目的不明の弟子入り
春が来た。
ヴィルマにてオスカル一家を見送りか、冬をそのまま越した。ある昼下がりの日に木蓮の花が蕾から脱し、一輪だけ白い姿をみせているのを見つけてシンカは春の訪れを悟った。
大陸西への旅を開始する。その日が訪れたのだ。
肌寒い日々の中、時折暖かい日差しがさし始めていた。そろそろ春だとは感じていた。
ナウラはサビを失いここの所元気が無かったが、今度隠れ里に待たせているシンカに懐いた魍魎を見せると約束すると彼女は漸く機嫌を直した。
旅立つオスカルにくれぐれもと二頭の黒駿馬を託したナウラである。その悲しみぶりは痛々しいものがあったので随分と安心していた。
とうとうヴィダードの装備も整い、コブシへ向けた旅を開始した。
「魍魎達も春を感じ取っているらしい。うっすらと残る雪に獣の足跡が多く残っている。ヴィー。あれはなんだ?」
1つの足跡を指し示してヴィダードに尋ねる。
「綿兎かしらぁ?」
「うん。どう見分けた?」
「なんと無くよぉ。」
恐らく、ヴィダードは弟子を育てる事は出来ないだろう。
「ナウラ。頼りはお前だけだ。頼むぞ。」
「?」
雪のかかっていない地面を踏み森を歩いて行った。ヴィルマから西へ進みヴィティアの王都スライをめざした。
ヴィルマを出て3日、そろそろ国境に辿り着くかという時だった。
「おい。またか。またなのか。ナウラ。俺はお前と出逢ってから厄介ごとがよって来る様になったと考えているが。」
「人聞きが悪いですね。シンカの生まれ持った宿命です。そもそも私と出会う前にクサビナで一悶着起こしたのでは無いですか?」
「あっ。分かったぞ。カヤテだ。」
「違いありません。」
「カヤテっ。憎い女ねぇ。」
「ヴィーは会った事が無いのでは?」
「会わなくてもわかるわぁ。貴方様には相応しく無い女よぉ。」
「ナウラ。」
「弓兵が・・20。歩兵が8かな。対して・・・1人?」
「賊と剣士だろう。足音からして練度が低い上に此処まで臭う悪臭だ。」
臭いで判別するのもどうかとは思うが、概ねはずれた事はない。
森を出て街道に出る。
この辺りは段差状の崖が多く、崖の底部に道が走っている。
その崖上に陣取った賊に街道を歩いていたのだろう剣士が襲われていた。
高低差がある上に多勢に無勢。
女剣士は太った男を守りながら戦っていた。
「ぎゃははははっ、そんなデブ守って俺たちに勝てるわけないじゃーん!」
「あっ!ダグの奴やられてっぞ?」
「はははははははっ」
「剣の届かない所から狙い撃ちじゃん?」
次々に射られる弓を撃ち落とし、賊の前衛を退けるだけで女剣士は手いっぱいのようだった。
「ほぉらほら!そんな男よりお兄さん達と仲良くしよぉよぉ〜」
「おめえお兄さんなんて歳じゃ無いじゃん?」
「ひゃへへへっ豚殺すじゃん!女捕まえるじゃん!手足切り落として歯ぁ抜くじゃん!」
「気持ちよさそーっ!」
頭の悪い会話が聞こえてくる。
「・・下衆相手に此処まで手こずるなんてっ!僕が・・っ!」
落とし切れなかった矢の一本が商人と思しき太った男の顳顬に突き立った。
重そうな音を立てて横たわる。
「うぇーいっ!命中!俺が女の一番槍な!」
「んだ畜生!・・よっと!」
2本目の矢が事切れた男の頭部に刺さる。
「次俺ね。へへっ」
「きたねぇ!次は俺だ!」
「死体を汚すなんてっ!」
女剣士が叫んだ。
女剣士の顔に見覚えがある。
鈴剣流剣士のユタだった。
「次は女の手足狙えっ最初に当てた奴がケツの穴の1番だぜぇ!」
「俺はそっちのほうがっ」
「お前早えくせにきつい穴いつも狙うっ」
男が2人地に崩れた。
「な、何?!」
白い水の糸が迸る。
崖上の弓持ち達が次々と上下に分かたれてどす黒い染みを乾燥した崖にひろげていく。
「行兵がいるぞ!」
白糸が終わるとナウラが頬を大きく膨らませ、右手を横に振るとともに体を前傾にして口を開く。
