戦上手の女王

南の大国メルセテとヴィティアの南に位置するベルガナの国境に存在する天海山脈の中腹に、その里はあった。


山渡りの隠れ里の1つであった。


隠れ里は天海山脈の東側、ベルガナに近い位置にあったが、里の特色はメルセテの村に酷似している。


急峻な山路を2人の人間が辿っていた。


三度笠を被った男が2人。その背後には右後ろ脚の無い巨体の狼が付き従う。


男の1人は右足と左腕が失われていた。急峻な山路をもう1人の男の手を借りて登り切り、とうとう里へと辿り着いた。


里に辿り着いた2人の男は出迎えた里の人々との触れ合いもそこそこに、里の再奥に立つ一際大きな家屋に踏み入った。


その家屋の中には5人の男が何かの話を行なっていた。


手前に4人の老人。奥の一段高い座に30代の精悍な顔付きの男が座っている。


全員黄色の肌に漆黒の髪、掘りの浅い顔。モールイド人だ。くっきりとした二重、やや角張った顔の輪郭。メルセテ系である。


「カルス。しくじったのか。」


2人の男が下手に例の後座ると老人の1人が口を開いた。

カルスと呼ばれた腕と脚を欠いた男は深く、無言で頭を垂れた。


「ヴィティアの行動は1番始めの任務だ。満を持して白土全員、お前とルダン、ドルク、デリス、ローグを当てた。この里で10本の指に入る猛者だ。ノラン、ガイ、ラグ、ビランも優秀な戦士だ。これは痛手だぞ。」


2人目の老人が険しい顔つきで告げる。


「白雲山脈の里に負担が掛かるか。しかし何故・・」


3人目の老人が額に手を当てて俯く。


「・・・カルス。全てを話せ。」


奥の男が重々しい声音で告げた。

カルスは1度深く頭を下げると口を開いた。


「我々は9人でスライの街に入り森渡りを捕獲するべく罠を張りました。御指示の通り、金で雇ったドルク人に偽りの遺跡に関する報告をスライの王宮関係者の耳に届け、森渡りが情報に食い付くのを待ちました。スライに入ってから42日後、20代後半の若い森渡りが食いつきました。女3人を連れたシメーリア人とアガド人の混血の男です。女はイーヴァルンの民、エンディラの民と生粋のシメーリア人でした。」


「変わった組み合わせだな。」


「はい。長峰山脈西端の火山、傘岳に古のドルク人は信仰心を抱いていた事実もある為、スライと傘岳の間にエメロンを街に残して待ち伏せし、奴らが現れるのを待ちました。」


「待ち伏せを勘付かれたか?」


「いいえ。有利な地の利で成功し投降を呼びかけました。4人を6人で囲み、私とルダン、私の従罔2体は後詰として控えていました。交渉は頭のおかしいシメーリア人の女鈴剣使いが即座に奇声を上げて剣を抜いた為決裂。侮っていたつもりはありませんでしたが、全員が凄腕で直ぐにルダンが援護に入り、私も金剛狼を一体応援に出しましたが・・・」


「4人でお前達を圧倒したというのか?!」


「はい。特に男はガイとドルクと行法で競合いながらエンディラの女を援護するという芸当をこなし、指示まで。剰え金剛狼の一体を生身で止め、素手で殺しました。」


「・・・森渡り、恐るべし。その知識を得んと狙ったが、知識故に敗れたか。」


「敗れはしましたが、ルダンが毒矢をイーヴァルンの民に打ち込み、私の光矢も男に当てたので仕留めることは出来たでしょう。それが唯一の救いです。」


「此れから各地に一族を送り込み行動を開始する。だが思った以上に森渡りは力を有している様だ。配置を練り直し厚くしておくのだ。」


そこで今後の方針を定める議論は終わった。


「恐れながら、ラング様。私は今度如何すれば・・」


「後進の育成を任せる。詳細は身体を癒しながら待て。エメロン。カルスを送ってやれ。3日後にベルガナの王都、ダルトに向かって貰う。支度をしておくのだ。」


「あ、ありがとうございます!」


「承りました。」


2人男が去り、4人の老人とラングという身分の高い男が暫く無言で身じろぎもせず顔を突き合わせていた。


「・・・カルスめ。下らん釈明をしていたが、嘘臭い話だ。」


「イリアの報告ではカルスは金剛狼を1体しか連れておらず、その1体も後脚を1つ失っていたという。」


「彼奴自身ももう闘える身体ではない。他の者も帰る気配は無い。抜かったとしても結果に嘘は無いだろう。」


「・・・若。如何しますかのう?」


口を閉じ続けていた老人が漸く声を発した。


「先の言葉に変わりはない。・・しかし、森渡りの力がそれ程となれば俺でも危ういかも知れぬな。」


「まさか!若に叶うものなどおりますまい!そこらの名付き程度鎧袖一触でしょうに!」


「会ったことも無い相手を侮るな。カルスの事も我等が森渡りの力量を甘く見た事が敗因だ。」


「・・流石ですのぅ。我等は若様に最期まで付き従いますぞ。」


「うむ。そうだな。」


ラングは席を立ちその家屋を出た。


山間に広がる集落を見渡し顎を撫でながら物思いに耽った。

黒い総髪が天海山脈を渡る風に棚引いた。

動乱が始まろうとしていた。




蒸し暑い朝で、開け放たれた窓から夏草が吐き出す独特の香りが入り込み、シンカを懐かしい気分にさせた。


隣でまだ寝ているヴィダードの瑞々しい肌を撫でる。


肌荒れひとつない白磁の肌が掌に吸い付く。

まだ覚醒しきらない意識のまま薄い乳房に手を当てて軽く感触を楽しんでいた。


窓枠に鶫が止まり、3度高鳴きして飛び立っていった。


「ヴィー!起きろ!ヴィー!急いで街を出る支度をしろ!」


シンカは起き上がると即座に衣類を身に纏い、隣室のナウラとその隣のユタを扉を叩いて起こし、自身の荷造りを始める。


自分の支度を終えるとヴィダード、ユタの順に手伝い装備を固めて直ぐ様宿を出た。


街を東に向けて進む。


初夏のスライは既にじっとりとした湿度に覆われ、空気が肌に張り付く様な不快感を醸し出していた。


「何があったのですか?」


ナウラが尋ねる。心なしか不機嫌そうに見える。


「嫌な予感がする。」


「予感?シンカにしては曖昧ですね。昨夜いかがわしい事をし過ぎておかしくなりましたか?」


不機嫌な理由が分かった瞬間だった。


「こういう感には従った方がいい。それに、感じるか?空気が張り詰めている。」


「僕、分かるよ。」


ユタが微笑む。穏やかな表情をしている限りユタの三白眼は目立たない。

シメーリア人特有の茶色の瞳だが個人の特性でその色は薄い。


高く鋭い鼻筋と目と近い眉はどうしても攻撃的に映るが、実際は穏やかな性格をしている。剣を握らなければ。


だが今のユタはひり付く空気を感じ興奮に背を泡立たせている。


「・・・言われてみれば確かに・・・ですがこれは?」


「わからん。兎に角街を出る。慌てず、だが急げ。不自然にならぬ程度にな。」


黙々と人気のまだ少ない路を4人で辿った。

やがて東の門が見えて来た。

守衛がいつもより多い。通常4人で行う門番が8人に増え、門も閉ざされている。


「止まれ!」


衛士の1人が槍を片手に立ち塞がった。


「開門はまだか?」


「スライの通行は現在制限されている!」


通行制限。街から出る事ができない。理由を考える。


答えは1つ。変事だ。


「理由を教えてくれ。例え何があろうとも薬師の行動を妨げる事は出来ないはずだ。ヴィティア王制は自国に薬師を縛り付けんと武器を以って脅迫し路を塞ぐというのか?」


「まて!まて!」


「一時的にという事であれば理由如何で納得するが、明示できないのであれば薬師組合に報告し、ケツァル本部に上告する。各国は今までヴィティアに滞在していた薬師が流れてくる事を喜ぶだろう。」


「だから!まて!俺では説明出来ない!上を呼ぶ!」


1人が慌てて北の王城に向けて走り出した。

シンカ達は荷を置きこそこそと話し始めた。


「どういう事でしょう?」


「摘発の類か、戦争のどちらかだろう。」


「摘発であれば薬師を足止めするのも正当性がありますが、戦争であれば我々は不当に足留めをされている事になります。」


「どちらにせよ只事ではないな。ま、どうとでもなる。此処は素直にいう事に従い情報収集に専念する。」


やがて走っていった衛士が複数の兵士と見るからに身なりの良い大柄な男を連れて戻って来た。

集団はシンカ達の前にやって来て武器を突き付けた。


この頃には街を出る予定であった商隊や、街の外に所用のある人々も閉じた門の前に集っており、口々に疑問を投げかけていた。


「控えよ!此方のお方は王都防衛軍の将軍位であらせられるイスタール伯爵である!」


集っていた人民が跪き頭を垂れた。

シンカも遅れる事なく傚った。


「皆の者に告げる!昨夜、南の国境をベルガナ軍が審判し国境のワイリーを焼き尽くした!ベルガナ軍は尚も北上を続け!何は王都スライに迫るだろう!我々は軍を纏めこれを中央のマルン城塞に集結させ敵の防衛に当たる!詳細は追って沙汰を下すが、徴兵を行う!心する様に!」


