたのか。そうでは無いはずだ。人の意識は低きへと流れるのだ。


ツネルの身体が僅かに沈んだ。

ユタの振り子の構えにより重心が後ろから前に移動している最中だった。


ツネルが左脚を前に出す。ユタの前に出した左脚に重心が乗る。


ツネルが地を蹴りユタに迫る。

ユタは重心を下げている右脚に移す。


振りかぶるツネルに対して左脚を蹴り、背後へ滑る様に移動する。

ツネルの振るう曲剣の鋒がユタの額1寸先を斬る。


そのまま後退したユタは右脚で着地しそのまま蹴り出す。

ばさりと外套が除けられ腕が振るわれる。

ツネルは剣を立てて受ける。


剣と剣が打つかる衝撃と共に何かが彼の鼻骨を傷付けた。


ユタの湾曲剣炭流しだ。


鋒がツネルを傷付けていた。

暗闇の中それをツネルは視認する事が出来なかった。


接近を嫌い距離を置く。

ツネルはユタの手元を確認した。


しかし片手で剣の柄を握っている事は分かっても刃が確認出来ない。


ユタは左脚を大きく前に出し左手を突き出す。体は開き右手で炭流しを握り背後に突き出す。


世間では失伝した構えだ。千剣流・一本松の構え。

重心はやや前傾。鈴剣流の手技も繰り出しやすい構えであった。


ツネルは見知の無い構えに警戒する。

傷付けられた鼻梁からの流血は鼻を潰し口呼吸を余儀無くされていた。


戦いの喧騒を耳に相手の呼吸を推し量り、いつ動くべきか一挙手一投足を窺う刹那にも永劫にも思える時が流れた。


次に動いたのはツネルであった。

薪割りの構えから身を沈ませ大きく左の後脚を蹴り出す。


駆けはしない。右脚は地とすれすれに浮かされ動きは無い。

縮地だ。正段の構えは八相に変えられ振りかぶられる。


「いいよっ!」


ユタは強烈な三白眼を細め不気味に嗤う。


ツネルは必殺の一撃を繰り出した。

縮地による肉薄と同時に岩断ちを放っていた。


距離感を狂わせ回避の手を潰し受け身に回った相手を剣ごと斬り捨てる。


使う技は二つのみ。しかしその完成度の高さで多くのコブシ武将を討ち取って来た。


幾ら腕が立とうが小娘程度に破られる技では無い。


そう考えていた。


だがその実歴戦の武将ツネル・キッカの前に立つ今年で26となる女剣士は最高峰の千剣使いと毎日の様に剣を合わせ、日々史上最強と謳われる戦士の動きを目にしていた。


ユタにとって縮地などシンカの使う無手・蜂鳥渡りに比べれば稚戯に等しく、ツネルの岩断ちはカヤテの岩断ちと比べればその対処など容易いものであった。


真っ直ぐに振られるツネルの長曲剣に炭流しを合わせる。

ただの打ち合いとなれば炭流しが斬り絶たれるだろう。


だからこそ、ユタは振り下ろされる刃の腹に己の湾曲剣ショーテル炭流しを当てた。


それは曲芸以上の器用さと動体視力を要する技だった。

ツネルの必殺剣はユタにはねられ軌道を逸らした。


ユタは流れる様に左腕を動かす。

左手には逆手に透明な鉱石から作られた空丸が握られている。


無防備に晒されたツネルの半身に透明の刃が迫る。

対しツネルは剣の軌道を見切り潜ってかわす。

そして救い上げる様に逆袈裟に剣を振り上げる。

煌めく刃をユタは下がって避ける。


その時ツネルが爆ぜた。


ユタの左を駆け抜け様に一撃、振り返り一撃、左に跳びつつ一撃、更に右に抜け様に一撃、振り返らずに背後へ一撃。計5度の踊る様な鈴剣流・旋風斬りである。


そして最後に王剣流奥義・戦陣突破を振り向き様に放った。


ツネルは両手に長剣を握るユタの握力を鑑みて女では受けきれぬ力を剣に込めた。


ユタは一撃目の抜け様の胴薙ぎを炭流しで受け、向き直りながらの袈裟斬りを体を傾けて躱した。

左方へ跳びながらの一撃を逆手に持った空丸で受け切ると右に抜けながらの胴薙ぎを空丸で再び受けた。