火行法 朱釣瓶。
空中に吐き出した灼熱の溶岩球が崖向こうの生き残りに着弾した。
3人ほどの汚らしい身なりの男が直撃し、絶叫を上げながら炭化していく。
「な、なんだあいつらっ、え」
弓矢の援護のもとで近接戦闘を繰り広げていた4人の男が立ち所に斬られていた。
殆ど同時にそれぞれ腕、足、首、胸を切り払われ崩れ落ちた。
四方を囲んでいたのにである。
鈴剣流の奥義 千鳥の舞だ。
素早く鋭く周囲を切りつける技だが、これ程の鈴剣の使い手は大陸に数人しか居ないだろう。
僅かに生き残った弓持ちが背を向けるが、ヴィダードがその背に向けて両手を突き出す。
大きな音が鳴り大地が凹んだ。
風行法 月槌。
圧縮された大気を地に打ち付ける事により、満月の様に丸い跡が出来ることから名付けられた名前だ。
丸く窪んだ地面の上で2つの赤い塊が張り付いている。
「2人とも行法の選択がえげつないぞ。無闇に魍魎を寄せる様な技は使うな。」
「先生。私は後悔しておりません。最も苦しむ方法で殺したいと思いました。」
「・・・」
ヴィダードは特に何も言わなかった。表情に変わりもない。
彼女にとって価値のある物は少ない。そして価値の無いものに対する対応は温度が無く、それだけに苛酷な事も多々あった。
急ぎ森へ引き返す。
「待ってシンカ。」
「・・・」
ヴィダードが声の主を見る。
形だけ見ると優しげな眦が見開いている。女剣士を見降ろしている為、彼女の白目が目の3分の2を占めている。
対する女剣士ももともと強烈な三白眼で見上げている為酷い顔付きになっている。
「シンカ・・・僕がいるのに別の女の人と旅するなんて・・酷いよ。」
「言っている意味が分からない。」
これが女難の相か。会話が通じない。
「助けてくれてありがとう。・・情け無いけど、危ないところだった。」
「うん。鈴紀社での一宿一飯の礼にはなっただろうか。」
「うん。当然だよ。」
微笑しながらこっくりと頷いた。
三白眼だがやはり美人である。
「取り敢えず此処を離れる。岩狼の逸れが近付いている。」
「僕も付いて行っていい?商人は死んじゃったし、シンカと一緒に行けたらいいな。」
ヴィダードが歯を剥いた。
「ナウラ。どうする?」
「何故ヴィーに聞いてくださらないのですかぁ!?」
「だってお前絶対に拒絶するし、その理由も下らないからな。」
「下らっ酷いっ!?」
「いいのではないでしょうか?私よりも前に出会っている様子です。以降であれば文句の1つも言いたいところですが、その資格は無さそうです。」
「悪い事をしている様に聞こえるのだが。」
「そもそも妻を2人以上持とうとしている時点で我らにとっては未知なる計り知れない大罪。聖霊様の御心に反します。ですが、種族が違えば文化も異なります。」
「何故俺がこの様な言い繕いをせねばならんのか未だに理解に苦しむが、そこの女人には一晩寝食の世話をして貰っただけで特にそれ以外に何もない。」
「その割には随分と好まれている様に見受けられるのですが。」
「僕、分かるんだ。この人といた方がいいって。」
出会った時、この女の関係を持てばずるずると引き摺り込まれると感じたが、それ以上だった。出会った時点でおしまいだったらしい。
「取り敢えず行くぞ。剣の血を拭け。」
コブシに向かい始めて直ぐに厄介事の香りがする女を1人道づれにする事になったのだった。
王都に到着したのはそれから7日後だった。
ヴィティアは北と西を山脈に囲まれた国家であるが、層状の石材が近隣の地盤から産出される。
指3本ぶんの厚みの石材を積み上げた建造物でこの王都スライも構成されている。
やや赤みかかった大地に茶の石で作られた都は他の国では見ることの出来ない光景である。
「ではな。」
スライの街に入りユタに別れを告げるとナウラ、ヴィダードを連れて宿に向かった。この町も王城は中心にあり、貴族の邸宅がその周りを取り囲む。