ざわめきが大きくなる。

伯爵は堂々とした態度である。


「商人に薬師よ!今は街から出る事は出来ん!此方も追って沙汰を下す!簡易宿泊施設を王制で用意する!其処で沙汰を待て!では此処より解散せよ!勝手な脱出は密偵と見做す!注意せよ!」


一方的に伯爵は告げその場を後にした。


商人達は紛糾していたが武器を持った兵達に近寄られおとなしく引き下がっていった。


国が簡易宿泊施設を設けるという事は宿泊費が浮くという事だ。


短期的に見れば損をする事はないと踏んだのだろう。


シンカ達は無言でその場を後にした。


向かうのは後にしたばかりの宿だ。

宿を再度取り直すとシンカの部屋に3人を集めて状況の整理を始めた。


「戦争が始まるのですか・・」


「ベルガナは元々あまり外征に意欲的な国家では無い。その理由は西に大国メルセテがあるからだ。彼の国は常にメルセテの脅威に怯えて来た国家だ。隙を見せれば直ぐに食らいついてくる。だがあの国は現在内乱中で血みどろの三つ巴の戦線を繰り広げている。その隙に国力を増しておこうと考えるのは理にかなっている。しかし・・」


「何か気にかかる事でもありますか?」


「うん。伝聞だがベルガナも初冬辺りから継承問題に端を為した内乱が起きていて、王都ダルト近辺は激しい戦火に包まれていると聞いていたのだ。それにいくら隣国のメルセテが三つ巴の内乱中とはいえ、ヴィティアとの戦線が長引けばただでは済むまい。東のエンリケも国力が乏しいとは言え健在。」


「力関係はよく分かりませんが、ベルガナ軍に余裕がない事は分かりました。ならばそれを押して余りある戦略があるという事なのでしょうか?」


「わからん。だがまるで情報をつかませる事なく国境を落とした事からも時間がない事は理解していると思われる。」


「ねえ、それよりこの街から出られるの?僕戦争に参加したい。」


尋ねたユタをナウラが見詰めた。

驚きと嫌悪の表情だった。ナウラは戦争を嫌悪しているからだ。


「ユタ。お前は俺の弟子だったな?」


「・・うん。そうだけど。」


「俺の弟子であり、森渡りとしての掟を守る以上お前も森渡りだ。森渡りは政治や戦争に意図的に介入はしない。それに、お前は戦争を甘く見ている。輝かしい栄光の下地には無数の、夥しい無残で無意味な死と、人道に悖る悍ましい行為が蔓延している。お前が呑気にその様な事を言っている今、この時に。ヴィティアの国境付近の村や町で闘えない女子供や老人が塵芥の様に命を失っている。お前はそんな行為を助長しようというのか?」


「・・僕・・・」


「果し合いを好む事は構わない。武名を求めるのも。だが人として戦争を好み求める様な弟子を育てるつもりはない。どうしてもと言うなら破門する。」


「・・・・」


「貴方様、ヴィーは戦争に興味ありません。」


「お前は大抵の事柄に興味がないだろうが。」


褒めて欲しいという様子を隠しもせずヴィダードがシンカに縋り付いた。


「話しを戻します。先程の貴族、不可解でした。伯爵本人があの様な場所に顔を出す事自体腑に落ちませんし、言っていた内容も胡散臭いと言いますか、要領を得ない話しだと感じました。」


「その感覚は大切にした方がいい。俺の考えになるが、伯爵が出て来たのは民衆に対し表向きには貴族が誠意を見せている、という姿勢を示唆させたのだろう。同時に徴兵という情報を本告知の前に吹き込んでおく意図があったと見ている。」


「成る程。商人や薬師を留めようとしているのは戦争に活用しようという企みでしょうか?薬師は医療要員として。商人達は戦争資金や物資を提供させようという事でしょうか?全世界から非難されますよ。」


「ナウラの説で概ね正しいだろう。負ければ非難される事すら出来ないと言ったところか。宿泊施設に泊まれば戦争に巻き込まれるだろうな。」


シンカは3人の顔を見回した。

ナウラは無表情で頷く。ヴィダードは至近距離からシンカの顔を見つめており目が合うと瞳を潤ませた。

ユタは暗い顔つきだった。


「街から抜け出る事は俺たちには容易い。一度薬師組合に顔を出した方がいいだろう。その後宿泊施設に向かい様子を伺う。」


宿を出て街の繁華街に向かう。

スライに滞在している間薬を下ろしている組合だ。


10坪程の受付には既に多くの薬師が集っていた。

15人程度だ。

中は鮨詰め状態で入るだけで進む事すら出来ない。


「ですから、此方も街の門が閉ざされている以上ケツァル本部と連絡を取ることができない!」


組合員が叫ぶ。


「手紙を渡して貰えれば届けることができるぞ。」


返したのは髭面のシメーリア人だった。その顔には見覚えがある。


「どうやって届ける?街から抜け出るのか!?」


「いや。俺は鷹を飼っている。ケツァル近郊の仲間まで運ばせよう。」


「そんな事ができるのか!?組合長に話す!待っていてくれ!」


組合員は慌てて背後の戸を開けて建物の奥に下がっていった。


「・・・鷹?もしや、従罔でしょうか?」


「ああ。あの男はヨウロ。」


「旧知の方ですか?」


「うん。」


「シンカ以外で初めてです。」


「他にも何人かいるな。」


こそこそと話していると先の組合員が戻って来る。


「ヨウロさん、後で長が貴方に話があると。・・しかし、皆さん、文を出せてもケツァル本部が出来るのは組合のスライ撤退を傘に来た外交が精々で、応じない可能性は非常に高い!街から出る事は叶わない!」