強撃に手を痺れさせだらりと腕を垂らす。

更に抜けた後、背後を見ずの兜割りを体を開いて躱す。


そこに戦陣突破が放たれた。

炭流しで受けるが剣は弾き飛ばされて回転しながら宙を舞った。


どさりと乾いた地に剣が落ち。

ユタは戦陣突破の衝撃に蹈鞴を踏んだ。


三白眼を憎々しげに細めて直ぐに追撃を仕掛けるツネルを見遣る。

左の空丸を強く握る膂力も無く、防ぐために掲げた剣は震えていた。


ツネルは無防備なユタへと剣を振り下ろした。

千剣流奥義・岩断ち。

振り下ろされた長曲剣は空を切った。


「なに!?」


ツネルが言葉を発した時には既にユタは剣を振り切って背後で残心を取っていた。

その剣は血に塗れていた。

ツネルの血液だった。


「……ひっひっひっひっきききひっ」


不気味に嗤う。


「………今のは…霞不知火!?女!貴様、徳位か!?」


ユタは三日月の様に目を細めてにたりと嗤う。


ユタはツネルの攻撃に手を痛めてなどいなかった。

残心を止めると血を払う。

その動きを見てツネルは理解する。


「…王剣流も納めていたか!」


ユタはツネルの旋風斬りを腕を痛めた振りをしつつ捌いた技術は王剣流の中洲である。

ツネルは溢れでる血と腸を抑えて膝を着く。


「鈴剣流徳位、王剣流、千剣流礼位ユタ。…お前達が襲った森渡りのユタだよ。自分たちの所業を後悔して死んでね」


蹲るツネルにユタは近寄る。


「……糞。ラングめ。一体何に手を出したのだ…」


ツネルはラングと出会った7年前の事を思い出す。


コブシ南東のマルケリアにてきな臭い動きがある事を察知したツネルはその動向を探らせた。


巨大な傭兵団である護岸騎士団の勢力拡大とその背後で動く三度笠の男たち。


ツネルは彼等を調べて白雲山の山渡りへと辿り着いた。


白雲山の副頭目ウーヴェは理知的で穏やかな指導者であった。

だがそこで話を聞いたラングという頭目について、ツネルは危機感を覚えたのだった。


全てはコブシのマヤナ家、ツネルの主家の為。


何をしでかすかわからぬ集団を御せないかと考えた。


ツネルはラングの元を訪れ身分を明かし、彼等に助力する事を誓った。


コブシに害が無ければ良いと考えていた。


宗主が消えて動揺したラングはこれ程の戦力を持つ山渡りの里を簡単に滅ぼす集団を招き入れてしまった。


苦しげに声を絞り出したラングを見下ろし、ユタは空丸を振るう。


武人の首が苦悶の表情を浮かべながら転がった。




ユタの後を追ったヴィダードは小柄なモールイド人のユタへの攻撃を防いだ。


振り返りもしないユタに僅かな笑みを浮かべた。

その笑みは夜の中に青白く浮かび上がっていた。


対峙したモールイド人が素早く林の中を逃げていく。

ヴィダードはその背を追いながら弓を引き絞った。


直ぐに矢を放つ。走りながらでも正確に矢を射る技量がヴィダードにはある。


だが矢を射た直後、正面を走っていた男が転がる様にその場を跳び、矢を躱すと共に木の幹に隠れた。


ヴィダードは躱されると思っておらず、僅かに片眉を上げた。

身の熟しが素早い。

回り込んでも逃げられる可能性が高いと判断した。


その場で経を練り矢を引く。

体内で練られた不可視の経が右手からつがえられた矢に螺旋状に絡み付く。


狙いを木の幹に定める。木を傷付ける事は心苦しいが己の伴侶を傷付ける可能性のある敵は一刻も早く排除する必要がある。


そもそもヴィダードはシンカと暮らす第二の故郷を踏みにじられた事に激しい憎悪を滾らせていた。


所詮人間は強欲で薄汚い。森渡りが特別なのであって、それ以外は品性が下劣で肉ばかり食べてろくに水浴びもせず臭く穢らわしい者達だ。


