花こそ散らめ根さえ枯れめや

アケルエントの王都ペルポリス、その王城二階の謁見の間に主要人物達が集められていた。

玉座から国王であるウィシュターが跪く数人を睥睨していた。


「ダーラ。本当に良いのだな?」


ウィシュターは脇に控える自身の長子、王女ダーラに重々しく声をかけた。


「覚悟は出来ております。」


「他国へ王女が密入国するなど有ってはならんことだ。お前はこの国を一歩でも出れば王女としての身分は捨てねばならん。お前の身柄を何処ぞの国が確保すれば我が国は苦しい立場となる。身を証明する証を持つ事も許さぬ。下らぬ賊に囚われたとても救う事は出来ん。」


「構いません。元よりその覚悟です。我が国に欅様のお告げがなされ、世界の危機を告げられた事。決して偶然では無いはずでございます。王族として結末を見届ける義務、勇者の手助けを行う義務が有りましょう。」


ダーラは硬い表情で頭を垂れながら答えた。

その目には強い光が宿っている。


「タナシス、ミキス。それに傭兵達よ。ダーラと勇者を支え、見事欅様の予言を達成せよ。」


「は!」


三十代中盤の眼光の鋭い男が力強く答え、傭兵達はより深く頭を下げた。


「大陸中央はきな臭い。ベルガナ女王はヴィティア全土を掌握した。クサビナは王家への忠誠が揺らぎ貴族が水面下で派閥闘争を繰り広げているという。勇者エッカルトよ。其の方、誠にイブル川河口に眠るという龍を退治できるか?」


見るものが見ればウィシュターがエッカルトにまるで期待していない事は理解できただろう。

だがエッカルトという優男は自信の程を全身から匂わせて発言した。


欅様けやきさまが選ばれた私の力をお信じ下さい!必ずや龍を退治してご覧に入れます。」


ダーラが小さく鼻を鳴らす。

エッカルトを鍛えているのはダーラだ。

その腕前は未だダーラに及ばない。


薬師や傭兵の力を借りて魍魎と戦う術を身につけつつあれど、万を凌ぐという龍を前にすれば象の足元の小虫に等しい筈であった。


しかし欅の精が告げた通りの事態が起こるなら、事が起きれば何者も止め得ぬ災厄が起き、軈ては自国をも災禍が飲み込む筈なのだ。

他国を充てに出来なくとも座して待つ訳にはいかなかった。


「・・それで・・・」


エッカルトが口籠る。

ウィシュターは侮蔑の感情を僅かに瞳に浮かべ口を開いた。


「無事龍を討つ事が出来れば勿論褒美を取らせる。・・しかしカリオピは駄目だ。カリオピは我が国の宝だ。カリオピは余の物では無い。欅様の巫女である。だが、我が娘であればお前に授けよう。」