余り騒ぎ立てる薬師はいない。薬師は森に潜らなければ生計を立て難い仕事だ。流石に落ち着いたものが多い。


「今はヴィティア王政の指示に従うしかない!湖近くの兵舎が一棟我々の為に明け渡されている。此方に移れとの指示だ!」


組合も殆ど情報を入手できていない様だ。

人が引くのに合わせてシンカたちも組合から出た。


「おっ、お前!!シンカじゃねーか!」


30代半ばのシメーリア人の男がシンカの顔を見て声を上げた。


「ソウハか。9年ぶりか?」


「てめえ!俺は毎年里に帰ってるんだよ!お前の母親が毎年怒り狂って里帰りした仲間締め上げてるぞ!俺も毎年やられてんだ!」


「何故だ。」


「お前の居場所を探してんだよ!」


胸元を掴む手を払う。


ソウハの隣に立つ20半ばのシメーリア人の女に目を向けた。


「ジュナか。お前達結婚したのか。」


「5年も前だ。お前、母親達がお前を結婚させる為に躍起になってるぞ。」


「久しぶりねーシンカ。元気?」


「うん。そこの4人は?知らん顔だ。」


会話するシンカ達を少し離れた位置から様子を伺っているもの達がいた。


「おお。まず此奴。」


背の高いドルソ人の青年をソウハは引っ張った。


「ヨウロの弟子のロランだ。」


「どうも。ロランです。よろしくお願いします。」


穏やかで落ち着いた物腰の若い男だ。


「シンラとリンシアの息子、シンカだ。師はリンレイ。」


ソウハは次にがっしりした体格のシメーリア人青年を引っ張る。


「此奴はツルク。」


「うん。ツルハの息子か?」


「そうだ。」


「ツルクだよ。宜しくね。」


ツルクという青年は熱っぽい視線でシンカを見つめていた。

ジュナが続いて20前後のアガド人を前に押し出して来た。

「センリの娘のセンヒよ。」

「・・・・・」

美しい女だったが嫌な目つきをしていた。

穏やかな悪意の様なものを感じる。


「ねえシンカ。最後の子、本当に分からない?」


「うん。・・・あれ。」


最後も女だ。シメーリア人。多分ナウラより若い。

「・・・よくも私の事知らないなんて言えたね!この鬼畜野郎!」


「リンメイか。大きくなったな。幾つだ。」


「煩い!15よっ!」


リンメイは母と養父の父、シンカの祖父の弟の孫で再従兄妹に当たる。


「その歳で里を出るのを許されたか。優秀だな。」


「最初はあんなに心配してたのにねー。恋人でも出来た?」


「何だと!お前にはまだ早いぞ!リンメイ!」


「煩い!お姉ちゃんの事どうするのさっ!」


組合の前で揉めていると扉が開き、髭面の男が出て来た。


「お前ら何を騒いでる。そんな・・シンカっ!?」


やはり里の者には驚かれる様だ。


「お前が死ぬ事は無いと思ってはいたが・・ヴィティアなんぞにいたとはな・・・」


「所でお前、そろそろ後ろの3人の紹介をしろよ。」


ソウハが笠の下から様子を伺う3人のを指し示した。


「・・弟子を取った。」


「は?勝手にか?」


「規則などないはずだが。」


「いや、待て。確かにそうだがお前程優秀な一族はいないから毎年の冬籠りでは親達がお前の行方を求めて外から帰った者を締め上げてたんだぞ!?」


「俺は2年前にテンイに絞め落とされたぞ。」


子供への教育に熱心な人妻に首を絞められたというヨウロ。


「戻って来いと言われた記憶はない。」


「それはお前が見つからないからだろうが!」


ソウハは興奮の余り顔を赤らめ血管を浮き出させている。

どうやらシンカが里に帰らない事で相当な目に遭っていた様だった。


「大体シンカ手前、スライにはどれくらいいる?」


「3月か。内1月は笠山にいたが。」


「俺は半年だが、何で合わなかった?」


「ソウハが未熟だからだろうな。」


「巫山戯んな!手前態と見つからない様に振る舞ってただろ!」


喚くソウハの唾を避けるとナウラの背を押し出した。


「そんな事より。・・・ナウラ。エンディラの民出身だ。此奴は優秀な弟子だ。」


ナウラが傘を取って頭を下げた。

後頭部に纏め上げた白髪が日に煌めく。

相変わらず微動だにしない表情ではあったが口元の僅かな綻びで褒められて気分を良くしている事が分かる。


「ナウラです。シンカにはお世話になっています。何れ里に伺い改めてご挨拶させて頂きます。」


「え、エンディラ・・行ったのか!?」


「いや、去年狩幡で拾った。伴侶にする予定だ。」


「おいおい、乳が・・」


リンメイがヨウロの鳩尾を殴って口を塞いだ。

外套の上からナウラの容積を推し量るのは流石に森渡りだけある。


恐らく身長を元に熱量と接地面の軋みで推し量ったのだろう。

以前服を仕立てる為に胸囲を測った事があるが、3尺もの威容を誇っていた。


「2人目はヴィダード。イーヴァルンの民。戦闘は優秀だが学は致命的だ。感覚で生きている。伴侶にする予定だ。」


「・・・・・・・・」


ヴィダードは特に興味が無いのかシンカの背後に佇み外套の裾を弄っていた。


「2人目!?」


「ねえ、この子・・大丈夫?なんだか目が怖いけど・・」


「これは揉めるな。シンカ。今年は里に帰れよ。長老方にきちんと説明しろ。自分でな。」


「今年も里には帰らん。」


「ふ、巫山戯るなよ・・お前を見つけたのに連れ帰らなかったとなれば、俺は・・」


「ねえシンカ。イーヴァルンの民とエンディラの民は仲が良く無いと聞くけど実際どうなの?」


「良く無いな。エンディラには特に隔意は無いようだが、イーヴァルンは排他的だからな。」


最後にユタの背を押し出す。


「3人目の弟子、ユタだ。ランジュー出身。戦闘中毒。」


「ユタだよ。宜しくね。弟子になったのは実は最近なんだ。」


「それにしては体幹にぶれがないわね。うーん、鈴剣流?経はまだ出力が足りて無いわね。」


まじまじと見つめるジュナ。今まで会話を興味無さそうに聞いていたセンヒがちらとユタを垣間見る。

その視線を感じたユタがにこやかに見つめ返す。

ジュナとセンヒはユタと実力が伯仲している見立てだ。


「此処では人目がある。積もる話もあるだろう。どこか食事処を貸し切って話しをしよう」


ヨウロの進言で一行は場所を移動することにした。


繁華街から少し外れた場所にある食事処をヨウロが金を積んで貸し切り、食事を頼んだ。


「おい、酒頼んだの誰だよ!?」


当然のようにシンカとナウラ、ユタが杯を受け取って握った。


「またお前か!シンカ!」


「ソウハ。落ち着きなよ。それで、どうするの?」


総勢11人が3つの卓に別れて戦争についての議論を開始した。


「ベルガナが進軍しワイリー城塞を落としたという事だが、事前に何か兆しを感じていた者はいるか?」


ヨウロが手始めに口を開いた。


「俺達は半年前はベルガナのダルトにいたが、物価の変動やきな臭い動きは無かったぜ。」


ソウハが答える。


「僕は10日ほど前に所用でワイリーに行きましたが・・特に何もありませんでした。あ、僕も蒸留米酒貰えますか?」


ツルクがこちらに目配せしながら酒を頼んだ。


「シンカは何も無いのか?」


「ならばお代わりを頼む。」


「ちげーよ!そういう事じゃねーよっ!」


隣に座っていたヴィダードが店員を捕まえて酒を頼んだ。


「一昨日、組合を通して全国の支店に文を送った。文の送り先は各支店のある街に住む同胞宛だ。まだ一通も届いていないだろうが。俺達は一月半程前に笠山の4合目で山渡りと戦闘になった。撃退し、尋問したところ森渡りを捕獲し何かに利用しようと企んでいた様だ。山渡りはモールイド人、それもメルセテ出身者の特徴が目立つ事から隠れ里はメルセテに有ると考えていたが、どうやら天海山脈と白雲山脈にあり、天海山脈の里はベルガナ側の中腹に存在するらしい。・・どうも臭く無いか?」


シンカは話し終えると酒を飲み干した。

静々と昼食に湖貝の汁物を食べていたセンヒが顔を上げた。攻撃的な視線だ。


「貴方はこの戦争が山渡りの仕業だと考えているのですか?我らとて一国に関与する力は無いというのに山渡り風情にそれが出来ると?」


「出来るか出来ないかは森か山かに左右されるところでは無いだろう。だがそれを差し置いても山渡りがベルガナに関与して戦争を引き起こしているとは考え難い。」


センヒの問いを否定した。


「私もその意見には賛成よ。山渡りが森渡りの身柄を戦争に利用したかったとすれば、その時期は既に逸しているわね。戦争の支度は一朝一夕でできるものじゃないもの。」


ジュナがシンカに同調する。


「山渡りにこれから気を付けるようにしよう。勿論これ以降普通の薬師と行動を同じくする機会も増えるだろう。山渡りが紛れ込んでいる可能性も捨てるなよ。」


ヨウロが全体に向け注意を促した。同意見なので述べる事はない。


「ただ、山渡りの動きとベルガナの挙兵が全く関係無いとは思えないわよね。」


ジュナは曖昧な表現をしているが、シンカは関係があると考えていた。

隣のユタは話など全く聞かず食べ物を掻き込んでいる。朝食を食べていない為機嫌もあまり良くは無かったので人心地は付いているだろう。


「俺は取り敢えずヴィティア王政に従い、危険があれば離脱したいと思ってるが、皆はどう思う?」


ヨウロが全員を見回して尋ねる。


「私はそれでも良いけど一般の薬師はどうするのよ?いざとなったら見捨てる?」


ジュナが野菜炒めの卵巻きを食べながら話す。喉が渇いたのか蒸留米酒の果実漬けを頼んで一口飲んだ。


「おい、お前まで・・。一般の薬師は可能な限り面倒を俺は見てやりたいと思う。」


人情家のソウハらしい意見である。


「仮に戦闘に参加させられるのなら足手纏いの相手は出来ません。」


センヒの言葉は冷たく重たい。

森渡りに一般の薬師を助ける義務など無い。

だがこの中には親しくしていた者もいるだろうろう。


特にソウハとジュナの夫婦は昔から現地の薬師と触れ合って情報を交換する事を好む。


「どちらの言うことも一理ある。現状様子見をするしか無いだろう。」


そう締めるとヨウロも酒を頼んだ。


「おい、ヨウロさんまで!戦争が始まってるんだぞ!」


「細かい事は気にするな。今は考えても仕方ないだろ?」


ヨウロとソウハが騒いでいる横で若手も次々に酒を頼み始めた。

リンメイだけは果実水である。


「所でシンカ。最近面白い事はあった?」


ジュナが声を掛けてくる。


「僕も興味があります。シンカさんは森渡り始まって以来の俊英と言われていますから、他の同族とは異なる経験を積んでいそうですね。」


「シンカ。そうなのですか?」


ツルクの言葉に全く興味のなさそうな無表情でナウラが尋ねた。


「人の事は知らん。自分に出来ることをして、自分の教えられる事を弟子に伝える。」


「ああ、矢張り格好良いですね。聞いていた通りのお人柄だ。是非僕にも何かご教授下さい。」


「この冬にグリューネに赴いたのだが、其処には霧の森があり、鬼羆の超巨大種と遭遇した。ナウラとヴィダードと3人で闘ったが、身体強化の経を鬼羆が使った為に危うくやられる所だった。驚くべき事にその鬼羆は辿々しくも人語を話した。」