滅びればいいとすら思う。


だが人間は数が多い。イーヴァルンの民だけで滅ぼす事は不可能だ。

だからヴィダードは里に篭り己の里を不届き者から守る事に執着した。


イーヴァルンの里にも時折人間の人攫いや獣臭い毛族共が訪れる。

彼等から里を守る事を己の終生の目的と定めていた。


思えば色の無い生だった。


シンカに導かれヴィダードの世界は彩られた。

これ程人に焦がれ、触れ合う事に喜びを見出せるとは思っていなかった。


共に歩く道は鮮やかで里に伝わる歌の恋歌の歌詞に色が付いた様に感じられた。


自分と伴侶の美しい景色をこの黄色い肌の猿共が踏み荒らし、破壊した。


人間など滅べば良い。女だろうが子供だろうが関係無い。

子供は軈て大きくなり再び害を成すだろう。女は子を産み悪意の種を産み落とす。


全てを業火で焼き尽くし芽も種も灰へと還す。


憎しみを込めた矢を放つ。

矢は幹を貫通し背後の者を射抜く。

しかし敵は木陰から飛び出してヴィダードに迫った。


直前で回避したのだ。

ヴィダードは激昂する。


今の矢は伴侶に削り出して貰った矢だ。

その矢で薄汚い人間を葬ってやろうと思っていたのだ。それが躱された。


迫る男。小柄な男だ。常人であれば二の矢を番える余裕は無い。


だが彼が相手にするのは大森林にて弓を用いて里を守ってきたイーヴァルンの民だ。

そのイーヴァルンの民において外敵を狩る事に心血を注いできたヴィダードに勝る戦士はいない。


その上ヴィダードは伴侶に更なる薫陶を受け戦力をより増していた。

後三歩の距離まで詰めて山渡りの小男は眼を見開き矢尻を己に向ける美しい女に気付いた。

男はヴィダードの指を見た。


指が開かれる気配を見取り地を転げた。

矢は乾いた大地に突き刺さり男は逃れた。

ヴィダードはすぐに次の矢を番える。男は立ち上がる。


矢を見切って体を沈めると前傾になりヴィダードへ駆ける。

ヴィダードが放った矢が黒髪を引きちぎって流れていく。


男は腰から短剣を抜く。

ヴィダードは弓を左手で握り矢を矢筒から抜き取った所だった。


挙動少なく男はヴィダードに向けて短剣を振り、首筋に届く直前で再び地に飛び込み転げた。


今まで男がいた空間を何か目に見えないものが通り抜け、大地に深い亀裂を穿った。


無所作で行われた風行法・峯鶏冠みねとさかだった。


「へっへ、油断も隙もねぇなお嬢ちゃん。怖えぇ怖えぇ」


男は下卑た笑いを浮かべた。


「お嬢ちゃん…?私、46よぉ?人間、お前は30後半でしょぉ?薄汚い小男風情が。その臭い口を閉じなさいな。腐った臓物の様な歯垢の臭いが漂うのよねぇ」


「………言ってくれるな。婆ぁかよ。まあ見てくれはいいからな。躾けて飼ってやる。締め付けが緩かったら馬の性処理をさせてやるぜ」


「ほほほ」


ヴィダードは口に手を当てて笑った。

しかしその目は見開かれた怪しげな光を放っている。


瞬間大気が動く。

無数の不可視の刃が男に向けて飛んだ。

風行法・群燕である。


男はヴィダードの経を感知していた。

ヴィダードは男が経の感知能力に秀でている事、動体視力に優れている事を既に把握していた。


小さく鋭い風の刃が風鳴りと共に大地を斬り付け土煙を立てる。


男は殺傷範囲から逃れ懐から黒刃ダークを立て続けに放った。


それは黒く表面をやすり艶を消していたが、ヴィダードは嗅覚でそれの接近を察知し手に持った矢で打ち払い躱せるものは躱した。


近寄ろうとする男に対し、次いで行法を行う。

男とヴィダードの間の空間が揺らぐ。

大量の小さな旋風が空間を埋め尽くす様に現れた。

風行法・鼠車である。


「すげぇ!こんなに沢山の鼠車は初めてだぜ!だが俺に行法と弓で挑むのは無謀だったな。当たらなければお前は勝てん」