エッカルトは嗜虐の表情を僅かに浮かべた。

自分を稽古と称して打ち据える美貌の女を組み敷き我が物とする妄想を何度と無しに行なっていたのだ。


カリオピが心配そうにダーラを見遣る。

しかしダーラはカリオピの視線を正面から受け止め微笑した。

それを見たカリオピは沈痛な面持ちを作った。


「他国は当てに出来ん。全てはお前達の手にかかっている。行け!」


一同は国王に再度頭を下げて踵を返した。

大々的に送り出される事はない。

主要な者達しか彼等の任は知らされていない。

不特定多数に知られる訳には行かないのだった。


ダーラは考える。

このままでは自分達は無駄死にするだろう。

他国の内戦に関与する事は出来ない。


出来るとすれば如何にしても龍を倒すか道中調べ上げる事である。


ダーラの脳裏に癖毛の混血の男が浮かぶ。

それを無理やり忘れ、ダーラは歩む。


それは破滅への一歩であった。

ダーラは父王と討論を重ねた。

出来る手立ては既に無い。

父王も既にダーラの命を諦めていた。死ぬと分かって送り出した。

今生の別れと2人きりで酒も酌み交わしたのだ。


ウィシュターは言った。お前を誇りに思う。と。

その言葉を胸に人知れずダーラは拳を握り締めた。


もう後戻りは出来ないのだ。




クサビナ王都ケツァル、その王城の国王の自室に何時もの4人は集っていた。


此の所体調を崩し床に伏しがちの国王リベルタスの元に王位継承者のロドルファスと将軍グリシュナク、宰相フランクラは集まり幾度も議論を重ねていた。


かつて絶大な権力を誇ったクサビナ王家は今や軽んじられ、謁見に訪れる者は時勢を読めぬ小者か良からぬ企みを持つものばかりだ。


リベルタスやロドルファスが真に信用できると考えるのはグリシュナクの生家エリンドゥイル家とフランクラ率いる影の者達だけであった。


この凋落は一年前より始まった。

1人の貴族の子女を拘束した所から始まったのだ。

そう考えてリベルタスは首を振る。


そうではない。

全ては和平調印式から。3年半前の和平調印式から始まっていたのだろう。


自国の誰がどこまで関わったのか。最早興味すら無い。

ファブニル家が憎きグレンデルを追い落とす為に企てたか、ロボクかラクサスがクサビナの国力を削ぐために企てたのか、或いは王子達の後継者争いだったのか。


最早起こり終えた物に思考を割くべきではないと吐気を堪えながらリベルタスは思い直した。


兎に角、事は起きた。

グレンデルはクサビナに国難を波及させた。


陰謀に陥れられたグレンデルを見捨て力を削ぎ2公の権威を均一化し、国内を安定させようとするフランクラの企みをリベルタスは放置した。


本来であればロボクに敗れたグレンデルは領土を減じさせる筈だったのだ。

だが、彼等は勝利した。してしまった。


マニトゥーでの陰謀により灰の中より生まれた火種がこれで勢いを増した。


本来、フランクラはグレンデルの失った領土を赤鋼軍に奪還させ、中央との明確な力関係を作るつもりだったのだろう。


その目論見は失敗した。


そこで変わりにロボクへ反攻し、第1王子にロボクを落とさせる事で王権の強化を図った。

目論見は上手くいった。

多少の計算違いはあったが悪い結果ではなかった。


しかし、第1王子エメリックが暴挙に出てしまった。

リベルタスには未だにエメリックが何を以って貴族の1子女を謀ったのか理解が出来ない。

名高い名付きとはいえたかが1人の女だ。党首でも次期党首でもない。歯牙にかける必要など無い筈だ。


だからこそエメリックが誂えたカヤテ・グレンデルの罪が全てとは言わずもある程度事実が含まれていると判断したのだ。


結果的にそれは全てが虚偽であったがそれでもまだ良かった。

カヤテが次期党首が慕う人間であり、彼女の罪が濡れ衣だったとしてもまだ引き返せる余地はあった。


彼女が何者かに奪還されさえしなければ。


リベルタスはあの時の恐怖を思い出す。

あれは悪霊だ。

悪霊という存在があるのなら、あれこそがまさにそれだ。

全てを跳ね除け、血の足跡を残す黒い人影。

リベルタスは未だにあの時の夢を見る。

あれがクサビナの王権を失墜させたのだ。


大きな山の様に聳えていたクサビナ王家がただの人間である事を知らしめてしまったのだ。

こうして王家は諸侯の信、忠を失った。

リベルタスはその後病を患い体の痛みと戦い続けている。

治る兆しはない。


そして王家の力関係の変化を見て取ったグレンデルが到頭消極的な報復に移った。

リベルタス達は一手誤った。

信頼回復の手立てとしてグレンデルに派兵を要請した。

それを彼等は断った。


文ではそれらしい事を書いてはいたが恨み骨髄である事は端々から読み取れた。

まさか建国以来の忠臣であるグレンデルが王家の派兵要請を断るとは考えていなかった。それ程彼等一族にとってカヤテという女は重要だったというのだろうか。


カヤテとミトリアーレは姉妹同然に育ったという。恨みに思うことは理解できる。

それでも王家と諍いを起こしてまで恨みに思い続けるほどの事かと考える。

未だに理解ができないリベルタスであった。


グレンデルの派兵拒絶は王権の失墜に拍車をかけた。

特にロボクマニトゥー戦線で割りを食った北部諸侯はケツァルに寄り付かなくなり、清廉な統治を行う貴族の幾らかも同じ傾向にあった。


そしてファブニル公がグレンデルに謀反の兆し有り、討つべしとの文を度々送りつける様になった。

ファブニルは他貴族を教唆したのか他にも同調する者達が現れている。


対しグレンデルは北部諸侯及び気質の似た貴族達に書を認め無実を訴えると共にファブニル公の危険性を説き、北部は軍備を固め始めていた。


またそれ以外の貴族、特にファブニル領近辺に領土を持つ貴族も軍備を固め、姻戚関係の貴族や交友の深い貴族を巻き込み始めている。


それ以外にもグレンデルの子女を無実の罪で処したとして王家に不信感を抱く貴族も現れ明日は我が身と自領に引きこもる事態となっていた。


正にクサビナ国内は一触即発と言えた。


狐男が現れた所為でカヤテを偽りの罪で処したという噂が立ち、また賊1人捉えられぬ政府、魍魎に襲われる精霊に見放された王という話がケツァルどころかクサビナ中で囁かれている。