人々は前開きで丈長の上衣にゆったりとした踝までの二股の下衣を身に付け、時折白い円錐状の編笠を被っている人がいる。森渡りが冠る物より深い。
上衣は色とりどりで、女性が暖色で花模様が散りばめられている。男性が寒色に無地か幾何学模様と行った具合で色とりどりで美しい。
王都だけあり歩く人々は皆程度の差はあれこれらの衣服を身に纏っていた。
ナウラは華やかな人々見て気持ちが高ぶったのか、表情は変えないまでも小鼻が膨らんでいる。
地味な色合いの街中を色とりどりの人々が歩いている様子は視覚的に違和感もある。
ヴィティアは一体はドルソ人と言うやや浅黒い肌の民族が収め、南端のメルセテ王国の主な民族であるシガンナ人と隣国ラクサスやクサビナ南部の国家ルーザース、アガスタの多くを占めるアガド人がそれぞれ一割程度を占める。
森渡りの一族は骨格の特徴からドルソ人、シガンナ人、そしてモールイド人は元々は同一人種であり、それが分化したものと考えていた。
薬を下ろし纏まった金を用立てると宿屋を探し出す。
クサビナやその近隣国家と比べるとこの辺りの国々の宿は質が落ちる。
質の悪い宿などは広間に雑魚寝をする形の宿泊となる。
勿論若い女が夜這いされる事も少なくない。
従って貴族や大商人などの利用する宿を取ることにした。
「2部屋取りたいが如何。」
宿屋の女と思われる恰幅の良いドルソ人女性に声をかけると、旅衣装に顔を顰められた。
「安心しろ。先払いする。」
そう言ってこの国で流通している金貨を数枚懐から取り出して掌の上で広げると途端に笑みを浮かべた。
「・・・こんな高い所、僕泊まれないよ・・・」
ぼそっと呟く声の方を見るとユタが立っていた。
と言うより着いて来ていた。気付いてはいたが気付かない様にしていた。
「2部屋かい?3部屋かい?」
「この女のことは知らない。」
「ひどいよシンカ・・・僕だけ仲間外れ?」
「この白目娘がいつ仲間になったのかしらあ?」
「ヴィダードもひどい・・気にしてるのに・・」
自分の三白眼はどうやら気にしているらしい。
「・・・」
さしものヴィダードもそう返されるとばつが悪い様で口を閉ざした。
ナウラやヴィダードと違いこういう場面で口論に発展しない所は好ましいとはおもうが、押しに弱そうな受け答えに反して通したい自分の希望はしっかり押してくる。
「はい。3部屋ね。」
宿の女に勝手に話を進められてしまった。
荷を解き装備を外すと先程の女に風呂について尋ねた。
金を払えば大きな木桶に水を張るとの事だった。
その場で色を付けて支払い一度部屋に戻った。
戻ると部屋にはユタがいた。
「強引だぞ。」
顔を顰めて見遣る。
金にこまっているわけではないから実際に怒っているわけではないが、気分の良いものではない。
「ごめんね・・・でもいっしょに居たかったんだ。」
悲しいかな女に困っていないとはいえ美しい見目の女にそう言われると悪い気がしない。
「何故俺だ。」
「そんなの決まってるよ。強いから。」
何故そんなの分かりきったことを聞くのか、という様にとぼけた表情で小首を傾げた。あざといが、おそらくこの女は自覚していない。
嘘を付けるような性格ではないだろう。
「何故わかる?」
「何故って・・・そんなのわかんないよ・・」
シンカは普段から自身が武術を収めているよう見せていない。
ある程度の力量がある人間からすれば、所作や身のこなし等である程度相手の力量を計ることができる。
例えば重心や体幹が1番分かりやすい。
いつ誰に襲われても良い様に気を張ると、自然と慣れ親しんだ流派の動きを私生活でもなぞってしまう。
すると何も身に付けていない人間よりも重心が下がる。
体幹も同様で、歩行の際に鍛えている人間は身体の芯がぶれない。