「黙れ小男。お前程度の薄汚い人間が私に勝とうなどぉ、片腹痛いわぁ」


ヴィダードは目を見開く。

眠そうな垂れ目が目に見えて攻撃的に変ずる。

ヴィダードは再び経を右手から矢に流す。


「無駄だぁよ。俺は矢を見て躱してる訳じゃ無い。お前の動作を見て避けている。お前の攻撃など俺には当たらん」


「ほほほ。私が本気を出せば旦那様とて無傷でいられないのよぉ?」


ヴィダードの口元が裂ける様に割れる。

薄い唇から前歯が覗く。

何もかもを吸い込む様なヴィダードの目を見て男は一瞬怯んだ。


「婆ぁが。やってみろ。どこの誰か知らんが貴様の旦那の前で薄汚たねぇ俺の子種で孕ませてやる!」


「………」


ヴィダードは矢を番える弓を引き絞り男に焦点を合わせる。

矢に風が纏わり付く。風が唸る。


闇の中でヴィダードの空色の瞳が山渡りの里を燃やす炎に当てられ炯々と輝いた。


射撃の瞬間を隠そうとしても男の目は見逃さないだろう。

それはシンカも扱う技術だった。


皮下の筋肉の僅かな動きを見取り動作を予測し対応する。

男はシンカよりも技量が無い事は明らかだ。シンカなら矢を打ち払い肉薄して斬り伏せる。


ヴィダードはシンカに斬り伏せられる瞬間を夢想し身体を震わせる。

愛する男の手により与えられる焼ける様な痛みと死。


その瞬間自分は永遠となる。シンカの手には永遠と自分を斬った感触が残る。

シンカの永遠となるのだ。ヴィダードはその夢想に絶頂した。その影響で経が己の制御から外れ手元で爆発した。手が弾かれ矢が射出される。


男はその瞬間を見ていた。

矢を避けるために脚に力を込める。


「っあ?」


矢を避けるため地を蹴る。

身体を投げ出す。

しかしその時には既に胸には穴が開いていた。


「愚かな。この距離でお前程度に避けられる矢では無いのよぉ。矢張り人間は醜いわぁ。己の力量を見誤り、居丈高に、私を犯すぅ?不可能よぉ」


仮に敗れたとしても石になればよい。砕かれたとしても伴侶以外に手籠にされる事などあり得ないのだ。


「…は、はや…すぎ……」


「黙りなさいな。お前は声も汚い」


ヴィダードは両手を伸ばし鎌鼬を行う。

男はなす術なく首を撥ねられ、骸となった。


「…我慢できないわぁ…」


次の瞬間にはヴィダードは目の前に死体があるにもかかわらず男の事など忘れ去っていた。




立派な茅葺の屋敷の前に多くの戦士と山渡りの民が集っていた。


シンカは1番奥、屋敷の門の前に立つ中年を見る。

最も腕が立つだろう事は姿勢や重心の取り方で分かるが、しかしそれ以前に居丈高な周囲を睥睨する態度に一目瞭然であった。


両脇に巨漢の男とイリア、老人が立ち、彼等を守る様に山渡り達戦士が展開する。


彼等の様子を大勢の武器を持たぬ者達が遠巻きに取り囲む。


戦士は50、民の数は500程。


対しシンカはガンレイ、ソウハ、ジュナ、ヨウミン、テンカ、スイハとスイホを筆頭に45名、リンドウを筆頭にリン家の者が数名。


両者が見合う。


「…我等が里に苔豚共が踏み入るとは。不遜極まりない」


「は。黙れ真壁蝨まだに。その豚の血を吸う事でしか生きられんのだろう?目に見えぬ屑虫風情が何を語る」


山渡りの首領ラングと森渡りの副戦士長シンカの間で舌戦が始まった。


「直ちに里から失せろ。此処は我等の土地。貴様らが脚を踏み入れてはならぬ場所」


「無論直ぐに帰る。………汝等を皆殺しにした後でな」


「ふん、薄汚い貴様らの里の、薄汚い人間を多少殺した程度でせせこましい事よ」


ラングが此方を煽る意図がある事がわかったが、その目的まではシンカには分からない。

此方の怒りを際立たせて一体何が得られるのか。