それが現状であった。


「私の、所為でしょうな。」


枯れ木の様に老いたフランクラが嗄れた声で呟いた。


「爺。爺は私利私欲ではなく国を思っていた。そうだろう?」


ロドルファスがフランクラの肩に手を置き慰める。

フランクラは喉を詰まらせ強く目を閉じた。

実際の火種がフランクラにあったのか、それは定かでは無い。


フランクラはグレンデルの力を削ぐべきと考えてロボクの宰相と連絡を取っていた事、エメリックの指示でカヤテ・グレンデルに虚偽の罪を着せた事を白状した。


平時であれば裁いていた。だが今フランクラを処すればこの事態を更に加速させるだろう。


リベルタスには疑問があった。数年前までフランクラはリベルタスと同じ様に国の均衡を保つ事に注力していた。


権力欲、上昇志向の強いファブニルより質実剛健、清廉潔白なグレンデルは常にファブニルより優遇される傾向にあった。

それは千年変わらぬ体制でもあった。


とは言え時勢に鋭敏であるファブニルは国を金銭面で富ませてきた。決して冷遇もしていない。

フランクラもファブニルを粗略に扱ったことなどなかった。


国は安定していた筈なのだ。

何故フランクラは急にグレンデルの力を危険視したのか。

それが解せなかった。


「どうするべきか・・・」


呟きに3人が顔を向けた。


「陛下。最早道は一つしか御座いませぬ。」


「私もそう思います。父上。」


フランクラとロドルファスが答える。


「・・その道を選ばぬ方法は無いか?」


「グレンデルは表向きファブニルを危険視しておりますが、彼等はその向こうに赤鋼軍を見据えているでしょう。王家が必ず自分達を打ちに来ると確信しているのです。」


「国内の平和を乱すとしてファブニルを裁いたとしてもグレンデルは王家を敵視し続ける。ロボクが攻めて来た時に増援を送らなかったのが痛かったね。」


リベルタスは溜息をついた。


「グレンデルを討つ。国内を二分する戦となるだろう。ロドルファス。任せたぞ。グリシュナク、息子を、頼む。」


決を下し、リベルタスはどっと疲れが湧いて出るのを感じ寝台に身を深く沈めた。


「父上。お任せ下さい。」


「・・・。」


こうして賽は投げられた。

欅の精の予言の通り、終わりが始まった。




国王の寝室から現れたフランクラ・ベックナートにするりと黒い人影が近寄った。

ヴァルプルガーだ。


「・・・」


国王もそうであるが、狐男騒動からフランクラは目に見えて衰えた。

以前は老獪で捉えどころのない老人であったが、今や打ちのめされ弱々しかった。


ヴァルプルガーはそんなフランクラを支え続けていた。


「・・森渡りという者達。未だ所在の確認は。」


「そうか。今となっては其奴らを見つけた所でどうにもならんがの。」


「戦が始まる・・と。」


ヴァルプルガーは先の会話を盗み聞いていた。


「直ぐに始まるわけではない。グレンデルと王家、ファブニルで諸侯と言う名の駒の取り合いを始める事となる。ただ勝つだけではいかん。なるべくファブニルを損耗させ、我等の余力を残さねば。」


廊下を会話しながら進み、軈てフランクラの執務室にまで辿り着いた。

部屋に入るとフランクラは侍女を下がらせ椅子にかけた。


「何処まで。」


「今回は後ろ暗い事は無しじゃ。人質を取り無理やり従わせれば唯でさえグレンデルの騒動で落ちた王家の心象が更に悪化しかねん。」


とはいえ最早心ある者が王家に着く事はないだろう。

グリシュナクのバラドゥア家が唯一の良心となる可能性が高い。


「何故、この様な・・。」


フランクラは左手を額に当てて顳顬を揉みこんだ。


「数年前の様に悪夢と頭痛は。」


フランクラは5年ほど前に悪夢と頭痛に苦しんでいた。

最近はとんとその様な話は聞かなくなったが、当時はヴァルプルガーも原因を探るべく部下に病に関する調査をさせた。


「いや、胸が痛む事はあるが。」


あの頃のフランクラは寝不足のせいか過激な発言をする事が多かった。

グレンデルを危険視し始めたのもこの頃だ。


「ファブニルが他国と手を結ぶことだけは阻止しなければ。」


「幾ら強欲のファブニルといえどそれはあるまい。戦後彼奴らが他国に支払えるものなど土地や金品しかあり得ぬ。強欲故にそれはないが、密約など無しにラクサスが侵攻して来る可能性はあるかのぉ。」