「・・・・・」


「・・・・・」


ジュナとツルクは言葉を失った。


「事実です。体高は4丈、全長は12丈ありました。」


「体毛は鋼よりも軽く、翅も白糸も通さない。戦闘後に巣を調べた所、齢は3000年以上と判断できた。3000年霧を吸い続けた魍魎。俺は王種と呼ぶ事にした。」


「嘘臭い話ですね。それが本当であればどうやって生き延びたの?作り話でしょ?」


「ナウラ。珠を出してくれ。」


センヒが疑う気持ちはよく分かる。自分が逆の立場でも疑うだろう。

ナウラは置いていた背嚢から人の頭大の珠を取り出した。

深い群青色の珠は日光に当たり木製の机に青い影を落とした。


「な、なんだそれ!?」


ヨウロとその弟子ロランと話していたソウハが泡を食った様子で声を上げた。


「それ程の大きさの珠は過去に例を見ないわね。里の長老達の館に飾ってあった物もこの5分の1がいいところよ?」


「よく生きていましたね。流石です。でもどうやって倒したのですか?雷を通したのですか?」


「ナウラの火行で体毛を燃やしてから斬った。」


「ほう。お前の弟子も中々優秀だな。」


ヨウロに褒められたナウラはほんの僅かに小鼻を膨らませた。

誇らしいらしい。


「私は半年前に奈落龍を撃退しましたが。」


「・・・センヒ、それはクウハンを班長に20人で討伐に向かった件だろう?何を対抗しているんだ。」


ヨウロは溜息をついた。


「センヒは小さい頃からセンリにお前を引き合いに出されて育てられていたからな。やめておけセンヒ。こいつは17の時1人で黒隈龍の番を討伐している。」


「・・・」


センヒは親に歪な教育を施されて来たようだ。

とはいえそれはシンカに何か過失がある訳ではない。対抗意識を持たれるのは構わないが、漂う悪感情には辟易としてしまう。


「俺とジュナは去年の春にメルセテの内乱に巻き込まれたぞ。ある街に滞在していた所、当時メルセテ最強の武将と謳われていた赤理のリフオの軍が攻めてきてな。略奪の中闘いながら街を脱出した。」


「おお!嫁を護りきった訳か!・・俺はアガスタで白激アクアと一騎討ちをしたぞ。手打ちとなったがな!どうだ!」


ずっと興味無さそうに食事を取り続けていたユタが顔を上げて目を輝かせている。


「白激アクアか。そう言えば先日銀剣のロクアを討ち取ったぞ。」


「ロクアだと!?あいつには15年前にサンタがやられてる!本当に討ち取ったのか!?」


「首を落としてやった。」


「私とシンカはクサビナのロボク戦線にも参戦しました。」


酒が回り始めたせいなのか、自慢をしたいのかは分からないが、ナウラの口が軽い。


「本当に!?私達クサビナがアゾクを落とせず撤退する事に賭けていたのよ。何があったの?!」


「私とシンカはグレンデルの将、カヤテ・グレンデルに請われて従軍する事になりました。シンカはカヤテと旧知で信頼を勝ち得ていた為です。罠を見破り奇襲を察知し、反対に襲撃を仕掛けました。時を同じくして私達は蝙蝠の痕跡を辿ってアゾクの内部に忍び込み、敵首脳を一網打尽にする事で指揮系統を崩しアゾクを落としたのです。」


「成る程。して、罠とはなんだ?」


「黒色火薬だ。戦争が始まる数ヶ月前に敷き詰めていたらしい。始め、俺も気付けなかった。」


「火薬を数ヶ月前に?」


「天候を熟知し雨が降らないと確信していたのね。」


「それを見破られたのか。災難だな。」


ナウラの後を継いでシンカは口を開く。


「ロボクの人間がジャバール産の黒色火薬を知っているとは考え難いが。」


「俺も同意見だな。あの国はクサビナに憎しみを向ける以外に興味の無い国だぜ?不可解だな。」


「知恵者を招いて教えを授かる事が出来る国とは思わなかったが。」


「どうも参謀だった男が偶々知り得た様だった。ルドガーと言ったな。」


「気色の悪い男でした。」


「顔は良かったぞ。」


「止めろ!その言い方はクウロウを思い出す!」


クウロウという男は森渡りであり腕は立つが、人の顔も覚えられない程阿呆で、熟女にしか興味を持たない里の三馬鹿の1人である。

シンカは四杯目の杯を開ける。


皆の酔いが回り始めると全員の自慢大会に場は転じていった。

下らない話しや色恋の話しも次第に混ざり始めたがその辺りから記憶が定かでは無くなった。



翌日目覚めるときちんと自分の宿の寝台で眠っていた。装備も解かれ、身体も清められていた。

背後からしがみ付かれている。鼻を鳴らすと森の匂いが香る。ヴィダードだ。


昨日は昼から飲み始めて宴会は夜まで続いた。最後の方の記憶は朧げではっきりと覚えていないがリンメイに罵られていた気がする。


彼女がシンカに怒りをぶつけるのには理由がある。

彼女が姉の様に慕うシンカの義理の姉、リンファとは昔恋仲にあったのだ。


姉とは言え数月しか生まれた日時は変わらないのだが、シンカが養父に引き取られてからは随分と年上ぶってこき使われたものだ。


恋人関係というのもリンファが始めリンファが終わらせた。

若い頃の思い出である。リンファから恋人関係の解消を告げられてシンカはその晩に里を出た。以来里には戻っていない。


今となってはナウラやヴィダードと出会い、充足した毎日を送る事ができている。


リンメイはリンファとシンカに寄りを戻して欲しいと願っており、それが叶わないのはシンカの甲斐性が足りていないからだと考えているのだ。


シンカはまだ里を中心に活動していた頃の事を夢に見ていた。始めて女と付き合った、淡く苦い記憶だった。


宿の窓からヴィティアの壁を伺う。門までは見通せないが、壁の上を巡回する兵士の姿が小さく眼に映る。

今から4日前に国境近くの街が落ちたと言う事は敵は既にある程度進軍していると見るべきだろう。マルン城塞まで辿り着いている可能性すらある。

軍備を整えての進軍は出来るだけ早く行うべきだろう。幾ら時間が掛かるとはいえ悠長にすぎる。


着替えていると窓の枠に1羽の鳥が止まった。

丸みを帯びた頭と体。色は体が明るい茶、羽は濃い灰色、頭は茶だが目の部分だけ帯びの様に黒い。喉元は白で鋭く黒い小さな嘴が付いている。

体調は1尺程。愛らしい魍魎だが、肉食の獰猛な魍魎である。


一尺百舌。


足に文が結び付けてある。

百舌に突かれそうになりながら文を取ると、ヨウロからであった。


至急装備を整えて簡易宿泊施設に来るべし


いよいよ始まる。


シンカの内心は苦々しい。

以前はカヤテの存在が有ったからこそ従軍した。それも好き好んでではない。

森渡りとしての力は平地や大勢の兵士の中で発揮し難いといこともあるが、何よりシンカにとって必要の無い事である所が大きい。

人間は争いが好きだ。それはシンカとて変わりはない。自分を貫き守る為には最期は暴力を用いるしかない。


だがこれは人間だけに言えた話ではない。どの様な小さな魍魎であっても異性を奪う為に争うし、襲われれば反撃する。食べる為に襲い子孫繁栄の為に犯す。

だからこそ戦争がしたいのであれば止めはしない。それが森渡りの考え方だ。


但し自分に火の粉が降りかかるのであれば争わなければならない。


だがその理念と同時にシンカの中に燻る疑問もある。


これ程迄に醜い事象が何故存在するのか。

それをシンカは時折考える。


ユタには人を殺して得られる名声など碌なものではないと知って欲しい。


歴史を振り返っても名のある偉人達は皆惨憺たる最後を遂げている。


ヴィダードを起こし、ナウラとユタを起こしに行く。

2人とも酒臭いが仕方がないだろう。

一足先に支度を終えると代謝を上げる薬を調合する。代謝を上げ体内の酒精を飛ばすのだ。


2年前にユタに残したものと同じ薬だ。


3人の準備が終わると薬師用に充てがわれた宿泊施設へと足を向けた。


宿泊施設は木造の二階建て棟割り長屋で、ヴィティアらしい開放的な間取りとなっていた。


共同井戸の周りに人が集まっている。森渡り達の姿もある。

集団に近付くとソウハが声を掛けてきた。


「おー、来たか。さっき先触れがあってな。これから役人が来るらしい。薬師達を10人ずつに分けて軍に医療班として組み込み出陣するらしい。スライに定住している薬師は除外するとの事だ。」


「薬師組合に薬の売買記録を提出させたから逃れられないとの事だ。住民台帳と比較すれば逃れられないな。」


「どうするヨウロ、シンカ、ジュナ。これは泥舟だぞ。」


「口が過ぎるぞソウハ。王政の人間に聞かれたらどうする。」


方針は基本的に年長の4人で決めるらしい。


「まあ、行くしかないだろうな。前線は避けたいが、そうもいかんだろう。」


「割り振りはどうするの?他の薬師は?」


「俺は自分の弟子3人とリンメイで組む。いいか?」


「リンメイか。あの子は優秀だが未熟だ。お前なら安心だ。シンカ。」


「私とソウロは一緒でもいいわよね?」


「ああ。夫婦だからな。後はツルクを頼む。俺は弟子のロランとセンヒで組もう。」


残る40人程の何も知らない一般的な薬師は流れに任せるしかないだろう。

結局薬師組合の指示によりシンカの元には30代の夫婦、50代後半の男性老人、20程度の若い女、30手前の優男が配置されることになった。


5つに分けられた薬師達はそれぞれ5つつの軍勢に割り当てられることとなった。

軍勢は其々5000。ヨウロが第一軍、シンカが第二軍、ソウハが第四軍に割り当てられた。


「シンカ。私達10人で5000もの兵を治療出来るのでしょうか?」


「・・ナウラ・・僕達の軍が5000人全員怪我した時は、きっともう負けてるよ・・・」


「・・・・」


ナウラの耳が赤くなった。


同日昼下がり、第一軍に続いてシンカの配置された第二軍がスライの町を出た。


第二軍は公爵であるラビン・オールドーの嫡男、アドル・オールドーが率いている。軍勢は全てオールドー領兵である。力のある貴族だ。


軍勢は騎兵が1000、歩兵が3500。歩兵の内訳は槍が1000、剣が2000、弓が500。彼らは荷駄隊も兼ねている。残りは貴族達の親衛隊が200、行兵が100、工兵が100、そしてシンカ達薬師を含めた衛生兵が100。