或いは冷静さを失わせる事で達せられる目的があるのか。


「ゥクェアッ!クェアッ!」


シンカは高い声で奇声を上げる。


「それが貴様らの合図か。気色の悪い事よ」


ラングの言葉にかぶせる様に取り囲む兵や民達が声を荒げて同調する。


「苔豚共が!里から出て行け!」


「此処にお前らの入って良い場所などない!」


「失せろ鳥真似野郎共!」


シンカの背後で森渡り達が怒りに震えている様子が感じられた。


「その行為に意味など無い。ただ、我等の血が、心が。醜く悍しい魍魎共を駆逐し、滅ぼせと。身の内より囁き脈打つのだ……殺せえええええ!」


シンカは端からラングと論ずるつもりなど無かった。


見え透いた魂胆に乗ってやる。

結論は変わらない。


リンドウが弟妹3人を前に背後を囲もうとする鍬や鎌を持った者達に向けて手を振る。


俄かに周囲一帯が赤らむ。

火行法・法華落とし


上空に生み出された無数の火焔が落ちる。

轟音と共にそれは地に落ち、業火は山渡りを飲み込んだ。

彼等は燃え尽きる前に空気を失い倒れていく。


ガンレイ、スイハとスイホ、テンカはその他数名と共に正面の山渡りの戦士達に躍り掛かる。


ヨウミン、ソウハ、ジュナは30余名と共に周囲を取り囲む山渡りの民に突撃して稲穂を薙ぎ倒すように命を刈り取り始める。

ヨウミンの従える蜘蛛が何百もの山渡りに飛び掛かり、全身に群がって覆い尽くす。


一瞬にして当たりは阿鼻叫喚の退廃的な光景へと姿を変えた。


そんな中大柄の男が悠々と進み出てくる。


「お前がこの中で1番強い様だな。お前を縊り殺して苔豚共も皆殺しにしてくれるわ!」


その胴間声は阿鼻叫喚の中でも良く聞こえた。


「シンカぁぁぁああああ!殺せええええ!」


「隊長!其奴を血祭りにして!」


「兄さん!其奴らを許さないで!あの子達の仇を取って!」


戦いながら怨嗟の声を上げる森渡り達の声を無言で受け止めてシンカは歩む。


「シンカとやら。お前が負けたら里から退け!」


「断る。例え俺が負けても何も変わらない。我等の憎しみは3000年の後も変わりはしない。お前に命乞いをさせながら無惨に縊り殺す」


「はっ!やれるものならやってみろ!千剣王剣仁位、ホルト!」


「………死ね」


ホルトが携えていた大剣を担ぐ。

その大きさは銀剣ロクアの大剣に勝る。長さは6尺、幅1尺、厚みも1寸はある。


対しシンカは武器を抜かない。

言葉の通り無惨に殺す。


「貴方様ぁ!」


「シンカ!頑張って!僕応援するよ!」


「シンカ!抜かるなよ!」


「兄さん!」


「隊長!」


「シンカさん!」


追いついたヴィダードとユタ、戦う同胞達から声が投げかけられる。


憎い。奴等がどうしようもなく憎い。

これまで理性で捻じ伏せていた感情が理性の隙間から漏れ出し溶岩の様な熱さで胸中を支配する。


同時に皆の応援が荒れ果てた心を微風の様に撫でて角と熱を取りながらも別の熱さを伝える。


目頭が熱くなる。

山渡りの下らない虚栄心の為に死んで行った里の皆を思う。


里を守って散って行った戦士達。幼くも同胞を守り命を落とした子供達。


彼等を思うと山渡りを許せずにはおけなかった。


ホルトが担いだ剣を頭上にて振り被る。


「武器を抜かねぇ事!後悔させてやる!」


大きく左脚を踏み出しながら大質量の剣を高速で振り下ろす。

遠い間合いから瞬時に距離を詰め、振るわれた剣をシンカは1歩後退して躱した。

乾いた硬い大地を深く抉る。


「ホルト様!皆の仇を!」


「ホルト様!」


「苔豚共を駆逐して下さい!」


ホルトは山渡り達の声に応えて吠える。

地からすぐさま剣を抜き左脚を強く踏み締める。

来る。


剣は両手にて脇構え。