他国の力を借りグレンデルを下し、また王権を握るフレスヴェル家に取って変わろうとも協賛した国に与える報酬を考えれば暴挙に等しい。

その程度の頭はファブニルにもある。


「数日前、ラクサスのガジュマで騒動が有ったと。国軍と三度笠に蓑という風体の薬師がガジュマ在住の薬師を捉えていた・・と。」


それは先程得られた報告だった。

ラクサスのクサビナに対する妄執は度し難い。

全ての挙動がクサビナを打倒する為の動きであると考えても過言では無い。


「三度笠か。ケツァルでも稀に見かけるのぉ。森渡りとやらはクサビナ王家を憎むのだったな?それならばケツァルでは見かけるまい。危険な一族がラクサスに着いたと言うわけではあるまいて。」


窓の外で雲が切れ、夕日がフランクラの居室に差し込んだ。

橙色の強い夕日がフランクラの顔に刻まれた深い皺を浮き彫りにさせる。


ヴァルプルガーはクサビナの為に腐心しその人生を捧げた彼の苦労を刻み込んだ皺を見て涙がこみ上げて来るのを必死に無表情で殺していた。

彼は妻子に影響されるのを恐れて結婚すらしなかった。

しかし寂しさからかヴァルプルガーを拾ったのだろう。


「・・・父上。必ず俺が、この苦難からクサビナが立ち直れる様に。」


フランクラは疲れた表情で笑った。


「儂が間違ったのだ。今となっては何故あの時、あれ程までにグレンデルを危険視したのか・・・確かに強大な権力や武力を持ち国内に並ぶ者はないが・・。あれらがクサビナに反旗を翻すなどと何故考えたのか・・・」


弱音だった。

失敗を悔いても過去に戻る事はできない。


「戦はいつから・・」


「今年はまずあり得んじゃろう。北部諸将と属国化したロボク勢はグレンデルにまず間違いなく着くだろうな。ルーザースとアガスタはオスラクと争っている。増援は期待できん。ロボクの抑えとしてマニトゥーを動かせれば良いが、先の遠征で我等が消耗させた事を考えれば無理だろうの。」


「ガルクルトの抑えとしてバラドゥア家及び東方諸侯は動かせない。南方はエリンドゥイルと同様様子見。」


「東方、南方諸侯に取って北西のグレンデルと争う事に益は見いだせんじゃろう。バラドゥア家が半数でも兵を出してくれれば万々歳という所。紫財務官であったパーシヴァルがそうで有った様にエリンドゥイル家は不正や陰謀を嫌う。王家に直接兵を差し向ける事は無いであろうが、ファブニル相手では分からんな。」