全五軍の編成はさして変わりないが、四軍と五軍は傭兵や徴兵された民兵が目立つ。


ヴィティアの国力ならもう少し兵を集められそうな気もしたが、責められる側の為か幾分か集まりが悪い。


歩いていると50後半の老薬師が声を掛けて来た。


「お主、その装備は森渡りではないかね?」


「・・・・森渡り?」


「心配いらん。昔お主の仲間に世話になったのだ。クウケンという男じゃった。」


「クウケンか。曽孫のクウロウが俺と同い年だな。」


「ほう!どうやら元気じゃった様だの。」


「残念だが15年前に死去したがな。76だった。8人の孫、19人の曽孫に看取られた。」


「儂もそんな最後が良いのう。血塗れの戦争では死にたくないわい。じゃから儂はあんたの言う事に従う事にする。」


「シンカだ。色黒がナウラ、色白がヴィダード。目付きが悪いのがユタ、小さいのがリンメイだ。」


「レイゲンじゃ。宜しくな。」


レイゲンは深編笠を一度外し掲げて人好きのする皺くちゃな笑みを浮かべ離れていった。ドルソ人特有の濃い肌なのか、歳をとり日に焼けたのか判別はつかなかった。


夕刻まで路を歩き続け、何の変哲も無い路の途中で野営の支度を始めた。


「ナウラ。左方の森を調査してくれ。俺は右方を確認する。ユタ。野営の支度を勧めてくれ。周りが焚いても火は焚くな。煙の匂いが付く。」


「・・うん。」


「ヴィー。ヨウロからの合図を聴き逃すな。合図が有れば目立たぬ様返答してくれ。」


「わかったわあ。」


ヴィダードの返事を背に人目がそれた一瞬で森へと分け入った。


森に入ると四半刻真っ直ぐに進み、魍魎、或いは人間の痕跡を探す。

まず大きめの糞を発見した。匂いが強い。肉食だ。


周囲を観察すると、柔らかい土に足跡がいくつか残っていた。木の幹に体をこすりつけたのか体毛も残っている。


大牙虎の雄だ。糞も足跡も昨日のものだ。

小さな魍魎の痕跡が其処彼処に残っている。

だが今は姿も気配も無い。


軍が通り怯えて逃げたと考えて間違いはないだろう。


さらに奥へと進む。時間をかけると大型の魍魎の気配が濃くなって来た。


尾長獣脚亜竜が一頭周囲の様子を伺っている。

この竜は群る為、見つかれば非常に危険だ。

特に何かを狙っている気配はない。ころ個体が消えるのを待ちシンカは引き返し始めた。


帰りに倒れて苔むした木に薄っすらと残る足跡を発見した。

人間のものだ。男。装備は軽装。斥候だろう。

森に入るとは命知らずだ。


危険は無いと判断して野営地に引き返した。

野営地に戻ると同じ班分けになった女が目ざとく見つけて近寄ってきた。


「貴方いなくなったと思ったら森にいたの?てっきり女の子置いて自分だけ逃げたのかと思ったわよ。」


実際は思っていない様だがそう口に出した。


「敵襲の痕跡が無いか自分で確認しておきたい。」


「貴方軍人?違うわよね?」


女は白い肌に栗色の短髪で灰色の鋭い目つきをしている。ウバルド人だ。


「ああ。旅の薬師だ。一緒にいた女3人は弟子。小さいのは親族だ。」


「さっき聞いたわ。お互い災難ね。」


反対の森からナウラが現れる。

シンカを見ると手信号で異常無しを伝えてくる。


「適度に付き合い頃合いを見て離れるつもりだ。俺達には戦争に従う義務は無い。」


「でも、私達の努力で多くの兵が救われるわ。」


「それは違うと俺は考える。苦しみを長引かせるだけだ。治した兵は直ぐに戦場へ戻り、今度は死ぬ。」


「・・・・・そう言う考え方もあるわね。」


「敵は負傷兵を殺さないかもしれない。ベルガナ人とヴィティア人は同じドルソ人だ。見分けが付かなければ同情心も湧くかもしれん。」


「それはあてにしない方がいいんじゃない?」


「まあそうだな。」


「シドリよ。宜しく。」


「シンカだ。」


名乗り合っているとシドリの後ろ6間程にヴィダードが立っていた。


その手にはイーヴァルン製の短剣が握られている。

無論鞘からは抜き放たれている。

その目は大きく見開かれ、白目に血管が浮き出ていた。


「ヴィー。怒るぞ。」


「貴方様が女を。ヴィーを捨てる気なのねえ。そんなの絶対に許されない。」


「ヴィー。短剣を仕舞わないと置いていくからな。」


「あっ!あっ!あっ!そんなあ!」


ヴィダードは慌てて短剣を収めてシンカの腕に縋り付いた。


「色男ね。ヴィダード、私は年下の男にしか興味ないの。安心して。」


「女狐め!シンカ様に魅力が無いというつもりなのっ!?」


「め、面倒臭いわねー。」


自分の女の手綱はきちんと握ってくれと告げてシドリは薬師達の元に戻っていった。


ヴィダードはシンカの背に額を擦りつけている。


「お前はもう少し普通に出来ないのか。」


「ヴィーは普通です。」


普通とは何だったか改めて考え直してみる。

訳が分からなくなった。


話にならないのでユタとナウラの元に向かう。

貼られた天幕に近付くとナウラが寄ってきて手を取り中へと導かれた。


「身体をお拭きします。」


笠を外され外套を取られ、上着を肌蹴られると濡れた布巾で身体を拭かれる。

適度な力加減が心地よい。


「・・・・シンカ。」


冬の凍った湖面の様な表情でナウラはシンカの名を呼ぶ。


「なんだ?」


尋ねても暫くナウラは口を閉ざしていた。


「戦争が恐ろしいか?」


黙ったまま彼女は頷く。


「それで良い。そうあるべきだ。慣れてはならない。カヤテの様に様々な柵に捉われ、それらを護るために戦う者。俺の様に自分に関わる狭い範囲に及ばなければ見ないふりをする者。ユタの様に栄達を求める者。ヴィダードの様にまるで興味のない者。其々が好きに考えれば良い。希望を言えば戦争など求めて欲しくはないがな。」


ユタには戦争を求めるなど強く言ったことがある。

それは飽くまで森渡りとしての事。個人で何を求めようとシンカに何かを強制する資格はない。


「だが1つ覚えておかねばならない。そうして在り方を選ぶことが出来るのは力を持っているからだ。力無き無辜の民は権力者の言うがままに徴兵され、猛る軍勢の力のまま蹂躙される。ナウラが在り方を選べるのは力をつけるべく努力したからだ。」


「私はどうすれば良いでしょうか。」


シンカの身体が粗方拭き終わる。

まだ使っていない布巾を手に取るとナウラの服を肌蹴けて拭き始めた。

美しい女でも垢は出る。

だがヴィダードとナウラはそれが少ない。

長寿と何か関係があるかもしれない。


「人を殺したく無ければグレンデーラに今すぐ向かえ。戦争で敵対する兵士達は大半は害意など元々持たない民草か、国の為、家族の為に剣を振るう兵士だ。」


「襲って来る敵を倒して後悔したことはありません。そうしなければ私やシンカ、ヴィーが死にます。私はあの様な人達を生かす為に死んだり、尊厳を犯されたくはありません。」


「人はそのくらいの範囲を見て、護るのが分相応だと思う。俺が大人しく従軍するのには理由がある。お前にだけ教えてやろう。」


ナウラの滑らかな白髪が一房溢れている。

それを纏めてやり、小ぶりな頭を撫でた。


「ナウラ。今から数千年後、この大陸の反図はどうなっているだろうか?今のままだろうか?」


「いいえ。そうは思いません。」


「大国クサビナやメルセテ、メルソリア、アケルエント。これらの四大国すら存在するか怪しい。ベルガナとヴィティアの戦いでヴィティアは滅ぶかもしれない。国が1つ滅びた時、千年後にその原因は分かるだろうか?何故国が滅びたのか。後世の歴史家は知りたがるだろう。俺はそれをこの目で見て、記録に残す。危機を体で感じ、具に記録し書に残す。後世の者は俺に感謝するだろう。そして間近でそれを体感できた事を羨むだろう。ナウラにも分かるはずだ。笠山の遺跡で感じただろう?あそこでどの様な儀式が行われたか、俺は現実に見たかった。」