兵士や傭兵が玄人然とした動きをする事に問題は全く無いが、それが薬師であれば話は変わる。怪しく見えるのだ。
だからシンカは自身が武術を体得している様に見せていない。
だが、ユタは分かるという。
「これからどうするつもりなのだ?俺達は一月ほどこの街に滞在する予定だが。」
「僕もそうする。魍魎を狩ってお金を作らなきゃ。」
「死なぬ様にな。」
「それでね。シンカにお願いがあるんだ。」
「・・・聴くだけ聴こう。」
「僕に稽古を付けて欲しいんだ。」
「・・・その前に、鈴紀社はどうなった。社の主を打ち倒すことは出来たのか?」
「ううん。何かが足りないんだ。今の僕にはガンジは倒せない。君と出会ってそれが分かったんだ。」
シンカが見るユタは徳位の下位程度の実力は持っている様に見えた。
「僕、ヴィダードにもきっと敵わない。近接なら分があるけど。ナウラには先手を取れば勝てるかな・・。防戦だと厳しいか・・。シンカには勝つ手立てが見つからない。きっとガンジより強い。」
「強い弱いに興味はない。森で生きていけるだけの力があればそれでいい。」
「そうなんだろうね。君ほど力があれば。」
やや吊り目の三白眼がシンカをみつめた。だが眉は困った様に垂れている。
彼女は何を求めているのだろう。何故強さを求めるのか。彼女は嘘はつかないだろう。だが答えたく無い事には答えないだろう。
今言わないのであれば、何をしても答えないのだろう。
シンカの後継者はナウラだ。森渡りとしての全ては彼女に引き継ぐ。
そして自分の子か孫で特に才能がある者を彼女に育てさせる。
ヴィダードはそういう意味では役には立たないだろうし、ユタならなおさらだ。
シンカにはユタを手元に置いておく意味がない。
「お前がなにを望んで強くなりたいのか、俺は聴く気はない。森をお前と共に渡る事は俺達にとって損となる筈だ。得にはならない。」
シンカがユタを突き放すのには理由がある。
森渡りはその存在を秘匿して知識を継承し続ける。
知識には万金の価値がある。それは己が1番理解している事だ。
千余年前、森、山、谷、澤等を生活の基盤とするそれぞれの一族は知恵者として国家の裏舞台に携わっていた。
当時の渡りの一族は、世界の流れゆく行き先を正しい形に向かわせようと、本気でそう考えていたらしい。
魍魎の森。罔象の杜が形作られた経緯を考えればそれは当たり前のことではあった。
同じ惨劇を繰り返さぬ様に。
時の為政者に必要な知識を与え、正しい歴史を紡ごうとしていた。
しかし、人の強欲さは渡りの一族の導きだけでは収まり切らなかったのだ。
森渡りの一族は当時、クサビナに肩入れをしていた。
当時のクサビナは当時中小規模の民族が乱立し小競り合いを繰り広げる戦乱の地であった。
やがてグリーソン一族にその盟友グレンデル一族が寄り添う形で一大勢力を形成するに至る。更にファブニル一族がそこに加わり形勢は不動のものとなった。現在のクサビナ一帯を制圧するべく彼等は戦争を繰り返した。
森渡りはあまり多くの血が流れぬ様、グリーソン一族に寄り添い知恵を授けた。
ある時彼等は秘められた森渡りの知識を求め、彼等を捕らえ、必要とあれば拷問を行った。多くの同胞が命を散らして行った。
森渡りのクサビナ王家に対する憎しみは深い。
同様の事がメルセテでも起こったと聴く。
正確にはメルセテの2つ前の王朝で山渡りの一族が大層酷い拷問の上その数を減らしたという事だった。
此方は800年程前の事だ。
それらの悲惨な歴史から渡りの一族は薬師として身を隠して活動を続ける。
だからこそ、考えの分からない者を懐に入れる事はない。
それがシンカがユタを遠ざけようとする理由だ。
「得に・・・。」
損得を説くことが人間相手に最も有効な交渉となる。
高効力の薬の調剤方法を教えて欲しいと言われる事は多々ある。
ユタはどうするだろうか?