「グレンデルに文は?」


「ロドルファス様と相談の上グレンデルに牽制はせねばな。・・・今日は少し、休む。」


溜息を吐き目を閉じたフランクラに黙礼をするとヴァルプルガーは部屋から出た。

血濡れた後綺麗に掃除された廊下を歩み、自身の執務室へと向かった。


「・・・クロミル、シラモ。」


呟く様に名を呼ぶと2人の男女が物陰から音も無く現れ傅いた。


「戦争が始まる。構図はクサビナ対グレンデルだが内実は王家、グレンデル、ファブニルの三つ巴。各地に影を忍ばせ動向を探れ。」


「は。」


「確と。」


2人は短く返答し立ち上がる。


「クロミル。グレンデーラへ。部下を北部諸侯の元に派遣。動向を。」


「は。」


アガド人の男クロミルは再度返答し部屋の窓を乗り越えて壁を伝って姿を消す。


「シラモ。ファブニーラへ。近隣の中央諸侯を此方へ寝返らせる。」


「承りました。」


シラモは鋭い表情を一瞬で清楚な侍女のものに変えて扉から静々と出て行く。


「・・・サンゴ。」


最後に名を呼んだ部下はするりと天井から降り立った。

立ち上がった女はヴァルプルガーに親しげな笑みを浮かべた。


「ヴァル。結局一年調べてもカヤテからの文らしき物は届かなかったわ。」


「何も無しか。森渡りとグレンデル一族には矢張り関わりはない。カヤテ個人の伝手という事か。」


サンゴという女はヴァルプルガーの執務椅子に遠慮無く腰掛け頭巾を取る。

豊かな赤毛が夕日に晒されて輝いた。

サンゴはファブニル一族の容姿をしていた。


「定期的に一族に外部から届く手紙はないか。」


「そんなの沢山あるわ。流石に他貴族の蜜蝋が施されたものは確認できないけれど、私的な文は確認しているわ。商人組合に潜り込んで郵便を確認しているけど。」


「聞いていたと思うが戦争になる。お前はグレンデーラでは目立つ。ガルクルトに向かい影と共に一年かけてリュギルに鉾を向けさせろ。」


ヴァルプルガーの指示を聞きサンゴは小さく鼻で息を吐いた。


「帰って来たばかりなの。貴方のその情熱、お父様だけじゃなく少しは私にも負けてくれないの?」


ヴァルプルガーは暫し口籠る。


「・・だから、グレンデーラからの配置換えなのだが。」


「分かっているわよ。」


サンゴは立ち上がりヴァルプルガーの頬に手を当て、柔らかく撫でた。

ヴァルプルガーはサンゴの唇に口付けをする。


「ねえ。慌ただしくなるから少しくらい2人でいましょう?」


サンゴの言葉を聞きヴァルプルガーは彼女を抱きしめた。

サンゴは微笑みながら彼の背中に手を回して受け入れた。




グレンデーラ城内を駆ける者があった。

漆黒の肩口までの髪に萌葱色の瞳。

銀の鎧に青の飾り布が施された鎧を着込んだ女だ。

城内の一族達は青鈴軍の連隊長、シャーニ・グレンが駆けるのを見て到頭戦が始まると舌舐めずりをした。


当主の執務室迄駆け、扉を叩き中へ転がり込んだ。


「何事か。シャーニ。」


青鈴軍の将マトウダが重苦しい声音でシャーニを問いただした。


「シャーニ。今、王家が抗議の文を送って来た所です。暫く問答を続け時間を稼ぎますが、来年か、再来年には王家と鉾を交える事となるでしょう。此れよりも大切な事ですか?」