「・・・それは、分かります。」


「兵士達を殺す事に罪悪感がないわけでは無い。だが彼等は兵士だ。俺が殺さなければ別の誰かを殺す。今回はベルガナがヴィティアを攻めている。俺が殺さなければ無辜の民が蹂躙される数が増えるだろう。そう考える様にしている。」


人を殺せば夢を見る。悪人であれただの兵士であれ。ナウラもそうなのだろう。


だが殺さなければ生きられない。森や魍魎に抑圧された人間は弱者から糧を奪おうとする。

世界は陰惨だった。


「・・今回の戦争では殺し合いにならないかもしれませんしね。」


気はやはり重いのだろう。


「シンカなら、国を作って殺し合いの無い世界を築けるのではないですか?」


「その為に多くが死ぬ。そして俺の一生をかけても実現できるか。それに、そんな知らぬ人の為に自分をすり減らすくらいなら、俺の生涯はお前達に使いたい。」


「・・・」


築けたとしても直ぐに戦乱は始まるだろう。

それが少ない大地に住まなければならない人間の宿命だ。


「俺が、人を殺したりこれから殺す事を悔やみ悩む時に行う儀式がある。」


「初めて知りました。何かしていた記憶はありませんが。」


「女を抱く。情けなくとも女にしがみ付き、劣情をぶつける。恥も外聞もなく乳を吸い、接吻する。殺した人間の夢を見れば、乳を繰って接吻する。不思議と気が楽になる。まるで半分肩代わりして貰った様にな。」


「・・・確かに、シンカがいつになく夢中になっている事がありますね。」


少し恥ずかしい。自分の弱さを見せる様で。

だがそれで良いのかもしれない。ナウラは伴侶だ。隠す必要など恐らくはないのだろう。


「元来男と女とはそういうものなのだろう。子を作り産み落とす事は数多の精霊に夫婦が認められた証であると言うだろう?各地で男根や女陰を象った象徴を精霊として崇める風習もある。兵士は戦地に赴く前に女を抱く。所によっては女の陰毛や下着を願掛けに持って行く者もいる。」


「気色が悪いですね。」


「そう言うな。俺はお前を愛しているが、命を失うかもしれない闘いに赴く前にお前の毛が欲しいと俺が願ったら、お前はくれないのか?お前の元に戻る為に欲しているのだぞ?」


「確かに。その時は差し上げるでしょう。」


ナウラの返答を聞いて微笑する。


「男女は無意識にお互いを尊重し、信頼し、神聖視すらしているのだろうな。そして結局は狭い世界に戻って来る。人を殺すのが怖い。不特定な自分の尊厳や人間性を保つ為の不安だ。形が曖昧で範囲も定かではない。朧げなその恐怖を異性で癒す。心の傷も異性で癒す。人は結局、伴侶や家族さえいればいいのだ。俺はそう思う。」


「確かに、貴方を失うことに比べれば瑣末な悩みだとは思います。」


「俺はお前を説得したいわけではない。お前はもう1人でも生きていける。あの日砂浜で裸で倒れていた弱々しい精霊の民はもう居ない。自分で選び、自分で見届けるのだ。お前にはそれが出来る。1人で何処へだって行ける。」


「シンカの隣にいます。」


「ならば、少なくとも斧を振るい、経を練る間だけはその悩みは忘れなければならない。躊躇えば自分が死ぬ。・・但し、それ以外では幾らでも悩むがいい。俺もその悩みを聞いて半分は肩代わりをしたいと思う。それが、伴侶の形だと俺が思うからだ。」


ナウラがシンカに顔を寄せ、柔らかく唇を吸った。

シンカはそれに応えてナウラの括れた腰と稔った乳房に手を伸ばした。



スライを出立してから7日が経った。

ヴィティア軍はマルンの目と鼻の先まで進み、緊張が高まっていた。

第2軍の兵士達は緊張に顔が強張り些細な事でも怒りやすくなっていた。


「ねえお兄ちゃん、怖くないの?」


特に表情が変わらないシンカを見てリンメイが尋ねた。


「人同士の戦いは腐る程経験があるし、従軍も初めてではない。緊張はしているが顔には出さない様にしている。お前は対人戦の経験は無いのか?」


「森渡りは殆どが学者肌だよ。闘っても魍魎。人同士の争いに首を突っ込むのは2割もいないよ。」


「蝋灰蟷螂は正面から倒せるか?」


「む、無理だよ!」


「そう。あれを向かい合って倒すのは至難の技だ。だがこのだらけたヴィティア軍であっても50の弓兵がいれば倒せるだろう。俺達は力を持っているが、数は少ない。1人でやろうとしても何事もうまくいかないぞ。」


「でもお兄ちゃんは倒せるんでしょ?」


「コツがあるからな。だが、蝋灰蟷螂を無傷で倒せても50の弓兵に囲まれれば厳しい。そういうものだ。」


「じゃあどうすればいいの?」


「もし戦闘になれば支援を頼む。お前は経での感知に優れているからな。」


「うん。わかった。」


漸く表情を和らげて頷いた。


「ねえお兄ちゃん。どうして里に帰ってこないの?」


「大陸中を見て回りたいのだ。」


「・・・どうしてお姉ちゃんのこと置いていったの?お姉ちゃんならついて行けたでしょう?」


リンメイはシンカとリンファの関係を知らないのだろう。


「俺はリンファとの関係が終わったから里を出たんだよ。何が言いたい分かるだろう?お前ももう15だ。1年か2年はただ戻りたくなかった。それから先は戻らないことに慣れた。」


「・・・」


驚いた、と言うふうにリンメイは口を開けて目を丸めた。

愛らしい娘だ。


「詳しい事はリンファに聞きなさい。」


「・・でも、お姉ちゃん、毎年秋の終わりになると里の入口が見える場所に立ってた。毎日だよ?」


「待っているのは俺では無いよ。俺は若いなりにあいつを愛していたし大切にしていたつもりだった。だが仕方がない。あいつは俺では駄目だったのだ。・・そんな俺もかけがえの無い伴侶を見つけた。父さんの様に上手くできるかは分からんが。それでもやって行くつもりだ。」