そんな事を考えながら俯くユタを見遣った。
「君の子を産むよ。」
「・・・ん?」
思わず聞き返してしまった。
「シンカの子を産むよ。僕だったら健康な子供を産めるよ。」
「ナウラとヴィーがいる。」
「人間の子供は僕にしか産めない。」
ナウラやヴィダードの種族の事など話した事はない。
だが彼女にはその直感で、2人が人間ではない事が分かったのだろう。
痛い所を突かれた。
生物は長寿であればあるほど出生率が低い。
単純に考えてナウラとの子供は人間相手のよりも妊娠する確率の半分と考えることも出来る。
シンカの人生設計上今から10年の間子が出来ないのは厳しい。
子は授かりものである。
とはいえ10年出来ない可能性があると言う危険をシンカは避けたいと考えていた。
「僕は健康だし、元気で強い子を産めるはずだよ。」
その時勢い良く部屋の戸が開いた。
確認するまでもない。ナウラとヴィダードである。
「シンカ。どういうつもりですか。」
「何がだ。どうせ全て聞いていたのだろう?俺は断っていたぞ。」
「シンカ。私は貴方に教えを受け、育てられ、貴女の一族の一員としての能力を高めて参りました。貴方の心拍数、声の震え。折れかけていましたね?」
「な、なんて事ですかぁ!貴方様の始めての子供はヴィーが授かるのです!これは精霊さ」
「黙りなさいヴィー。貴女ではなく私です。異論は認めません。第1貴女には赤子に乳を与える事が出来ません。」
「で、出来るっ!」
「蓄える場所が無いでは有りませんか。」
「ナウラの乳房は大き過ぎて溜まった乳が循環せず腐ってしまうわぁ」
「負け惜しみは乳を生やしてから言うべきです。」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
また喧嘩が始まった。
「・・でも1つだけお願いがあるんだ。」
ナウラの乳を掴み千切ろうするヴィダードとそれをシンカの教えた格闘術で捌くナウラの無駄に高等な戦いが始まった。
「いいとは誰も言っていないのだが、何故俺の周りには人の話を聞かない女しか集まらないのだ?カヤテなら聞いてくれるのに・・・」
シンカのぼやきはヴィダードの奇声に掻き消される。
「強い男だって証明して。僕を叩きのめして欲しいんだ。」
精霊よ。万物に寄り添い給へ。精霊よ。私の心を守り給へ。
どうして言葉が通じないのだろう。頭がおかしくなりそうであった。
恐らくこの女は普通の人間と決定的に価値観が異なる。きちんと話さなければ致命的な事件に発展するやもしれない。
取り敢えずヴィダードの鼻とナウラの耳を摘んで水浴びに赴く事にした。
汚れを落とすと何時もの通り酒場を目指して暮れ始めた街中を歩いた。
食事は大衆向けの店で取ることにした。
「シンカ。何ですかこの薄いぴらぴらは。こっちの細いものは一体何なのですか。」
この国の料理にナウラは興味深々だ。
「米を砕いて乳液状にした物を蒸し、その後乾かした物だ。細い物も米で出来ている。」
「私、この国の料理は今までの何処よりも好きねぇ。辛いのはあまり好きではないけど。油がどうしても苦手ねぇ。」
「老人か。」
「貴方様ぁ。ヴィーはその冗談あまり好きではないわあ。」