ミトリアーレが静かにシャーニを諭す。


「その様な事どうでも良いです!これを・・これを!」


戦争をどうでも良いとぬかしたシャーニを数人が目を見開いて凝視した。


シャーニは文を翳した。文は握っていた為か皺が寄っている。


「なんだ?」


文を受け取ったコンドールが封筒を確認する。

送り元は書かれていない。

コンドールは封筒から便箋を取り出し畳まれたそれを広げた。


「な、何と!?」


コンドールは目を剥いて便箋に書かれた文字を読み返した。


「お父様?何事ですか?」


ミトリアーレは微かに震えながら両手で握られた便箋を覗き込んだ。


「ああ!聖霊様!御山様おやまさま!」


文字を読んだミトリアーレはその場で尻餅をついて啜り泣き始めた。

執務室に集っていた一族の者達は何事かとコンドールを見つめた。


「カネラ。」


コンドールは便箋を弟のカネラに手渡した。

カネラ・グレンデルは無骨な男だった。

人生を兄を支える事に捧げ、若い頃から兵を率いての魍魎退治や領内の商隊護衛等に尽力して来た。


言葉数は少なく、妻を亡くした際も人前では一切悲しみを見せなかった。

娘を失った時も同じであった。

表情一つ変え無かった。


そのカネラが目頭を押さえて嗚咽を噛み殺し始めたのだった。

一門の者は呆気に取られ、無言のまま暫し様子を見守っていた。

軈てカネラを見守っていたコンドールが口を開く。


「その文は、カヤテからのものであった。」


一同が騒めいた。


「生きているのか?!」


「一体どうして?」


「処されたのでは無かったのか?」


口々に問いかけ合う一族の主要な者達に向けコンドールは説明する。


「ケツァルに囚われていたカヤテは交友のあった薬師に助けられたという事だ。グレンデーラには戻る事が出来ないのでその者と旅をしている・・と。後、結婚するらしい。」


「んっ?」


「えっ?」


疑問の声が漏れ出た。


シャーニも一瞬コンドールの言葉を理解出来なかった。


ナウラから送られてきた手紙の封を切るとその封筒が現れたのだ。

何かと思ってナウラの文を読むとカヤテの手紙だと書かれている。

文はラクサスのガジュマより春下月に発送されている事が商人組合の消印で分かった。

直ぐに文を持って自宅から飛び出した次第で中身については知る由もなかったのだ。


「多分あの薬師ねぇ。」


ダフネが呟いた。


「カヤテ様・・良かった・・。」


ウルクは目頭を押さえ、安堵の息を吐いていた。


「直ぐに文を送れば王家の間諜に勘繰られる可能性があるので知らせる事が出来なかったと。連絡が遅れて申し訳ない・・ふむ。・・む?」


コンドールが首を傾げる。


「王城から脱獄した時期は去年の春中月らしいが・・ケツァルで騒動が有ったのはこの時期だった筈だな?」


「そうだな。」


コンドールの問いにマトウダが答える。


「我等は王都が魍魎に襲われたという認識を持っていたが、魍魎が襲撃したどさくさに紛れての脱獄だとしても都合が良すぎるな?」


「ケツァルに魍魎が押し寄せた事など歴史上存在せんな。」


またしてもコンドールにマトウダが答えた。


「運良く処刑直前にそれが起こったと考えるのは愚かな事だろうな。・・何者だ?その薬師。ダフネ、知っているのか?」


コンドールがダフネに視線を向けた。


「薬師のシンカは何処からかお嬢が見つけて来た男でねぇ、春槍流の徳位を持つ男なのよねぇ。ロボク遠征の時に連れてきてロボク首脳と闘った時も一緒だったわぁ。」


「御当主様。カヤテ様は先のロボク侵攻から運良く守りきる事が出来た原因の百鬼行はシンカの成した所業であると言われておりました。」


サルバが答えるとまたしても騒めきが生じた。

魍魎を自在に操る事が出来るのだとすれば、それは恐ろしい力だ。

恐怖すら覚える。


だがシャーニは自分の記憶の中にある癖毛の薬師を思い出し小さく首を振った。


あれは暢気に暮らす事に心血を注ぐただの酒好きだ。

自身の身に災厄が降り掛からない限り力を振るう事はない穏やかな気質の人間だ。


シンカはカヤテを好いていた。

だからこそ持てる限りの力を注ぎ超大国クサビナの王都からカヤテを助け出したのだろう。


「魍魎の力を使ったとはいえケツァル王城に侵入し生きて帰るとは・・何と天晴れな男だ!」


マトウダが顎を撫でながら感心した様子を見せた。

他の者達も同調する。

問題はそうではない。シャーニは密かに呆れた。

魍魎を操れる事が問題なのだ。


自分の一族の首脳陣が脳まで筋肉で出来ているとでも言うべき発言を繰り返している事にシャーニは絶望した。


「しかし、それでは王家と反目する意味も無いのではないか?」


「確かに。カヤテは生きているのだからな。」


「そう言う問題ではない。王家は我等一族の者に無実の罪を着せたのだ!我等の積年の忠節に対しその様な不義理を働く王家に仕える価値はない!」


「そうだ!マニトゥーでの出来事からこちら、王家は我等を目の敵にして来た!滅びる直前まで一度は事態が悪化したのだぞ!」


数人が議論を交わす。


「方針は変わらぬ。カヤテが処されていなくとも王家は我等を謀った。このまま王家に忠節を誓ったとて何れ我等は滅ぼされる時が来るだろう。ならば、牙を抜かれて力を削がれ、闘えなくなる前に抗うべきだろう。」


コンドールは椅子に座りなおし重々しく述べた。


「腕が鳴るわねぇ。到頭黄迫軍と赤鋼軍と戦えるなんてねぇ、御先祖様に悔しがられるんじゃなぁい?」


「然り!相手にとって不足は無い!」


シャーニは最早隠す事なく頭を抱えた

ダフネの背後で同じ格好を取ったオスカルと目があった。


「・・・そんな事、どうでも良い!」


先程まで男泣きしていたカネラが急に声を上げた。

一同皆何事かとカネラに視線を向けた。


「結婚だと?!何処の男が私に断りもなく娘を」


娘をの後は言葉になっておらずただ意味不明の言葉の羅列を続けた。


「・・・カネラ叔父上。私達はカヤテが無罪と分かっていて尚、一族の安寧と土地、民を守る為にカヤテを犠牲としました。此の期に及んでカヤテを連れ戻せばケツァルを襲ったのが我等だと勘繰られましょう。・・それに、我等はカヤテを捨てたのです。危険を顧みずに彼女を助け出した者に感謝こそすれど、引き離す様な事はするべきではないでしょう。」