「・・・」


「それよりも、今夜からはより注意を払わなければならない。滅び行く国に巻き込まれるわけにはいかない。お前は俺が守る。側を離れるな。」


ナウラとユタ、ヴィダードを先行させて伏兵の確認をさせている。合図は無いので何も無いのだろう。


この7日間で他の薬師との意思疎通もこなした。

30手前の優男はビッツといい、ヴィティアの地方都市出身で、ヴィティア国内を巡回しているということだった。気のいい男であった。


夫婦はラクサス出身のシメーリア人で、夫がダレン、妻がシャールと言った。


夫妻は見た目通り呑気で、身に危険が迫る可能性がある事を全く認識していなかった。

正午を一刻ほど過ぎた頃、森の木々の上に漸くマルンの壁が見え始めた。


だがそこにはためく旗はヴィティアの暁光と笠山を描いた旗では無く、ベルガナの緑地に天海山脈から王都のダルトを見守るとされる黒い翼竜が染められた旗が靡いていた。


森を行くナウラ達からは確認できなかった様だ。

砦に向かい第2軍は進む。引き返す事も対策を練る事もなく愚直に進み始めている。


指揮官も気付いているはずだ。意図がわからない。


第一軍のヨウロからの連絡もない。

戦闘が起こっている気配は無い。


何が起こっている?自身が行軍中の軍隊の最中に身を置いているため城塞方面での動きが聴き取れない。感知する振動も同様だ。風は風上で匂いも嗅ぎとれない。


そうして第二軍は等々城塞手前まで辿り着きマルン城塞の壁を見上げた。

門は固く閉ざされ、壁の上では弓や弩を構えた兵士が所狭しと立ち並ぶ。


ぎりぎり射程には入っていないが風行法で追い風を立てれば十分に届く。


「指揮官は何を考えている。この様な・・ん?」


蝙蝠の声音で合図がある。

ナウラだ。左。敵。潜伏。斥候。交戦。手練れ。


指揮官が要塞に向かい声を張り上げ口上を述べている。

国土を侵犯する事を仰々しい言葉で責めているのだ。


「戦闘?ナウラさん?」


リンメイがシンカを見上げる。


「始まった。俺から離れるな。」


唇と声帯を引きしぼり、キイキイと蝙蝠の鳴き声に酷似した合図を発した。

突如人間の口から発せられた異音に、隣に居たシドリやレイゲンが驚いた様子でシンカを見た。


了解。応援。要否。撤退。


対して返答がある。

不要。了解。


同時に右方、ヴィダードからの合図も発せられる。

右。敵。斥候。戦闘。


左右同時に敵が第二軍を目指し森を通って迫っている。

細く伸びたこの隊列では為すすべもないだろう。


となれば次の動きは。

ヴィダードにも合図を送る。

了解。応援。要否。撤退。


返答は直ぐ。離脱。


シンカは経を練る。

壁の上で指揮官らしき男が声を張り上げる。

桃型の皮の兜に孔雀の尾羽が付いている。

壁の上の兵士達が一斉に矢を放った。


行兵達は手を突き出して風を起こしている。

第二軍に満遍なく矢を降らせるべく、天を覆う様に矢が放たれた。


シンカは手を着く。

周囲の地が隆起し柱を築く。10尺ほど伸びると其々が広がり頭上に膜を形成した。周囲に張られた土の膜を凝縮して堅める。


土行法 天幕。

直後雨霰の様に矢が降り注いだ。

至る所でヴィティア兵達の悲鳴が上がる。

シンカの付近3.40人には天幕の影響で矢は落ちてこない。


愚かな指揮官だ。

敵の攻撃範囲に不用意に入り込んだ。もう生きては居ないだろう。


「森へ引くぞ。リンメイ。風流颪しを左手に。」


「うん!」


リンメイが手を突き出すと大気がうねり強烈な流れとなって矢を押し流し始める。


「行くぞ!」


シンカぎ左手の森へ向けてかけ始めると、リンメイ、レイゲン、シドリ、ビッツ、ダレン、シャールと数人の兵士が後に続いた。


シンカは再度合図を出す。

左。森。退避。合流。可否。


まず街道を挟んで反対のヴィダードからの返答。

了解。不可。後。合流。


続いてナウラ。

斥候。撃破。敵。襲撃。合流。可。


夜。合流。半刻。後。合流。浅中。

2人に対する返答を行う。


「ナウラが半刻後に合流する。中層手前まで進む。」


「ヴィダードさん、どうして合流出来ないの?」


「今森から出れば矢に当たる。これから軍を敵の伏兵が叩く。奥へ進み遣り過す。」


シンカとリンメイに薬師が続く。

薬師は流石に森を歩き慣れているのかシンカに遅れる事なく付いてくるが、盾を持ち鎖帷子を着込んだ兵士達は直ぐに置き去りにされた。


「シンカさん。こんなに森の奥に踏み込んで大丈夫ですか?」


ビッツが不安そうに尋ねる。


「ああ。」


「すまない。妻が着いて行くのが難しい。勝手に着いて来て申し訳ないが出来れば歩みを遅めてもらえないか?ベルガナ軍は直ぐ側に迫っているのか?」


シンカは足を止めると周囲に耳に意識を集中する。

東側の街道より多くの人間の悲鳴が聴こえる。指揮官を失った第2軍は矢を避けて森に逃れるか、街道を一目散に引き返して行く。


一方森の中をこちらに向かう集団の立てる音も拾えた。路に沿うように進んでいるが、シンカ達にぶつかる位置は通らないだろう。


木漏れ日の角度から時刻が推測できる。矢が降り始めてからそろそろ半刻になる。


中層までまだ距離がある。

再度唇と声帯を絞り甲高い声音を発する。

蝙蝠の鳴き声と遜色のない音が森に響く。

伝える意思は、位置。変更。前。半里。


直ぐに了承の返答がある。

シンカは大樹の張り出した根に腰を掛けた。


「済まない。感謝する。シャール、少し休んで休憩するんだ。」


ダレンは甲斐甲斐しく妻の世話をし始める。

戦争の気配を感じて浅層から逃げ出したのか、魍魎とは一度も出逢わない。


だが中層に犇めく気配は確実に感じられる。

以前危険な事に変わりはない。


人間が近付く気配が2つ。ナウラとユタだ。


「戻ったか。無事か?」


木々の合間から現れたナウラに声を掛けた。

傷が無いのは匂いでわかる。声を掛けたのは薬師達の警戒を解くためだ。


「しかし、大変な事になりましたね。」


「伏兵が第二軍を横撃するべく森を進んでいます。」


「ヴィーからの報告で、右方も同様に進軍中との事だ。」


「森の中に軍を潜ませるとは、前代未聞だのぉ。ベルガナはそこまでしてヴィティアを下したいか。」


「どうかな。ベルガナというよりもあの国はメルセテを憎んでいそうだが。」


会話をして居ても埒があかない。


「恐らくこの辺り一帯は至る所にベルガナ兵が潜んでいるだろう。森に潜み様子見をするしかあるまい。個人としてはこのまま何処へなりとも消え失せることはできるが、他の軍勢に配属されている仲間がいる。安否を確認しない事には逃げ出す事も出来ない。」


「僕も同意見ですね。」


「私も少しはこの腕を生かさないと、手解きしてくれた先生に顔向けできないわ。」


ビッツ、シドリが同意する形で一行は話を進め出した。



森歴193年夏上月、ベルガナ王国がヴィティア王国に向けて電撃的な侵攻を開始した。


宣戦布告は無く、突如としてヴィティア王国の南端のワイリーを陥とし、即座にマルン城塞に攻め入った。


マルンは門を閉ざし籠城の構えを見せるものの、工作員を忍び込ませていたベルガナは夜間に門を制圧し開門。ヴィティアは抵抗の隙も無くマルンを失った。


ヴィティアの隣国ベルガナとラクサスはそれぞれメルセテ、クサビナと戦争を繰り返しておりヴィティアは他国に侵略された歴史を持たない。


従って兵は弱く、王政も軍の上層部も戦争に対する技術知識や戦術知識を持たなかった。


マルンを抑えたベルガナは悠長に進軍してきたヴィティア軍の先鋒を誘導して撃破。次鋒を砦目前で奇策により撃破。中堅を勢いに乗って会戦で叩き、ヴィティアの主力を叩き潰した。


副将、大将は戦闘すら行わずスライに籠り、散り散りになった軍勢は西の山際の山岳都市ポルテに集結し強固な防衛陣を気付き、遊撃戦を展開した。


対してベルガナは浸透攻撃を開始し、スライ目前まで軍を進めていた。

僅か15日の出来事であった。



「ご報告差し上げます。」


ベルガナ兵が跪いて男に戦況を述べていた。

そこはマルン城塞の部屋の一室で、兵士も併せて4人の人間が顔を付き合わせていた。


変成岩を滑らかに削った美しい宅には地図が広げられ、白と黒の石の駒が置かれていた。

駒は勢力を表す。


「許す。」


短く告げたのは40台のドルソ人。白髪が程よく混ざった灰色の髪の男だった。

レナート・マウリッツ。ベルガナ軍第三師団の総指揮官である。


伯爵の位を持ち、また王剣流の礼位も併せ持つ。


「は。王都目前のウルマを占領した第1師団はスライを攻めあぐねております。ご助力頂きたいとヒューイット卿より申しつかっております。」


「戯けた事を。陛下の下知を破り途中の町村で略奪を行った為に足が遅れ、みすみす敵を王都まで逃したのでは無いか。」


第一師団の指揮官を罵ったのはこれもまた40台のドルソ人。第三師団第一旅団長のベレン・バウアーだ。

「我々は抑えだ。容易に動く事叶わず。判断は将軍であらせられるカッセル卿にご判断頂く。」


「・・・承りました。その旨、文を頂きたく存じます。」


「うむ。後程。」


伝令は立ち上がると一礼の後に退室した。

そして直ぐさま戸が叩かれて次の伝令が現れる。


「第二師団の戦況につきましてご報告差し上げます。」


「申せ。」


「は。第二師団はメンデル卿の指示の元ウルマとマルンの間の街を制圧、また残存する反抗勢力を各個撃破するべく部隊を散会させておりますが・・・」


「如何した。」


部屋の内の最後の1人、第三師団第二旅団長のルシアード・レンブラントご伝令を促した。

低い重低音の声が部屋に響き、伝令は肩を震わせた。


「は。恐れながら、メンデル閣下は全軍の半数をポルテの押さえに置き、残る半数を200人規模の中隊に分けて町村の草の根を掻き分けて遊撃部隊の殲滅に当たっておられますが・・・2部隊が消息を絶ちました。」


「何?ただの1人も戻らないということか?」


「は。左様でございます。」


ただの1人も帰ることなく消え去る。

レナートがまず疑ったのは離反であった。

この侵略でベルガナ軍は略奪を許していなかった。占領し、兵糧は提供させても彼等の蓄えは残した。

それを不満に思う兵達がいる事も理解している。

だが女王の方針は切り取ったヴィティアを統治する為、無辜の民に危害を加える事を許していない。


あまり現実的では無いが、不満を抱いた兵士が離反し野盗となり、村や街を荒らし始めたと考えられなくも無い。現実的では無いが、1人残らず消えるよりは可能性も高い。


「メンデル卿は原因を何と考えている?」


「は。魍魎、それも大型の蟲では無いかと考えられております。2つの隊が消息を絶ったのはいずれもポルテとマルンの間を結ぶ路。敵遊撃部隊が跡形もなく1部隊を消すことが出来るとは思えないが為でございます。」


見立ては悪くない。蟲には人や他の魍魎を跡形もなく丸呑みに出来るものもいるという。これがそれ以外の魍魎であれば、食い残しが出る。精々が爬の1種類、細長い形状の魍魎程度だが、彼等はそこまで大食いではないと聞く。