刹那、銀光がが迸る。


千剣流奥義・雷光石火。

向かって左から右に大剣が抜ける。


シンカは左足が踏み締められる直前に後退している。

攻撃範囲外だ。


ホルトは続けて踏み込み剣を逆袈裟に斬り落とす。

シンカを捉えたとにやりと笑った。

シンカの練られた経が両腕に集められる。

巡った残りの経は全身の筋、筋、骨を強化した。

風鳴りと共にシンカの右肩に振り下ろされる大剣をシンカは素手で受ける。


分厚い剣の腹を両手で白刃取った。


重量だけで人を断ち斬れる大剣を両の掌で挟む。

勢いは大きく殺す。しかしホルトは力を入れ直し、そのままシンカを押し切ろうと攻め立てる。

じりじりとシンカの額に刃が近付く。


「ははっ、他愛無いなぁ!このままゆっくりと二つに押し切ってやる!」


その体格にものを言わせてにたにたと笑いながら大剣を押し込む。


「ホルト様!あと少しです!」


「其奴を倒してご助勢下さい!」


森渡りの攻撃を受けながら山渡り達は口々にホルトへと声をかける。


シンカの頬が膨らむ。


「なっ!?」


ホルトは驚愕の表情を浮かべた。

本来行法は精神を落ち着かせ集中して行うもの。

鬩ぎ合う最中に行えるものではない。


一部のものは天性の才を持ってそれを行うが、ホルトは目の前の男にその能力があるとは考えていなかった。


しかしシンカが吹き出した頭部を目がける水蜘蛛針をホルトは首を傾けて躱した。

水圧が耳に傷を付けて流れ去る。

ホルトの力が緩んだ。


シンカは即座に大剣の柄に手を伸ばす。

2人で同じ剣の柄を握り合う事となった。


「貴様っ!」


「はっはっはっ!」


両者が互いに力を込めて敵を葬ろうと全身の筋繊維を膨張させる。


体格差は歴然。ホルトに分があるように見えた。

しかし全身から汗を吹き、その隆々たる肉体を膨らませ、血管を浮き出させどもホルトの剣はシンカの側には傾かなかった。


シンカは朗らかに笑いながら細身には見えても密度の高い筋肉を膨らませる。


使う筋肉もホルトの様に腕と脚を主軸にしたものではない。


背、胸、腹、尻まで尽く手足同様に力を込める。

それは明確な技術、知識の差であった。


その上シンカの濃く膨大な経が神経の伝達速度、血液から全身が空気を得られる効率までを向上させ、その上で筋肉の強度、発揮できる力までを底上げしていた。


頭二つ半は上背で勝り、肩幅も倍近いホルトに笑顔で抗う。


かたかたと震えていた剣が徐々にホルトに近づき始めた。


「っ!?」


「はっはっはっ、死ね、外道」


滝の様に汗を流しながらホルトは抗う。

懸命に力を込め、歯をむき出しにし顔を充血させる。


しかし抵抗虚しく剣は大柄なホルトの鼻先に迫る。


「ぐ、ぐ、ぐ、ぐぅぅ、う、おおおおおっ!」


徐々に近付く剣に争い切れずホルトは膝を着き剣から遠ざかる。


「威勢が良かったのに、もう俺に膝を着くか。無様だな」


「っ、ふざけっ!…ぐ…」


膝が着かれてシンカとホルトの目線が合う。

シンカは更に力を込める。


「ホルト様!?負けないでください!」


「そんなっ!?ホルト様が…」


追い立てられ葬られる山渡り達がホルトの劣勢に口々に言葉を発する。


「シンカさん!そのまま殺してください!」


「兄さん!負けないで!」


「シンカっ!かっこよく勝ったらちゅーしてあげるよっ」


「それは私の役目よぉ」


大剣の刃は無情にホルトの額に近付いた。


「……っ…く……待て……」


「はっはっはっはっはっ」


シンカは笑いながら更に剣を押し込む。

膝立ちだったホルトはシンカの膂力に負けて尻を着く。


「待て!待て!分かった!俺が、俺達が悪かった!」


「死ね」