座り込んでいたミトリアーレがよろよろと立ち上がるとそう述べた。


「お嬢は元々あの男の事慕っていたからねえ。」


ダフネが思い出す様に独り言ちた。

そもそもだが、カヤテは美しいが余りに腕が立つため一族内で彼女を女として見る男は少なかった。


男達が酒を飲めば女の話題は良く出るものだが、話題の中でカヤテは不人気である。グレンデルの男達はミトリアーレの様に線が細くか弱い女を好む。


「お父様。お話しした事が有ったと思います。マニトゥーから鉄鬼の団に追われて追い詰められた時、旅の薬師に助けられたと。その者です。」


ミトリアーレの言葉にコンドールは納得した様で頷く。


「覚えている。軍に引き入れたいと言っていたな。其の者か。我等はカヤテに辛い役目を押し付けた。あれはもう一族の者ではない。何処ぞで女として在り来たりの幸福を得れば良い。」


「私の、たった1人のむすめがっ!?」


その時カネラが手に持っていた紙がひらりと溢れ、シャーニの足元に落ちた。


拾い上げる。バリクリンデの夕暮れと書かれていた。


裏返して見ると夕暮れを眺める男が描かれている。

男は此方を振り返り柔らかく笑っている。

その絵は高名な絵師とは比べるべくも無い絵ではあったが、暖かいものが伝わってきた。


男が親愛の感情を向けている事がよく分かったし、書き手が景色を気に入った事、男を信頼し好いている事が伝わってきた。


もう一度裏返すとミトへ、と書かれていた。

シャーニはその絵をミトリアーレへ手渡した。


嘗ての主の気持ちを慮る。

濡れ衣で努力して勝ち得てきたものを全て失い、自身の価値を天秤にかけられて切り捨てられ、絶望の果てで好いた男に命を救われて添い遂げる覚悟を決めたのだろう。

幸せに過ごして欲しいと切に願った。




森の中の高台からガジュマの王城が見える。荘厳な針山の様に聳える尖塔のいくつかからは黒い煙が濛々と立ち上がっており、それが風に流されて薄い色の空に帯状に伸びていた。