「魍魎の痕跡は見つかったのか?」


「いえ・・斥候に様子を探らせましたが・・彼等も消息を絶ちました。」


「成る程。してメンデル卿は第三師団、或いは将軍閣下に何を望まれているのだ?」


「は。恐れながら、第二師団、それもポルテの抑えを除きます半数ではヴィティア東部の制圧が難しく、東部の制圧を第三師団にお願いしいと仰せで御座います。」


「分かっているのか?我らがマルンを失えば前線の第一師団も、第二師団も敵地で背を脅かされる事になるのだぞ?」


「は。仰せの通りでございますが、メンデル閣下はマルンを襲う勢力はポルテとスライに封じ込めている為幾許かの兵は出せるのではないか・・と。」


「ふむ。では其方から卿に問うてくれ。メルセテやシアスがヴィティアと同盟を結びマルンを奪おうと攻め寄せる可能性は無いのかと。」


「・・は・・・」


「我等の責はこのマルンを如何なる勢力からも死守する事。・・もっともポルテの抵抗が予想以上に激しくこのままではヴィティア各地を制圧出来ないのも事実。判断はカッセル閣下にして頂くこととする。それで良いか?」


「は。有難く存じます。」


「うむ。では明朝将軍閣下に言葉を賜る。辰の刻にここへ参れ。では。」


「よろしくお願い致します。」


2人目の伝令が退室するとレナートは椅子の背凭れに深く体を預け溜息をついた。


「儘ならぬなぁ。陛下の策、上手く実行出来ればヴィティア程度楽に併呑出来ると考えていたが、一師団が欲をかいた所為で台無しよ。」


「仰る通りにございますな。スライを落とせていればポルテや遊撃部隊の抵抗もかなり抑えられていたと考えられますな。」


「・・が、今となっては詮無い事。メルセテの介入前に片をつけたいものです。」


「メルセテは動かぬよ。今は東川が北山を攻める戦の最中。1番近い北山にはヴィティアへ兵を送る余力は無い。」


言葉尻は苦々しいが、ベレンもルシアードもあまり思い悩むような表情ではない。


それもそうである。

サルマ ベルガナは後継者争いを端としたベルガナの内戦に終止符を打った女王である。


先王亡き後、王弟と第一王太子で王位を巡ったベルガナの内戦。

サルマは第三王女でしか無かった。


20歳にして新勢力の旗頭として台頭し、王弟派と王太子派を会戦で破って王位に就いた。


「しかし、あの時ブラント将軍を始め、国軍がサルマ女王陛下に付いたのは誠、英断でございましたな。」


「然り。女の身でありながら陛下は軍才がお有りだ。」


「・・ルシアードもベレンも陛下に御目通りした事は無いのだったな。・・・2人とも長い付き合いだが、私がこのような事を言うのをおかしく思うだろう。あの方は輝いていたのだ。人の上に立ち、人を導く為にお生まれになったと一目で分かった。」


「・・それは。」


「はあ」


「良い。口で説明してどうなるとも思っておらん。私とて貴族の一端。今の立場に就くまでに愚鈍な貴族どもを失脚させて来た。王族から言葉を賜った事も一度や二度ではない。今まで私は、多くの貴族がそうであるように王家に忠誠心など抱いていなかった。」


「閣下。お言葉が過ぎますぞ。」


「左様。どこの誰が聞いているとも限りませぬ。」


「良い。だが、今は違うのだ。私は信じられない事に、サロマ様に心から忠誠を誓っている。あのお方は人を統べるお方だ。暗愚な王族とは一線を画す。」


「・・・」


「・・・左様、でございますか。」


レナートの言葉に2人の副指揮官は気圧されたようだった。

マルンの強い日差しを遮る鮮やかな遮光布が風に揺れた。温い風が3人を撫でる。

彼等の額は汗でじっとりと湿っていたが、拭もせずに無言でそれぞれの思索に浸っていた。



レンブラントはヴィティアの強い日差しの下で部下達からの報告書を確認していた。

レンブラントはベルガナ第二師団の中隊長の1人である。


率いる部隊は第二師団第二旅団第二大隊19中隊。

彼はヴィティア西部から忽然と姿を消した5中隊と23中隊の消息を探す様、上司である大隊長を通り越して第二師団長から直々に指令が下されていた。


200人規模の中隊が忽然と姿を消す。負け戦ならともかく勝ち戦で脱走兵が出る事は考え辛いし、忽然と、ともなるといよいよ現実みは無い。

第二師団の上層部は大規模な敵対勢力が潜伏していると考えていた。


2つの中隊はポルテを出てマルンに向かう途中で消息を絶っている。同じ路を利用した中隊は他に多く存在しているが消えたのは2部隊だけだ。

レンブラントは部隊を引き連れてポルテを出ると路を進み、東へ進み始めた。


青い空には雲1つ浮かんでおらず、陽の下を飛んで行く鷹を見て異国の地に赴いて略奪の1つも行うことが出来ない不自由さを嘆いた。


森の合間の路を進み、点在する村や小さな町に寄り消息を絶った部隊の足取りを確認する。

しかし残念な事に町や村の者は幾度と無く訪れたベルガナ兵の中隊を区別する事は出来なかった。

ヴィティアの住民達は概ねベルガナ軍に好意的であった。


これは人種が同じで、肌の色が変わらない事と、ベルガナ軍がヴィティア中央以南で略奪行為を行なっていない事が大きい。


総勢400人にも及ぶ兵士を害して隠しているとは考え難かった。


森の路は基本的に蛇行した一本道だ。

複数の路があったとしても、人々は太い方を利用する為、残りは森に飲まれてしまう。

少し踏み入れば太古の街並みの上に重なるように蔓延った森を見る事もできる。そういった遺跡は大概魍魎の温床となり、足を踏み入れた者を跡形もなく喰らい尽くす。


そういった場所に糧を見出す薬師や山師をレンブラントは尊敬していた。


ポルテを立ってから10日。

丁度マルンとの中央付近に差し掛かっていた。

これまでに時折朽ちた馬車や、人骨が転がっている事もあったが道順にベルガナ兵の痕跡は見当たらなかった。


晴れやかな天気に体が汗ばんだ昼下がりの事だった。


路の脇に転がる腰ほどの高さの岩に老人が腰掛け、足を休めていた。


中隊の中央を栗毛馬に乗って進んでいたレンブラントはふと気になり隊列を止めると老人に向けて歩んだ。


老人は伸びに伸びた眉と落ち窪んだ眼窩とが相まってその視線は隠されている。

薄汚れており伸び放題の髭と頭髪は岩のような色合いをしている。

彼が腰掛けている岩と同化しそうな程の見窄らしい出で立ちであった。


「老人。尋ねたいことがある。」


レンブラントは声を掛けたが、彼は身動き一つせず、また返事もなされなかった。


「老人。この辺りに棲まう者か?」


「・・・・・」


耳が聴こえていないのか。顔を覗き込むと目を閉じている。

寝ているのか。死んでいるということはあるまい。


レンブラントは溜息をつくとなんとなしに老人が腰掛ける岩を見やった。

長い年月風雨に晒されてきたのだろう。角が取れて滑らかな表面の触り心地の良さそうな岩だった。

レンブラントはその岩を撫でて感触を確かめていた。


多くの旅人がそうしてきたのか、岩は一部分が摩擦で磨かれ鈍い光を放っていた。


「この辺りに兵士が潜んでいたりするのか?」


返事はやはり無い。


「大きな魍魎がいるか?」


返事は無い。

岩を撫でていると手が引っかかりを覚える。

何か汚れが付着し、乾いたのだろう。

レンブラントは汚れが気になって懐から剣の汚れを落とすための布切れを取り出すと汚れを擦り始めた。


「・・・この、先には・・進むない・・」


掠れ、嗄れた声が耳に届いた。


「?」


顔を上げ、声の源を伺った。

声を発した老人は微動だにせず、目も閉じたままであった。


レンブラントは本当に彼が口を聞いたのか疑問に思うほどだった。


「何かあるのか?この先に。」


「・・・・・」


意思疎通が思うようにいかない。

打てば折れるような枯れ果てた老人だ。

暴力を振るう気にはなれない。そもそもそのような行為は禁止されている。


尋問するわけにもいかない。


「今夜は星が赤いなぁ・・」


「なんだ?何が言いたい。」


やはり老人はレンブラントには応えない。

老人の顔を覗き込むと閉じていると思っていた眼は薄っすらと開かれていた。

垣間見える瞳は黒々としているものの輝きは薄く、レンブラントと視線が合っても何ら反応をしない。


「今夜は星が赤いなぁ・・」


同じ台詞を繰り返す。

レンブラントの背筋が泡立った。


「行くぞ!」


レンブラントは自身の中の得体の知れぬ恐怖に目をやらぬ様にしてその場を去った。

200人の中隊はレンブラントに応えて移動を開始する。


一体このヴィティアで何が起こっているのか彼は考えた。

だが結論が出るわけもない。

消えた隊の消息をただ探るだけだ。


そう自分に言い聞かせて悪い予感を振り切って森の狭間を進んだ。

19中隊の消息はこの日を境に失われた。

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