到頭ホルトの額にゆっくりと己の剣の刃が届く。

頭皮が切れて出血が始まり額から顎に向けて血が流れ始める。


「待て!頼む!くっ!?……頼む!やめてくれ!」


「好きなだけ喚け。お前の絶望が心地良い」


「お願いします!助けて下さい!殺さないで下さい!」


大きな男が涙を流して赤子の様に喚きながら命乞いをし始めた。


シンカはせせら笑って更に力を込める。


「おおおああああああああああああああああああああああああっ!?」


剣から硬質な感触が伝わる。

頭蓋だ。


「くたばれ!」


シンカの全身の筋肉が更に膨張した。巨大な剣がホルトの頭蓋骨を押し斬り、脳漿と眼球を噴出させながら胸の半ばまで一気に断ち割った。


更に息を吸い込み股まで斬り裂き、巨体を2つに分けた。

血と臓物の吐き気を催す臭気が周囲に広がり、どうと乾いた大地に左右それぞれの肉体が倒れる。


あまりの臭気に歌を歌っていたヴィダードが嘔吐した。


凄惨さに思わず手を止めた山渡りが途端に森渡りに討ち取られて骸となる。

シンカは大剣を捨て去るとイリアを指差す。


「………」


青白い顔付きのイリアが歩を進める。


森渡り達は山渡りの戦士を追い詰め、集った民を駆逐していた。

彼等は抵抗しながらホルトを応援していたが、あまりの結末に言葉を発さなくなっていた。


その時遠方から火の手が上がった。


「なんだ?」


「なにが…?」


ラングとイリアは僅かな恐れと共に疑惑を顔に浮かべた。


「なにが起こってるか分からないの?馬鹿ね」


スイキョウが山渡りを1人殴り殺しながら嘲笑った。


「…まさか!?」


ラングが目を剥く。


「汝等の目論見は子供の浅知恵程度にすぎん。我等の怒りを罵詈雑言で煽り、戦力を集中させ別働隊に非戦闘員を連れて離脱させる。下らん。初めから汝等など皆殺しだ」


シンカは冷たく言葉を発する。


「させん!させんぞ!」


怒りを露わに剣を抜いたラングに向けて手の空いた森渡り達が一斉に弓を向け、行法を放つ為に経を練る。


「我等の怒り、苦しみを知れ。己が選択を後悔せよ」


「然り!奪われた友の仇!汝等程度の命で賄えると思うな!」


「父の仇!お前達など根絶やしにしてくれる!」


「お前の選択だ!全てを失い絶望しろ!」


口々に森渡り達は怨嗟の声を上げた。

あまりの怒りの熱量にラングは怖気付く。

最早彼に勝ち筋は無い。


「さあ、見せてみろ。お前達の無駄な足掻きを」


シンカはイリアに視線を戻す。

イリアは震える脚を強く殴り、槍を構える。


「シンカさん!そいつのせいでお父さんが死んだんです!苦しませて下さい!」


テンカが叫ぶ。

シンカはテンカの父、テンキの柔和な顔を思い出した。


「シンカぁぁぁ!ヨウキの仇を取れ!絶対に許すな!」


センテツが涙を流しながら叫ぶ。


「そうだ!嬲り殺せ!」


「ヨウキをよくも!」


クウロウとサンカイも続いて叫んだ。


唐突にイリアの体内で高まる。

感覚から風行法と判断した。

空気がひりつく。


シンカは即座に両手を突き出す。

その動きはイリアと全くの同時であった。

イリアの手元から全方位に紫雷が迸る。

風行法・棘鞠である。


対しシンカが行なったのは風行法・避雷珊瑚。


イリアはシンカ含め周囲全てを巻き込む行法を放っていた。

雷系統は防御が難しい。

シンカは念の為周囲全てを守るべく動いた。


イリアの棘鞠全てを避雷珊瑚で防ぎ翅を抜く。

森渡り達も危険を察知し距離を取り土行法にて壁を展開した。


イリア既に捨て鉢だ。何を仕掛けてくるかまるで読めなかった。


「お前にはわかるのですか?親しい者を皆殺された私の気持ちが」