陽が傾き始め、風が強まりシンカの髪を煽って行った。

死した仲間を弔う荼毘の煙に見えた。


「・・・」


ザリ、と小石同士が擦れる足音が聞こえた。

振り返らなくとも誰かは分かる。


「災難だったな。」


背後に立つリンファに声を掛けた。


「・・そうね。」


返答は至極投げやりだった。

山渡りの事を話しに来たわけではない様だ。

それはシンカにも分かってはいた事だった。


「久しぶりね。」


「うん。11年ぶりか?」


「そうね。私達が18の夏だった?」


無言で頷いた。忘れはしないだろう。

ナウラやヴィダード、カヤテ、ユタという伴侶を得た今でもあの時の傷痕は心の何処かに残っていた。

地下牢でリンファの姿を見てシンカはその事実に気付いた。


涙を流すナウラと接吻を砂漠の街で交わすまで、はっきりとその傷はじくじくと膿んでシンカを苛んでいた。


「セキムとは上手く行っているのか?」


「・・・」


リンファは足元を見つめて唇を噛んだ。

艶やかな茶の髪が風に揺れ、彼女の顔に幾房か掛かった。


思い出す。

まだ若かった夏の日。

シンカとリンファは里の外れ、細いせせらぎの辺りでひっそりと話をした。

恋仲となって4年目の夏だった。


五月蝿い虫の鳴き声に囲まれ、木漏れ日の中川の飛沫を時折肌に感じながらリンファの顳顬を垂れる汗の筋を眺めていた。

麻の白い衣を纏ったリンファの胸元が汗ばんでいたのを覚えている。


あの時のシンカはほんの数年以内にリンファと夫婦となる事を疑ってはいなかった。

若いなりに自分の女を愛していた。思い返しても間違った事をした記憶は無かった。


だからこそやり直すことができるとは考えなかった。


リンファはシンカの代わりにセキムを恋人としたいと告げた。

シンカにとって、それはまさに寝耳に水だった。

別れを告げる彼女の薄い桃色の唇が刻々と形を変えるのを見つめていた。


そんなシンカの固まった表情を見てリンファは微かに笑っていたのだ。


セキムはシンカと同い年の男で見目麗しく女に人気があった。

涼しげで流麗な相貌を好むと言うのならそれを覆す事は難しい。自分には無いものだ。


嫌われる様な事をしたかと問われれば思い当たる節もない。


「まさか翌日には里から消えるとは思わなかったわね。」


「今だからこそ言えるが、惨めな気分だった。里から一刻も早く去りたかった。」


「・・・。でも、驚いたわ。あんたはお父さんにもお母さんにも。親友のヨウキにも理由を言わなかったのね。・・本当に。・・・憎らしいほど男らしいわよね。」


「言ってもどうにもなるまい。言い訳にはなるが、俺はお前に精一杯心を砕いていたつもりだった。愛していた。俺の何が駄目だったのか結局わからず終いだったが、見苦しくは有りたくなかった。里にいれば嫌でも毎日顔を合わせる。俺には耐えられなかった。」


「だから里に帰らなかったの?」


「初めはな。空いた穴を塞ごうと大陸を放浪した。数年経つと里が俺の中で薄れて行った。だが案ずるな。今や俺も大切な伴侶を得る事が出来た。」


「・・・・・。・・・。」


リンファはじっとガジュマの王城を見つめている。

並んで夕焼けに照らされる城をシンカも眺めた。

陽が傾くにつれて風が強くなる。


「お前はどうだ。何故里を出た?結婚はしていない様だが。」


「・・いい男が居なくて。結局セキムは好みじゃなかったし。里を出て見聞を広めようかなってね。」


足の重心を変えて腕を組んだ。

リンファが嘘をつく時の仕草だった。だが何をどう誤魔化し嘘をついたのか、そこまでは分からない。

それに関係も無い。


「うん。何処かにはお前の眼鏡に叶う男は居るだろう。」


「・・・。あんた、里には戻らないの?」


「今年の冬は戻ろうと思って居る。彼奴らを父さんと母さんに紹介する。その後はアギ達を連れて里を出る。」


アギはシンカが心を通わせた魍魎の内の一体だ。


「アギ達、寂しがって居るわよ。」


「偶に近くに寄った時には呼び出して居た。」


「・・・そこまで帰りたくなかった?」


「・・・」


無言は肯定だった。リンファにもそれは伝わり暫し口を閉じた。

視界の先で王城の尖塔が1つ崩れた。

遠く離れたこの場所まで腹の底に響く様な崩落の音が届いた。

リンファは目を瞑っていた。


「・・・後悔先に立たず・・ね。」


「うん?何がだ。」


「こっちの話よ。若い時の自分を殴り飛ばしたいって話。」


「他所でやれ。」


「・・・あの時。どうしてあたしに何も尋ねなかったの?」


あの時とは最後の事だろうか。

尋ねるとは何を尋ねるのか。

シンカには分からない。


「よく分からないな。俺は何を尋ねれば良かった?」


「何って・・。あんた、本当にあたしの事好きだったの?あっさりいなくなったじゃない。」


「さっきも言った。俺はあの時までお前を愛していたよ。だがそれはお前には必要の無いものだった。俺の独り相撲だったのだ。であればお前が愛想を尽かして別の者を好いても仕方がない。己の惨めさもある。だがお前が別の方向を向いて前に進もうと言うのなら、家族としてそれを妨げてはならないとも確かに思っていた。」


「ひ、必要は、あったわよ。」


「そうか?・・この話は辞めよう。過去の事だ。」


「・・・・・」


確かにシンカは人の体の微細な変化を事細かに察知し機微を把握することができる。

だが人の心の中まで見通せるわけではない。

あの時自分はどうすればよかったと言うのだろうか?


リンファはシンカに何を求めていたのだろうか?

リンファは確かに笑っていたのだ。

つまり、あれは他人に強いられた言葉ではなかったという事だ。

シンカが傷付くのを楽しんでいたのだ。

其れだけはまぎれもない事実だと考えていた。


だが其れらも合わせて全て過去のことだ。

今では掛け替えのない者を手に入れ、深く繋がって共に歩んでいる。

11年前の夏の体験も必要不可欠な出来事だったのだ。

人はそうして強くなる。


傷付き折れてもまた上へ向けて伸びゆく樹々と同じだ。

例え花が枯れたとしても根は残る。


全てが血潮となり人は強くなる。

必要のない出来事などこの世には何一つとして有りはしないのだ。


それがシンカの得た教訓であった。



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