「無論だ。汝等が俺に教えてくれた事だ。汝等のそれは自業自得。汝等が我等に手を出さなければよかった話し」


「…せめて……せめて家族だけでも!」


イリアが瞬時に身体を落とす。

前傾で真っ直ぐ素早く駆けた。

シンカの両手が握り合わされる。


口腔が膨らむ。イリアを狙い吹き出された水蜘蛛針を彼女は踊るように巧みな足捌きで躱しながらシンカに近寄る。


「お前さえ居なければ!」


鋭い突きがシンカを襲う。

春槍流奥義落雷。


胸の中心を狙うそれを触れずに避ける。

穂先に絡み付く経はガジュマの時と同じ。

突きと共に穂先より一角が放たれる。


シンカも同じく一角にて受け止める。

自分がいなければどうなっていたか。

シンカは考える。


ナウラは石像となり朽ちるまでそのままだっただろう。

リンドウは犯されて殺されていただろう。


カヤテやユタ、ヴィダード、リンファ。

彼女達もどうなっていたかわからない。


家族が弟妹達が死んだかも知れない。


居てよかった。生きていてよかった。家族を守れた。

そしてこれからも家族とまだ見ぬ子孫を守る為に、この手を血で染めなければならない。


イリアが己の短槍を地に叩きつける。穂先に黒い紐状の物体が付着しのたうつ。


土行法・砂五条である。


集めた5本の砂条を振るう。

シンカは地に手を着いて躱す。

再び鞭の如く振るわれる5本の砂条を躱しシンカは両手を握る。


白糸が吐き出されイリアに迫る。

イリアは転がって躱すとシンカに肉薄した。


シンカは白糸を吐き出す口の形状を変化させ、行法を水噴に変化させてイリアを吹き飛ばす。


イリアは宙で体勢を整えてシンカの風流陣を行なってシンカの追撃を防ぐ。


着地すると短槍を地に叩き付ける。

砂五条が更に長くなった。


砂五条の主成分は土中の砂鉄だ。

イリアがその場で槍を振るう。


「私はっ!」


森渡り達は己が行法で防ぎ、シンカも黒い鞭を屈んで躱す。

直ぐにシンカは肉薄する。


外套がはためき赤茶けた目の細かい土が巻き上げられる。

翅を振るう。ヨウキの翅だ。


イリアは翅が切断に特化している事を知っている。

受けるのではなく合わせて横合から叩き落とす。


直ぐに槍を回転させ石突きで頭を狙われる。

躱す事は容易い。


しかし石突きを交わしたところで直ぐに穂先で薙ぎ払われるだろう。

シンカは無手の左手で薙がれる石突きを受け止めた。


じりじりと衝撃に掌が痛む。


イリアの経が高まる。

遅れずシンカも軽を練る。

短槍を介して両者の感雷がぶつかり合う。


経を込めながらも右手の翅を振るった。

イリアは体捌きで躱す。身体に傷は無かったが躱した動きで槍が両断された。


手元に残された槍の穂先をイリアは投擲した。


春槍流奥義・落雷がシンカに迫る。

シンカは僅かに身体を落とし左足を踏み出しながら翅を横に薙ぐ。

千剣流奥義・雷光石火であった。


槍の穂先が縦に断ち割られて明後日の方向へ飛んで行く。


「来るぞ!」


シンカは叫ぶ。

イリアの体内で急速に高まる経を感知していた。

シンカは両手を突き出す。

風行法・雷幕が行われる。


シンカとイリアの間に張られた雷の膜が直後にイリアから発された行法を防ぐ。


全方位に行われたその行法を森渡り達は土行法で防いだ。


瞬間、イリアの流れるような黒髪が棚引く。

東の方角にイリアが駆け出した。


追う間も無く森渡りの土行法を足場にイリアが跳ねるように移動して姿を消した。


追うことも出来た。

しかし今はそれに感ける訳にはいかなかった。

倒さなければならない者が佇立していた。


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