「ヴィーは年増ですから年齢の話しはよした方がいいでしょう。女性に歳の話しは厳禁と言います。」
「・・私はナウラと違って加齢で肉が垂れ下がることは無いわぁ。」
また2人の雲行きが怪しくなる。
「2人ともすごく綺麗だよ?喧嘩は止めようよ・・・」
「・・・」
「・・・」
食卓の上で手を挙げかけた2人が動きを止め、大人しく皿に手を付けた。
同じ台詞をシンカが告げてもこう上手くは行かないだろう。
彼女の個性によるものだ。
「話せる範囲で構わないのだが。」
グレンデルに比べると大分薄味の麦芽酒を一息に飲み干し、口火を切った。
「ユタの出身は何処だ?シメーリア人に見えるが。」
「ランジューだよ。」
「ランジュー人は皆ユタの様に強さを求め、その為なら初対面でも・・」
口籠るとユタは直ぐに口を開く。
が、口の中に物を詰め込み過ぎており暫くは意味のある言葉を発する事ができなかった。
シンカは溜息をついて左隣りに座るユタの口元を布でぬぐった。
「お酒一緒に飲んだよ?それくらい一緒にいれば自分を任せられるかくらい分かるよ?」
「俺には分からぬ。」
「・・そうかもね。それじゃあ分かる様に暫く一緒にいればいいよね?」
そういう事らしい。
「・・・好きにしろ。落伍しても知らないぞ。」
「うん。分かってる。でもシンカはそうなっても助けてくれると思う。そうだと思うから君の子供が欲しくなった。僕だってただ強いだけの粗忽な男はお断りだよ。」
「そういえばリンジ ハイネンという男はどうなったのだ?」
「ガンジの孫だからって強いわけじゃ無いもん。リンジは僕の見た目が好きなだけなんだ。僕の腕はリンジにとっては邪魔なだけ。それじゃあ僕を好きとは言えない。」
「俺も特段ユタを好きなわけでは無いが。」
「シンカは、僕が勝手に君を好きなだけだよ。だって一目で分かるなんて凄いよ。強い人と会うと、色々考える。僕が強いか、向こうが強いか。シンカは直ぐに分かった。10回戦って1回も勝てない。」
「いろ・・いろ・・?それのどこが色々?・・強さが全てなのか?その考え方は好きでは無いな。戦う事が出来なくとも強い人間はいる。」
「分かるよ。心が強い人。頭が良い人。運が良い人。僕だってその位分かるよ。」
「シンカ。こちらの女性はよく分かっています。シンカがユタを選ぶと言うのなら私は受け入れるでしょう。」
「ええ・・」
何がきっかけかシンカには分からないが、ナウラはユタを気に入った様だった。
翌日鍛錬の為に町の外へ向かう3人にユタが同行して来た。
ユタは近くの木の枝を落とすと剣に似せた形に削り落とし、木刀を成形した。
ナウラと組手を行い一息ついたシンカに1本投げてよこした。
「断る」
「どうして?きっと楽しいと思うよ?」
シンカは頭を抱えた。
だが良い機会かもしれない。
ナウラとヴィダードは対人戦における近接戦闘は得意では無い。
鈴剣流の高位者の立ち振る舞いは見ておくべきである。
「取り決めは。」
右の手で木刀を握り問いかけた。
「そんなの・・・そんなの勿体無いよっ!!」
3対7で分けられた柔らかい焦茶の前髪がふわりと風に舞う。
普段の物静かで穏やかな光を揺蕩わせた瞳は見る影もない。
享楽的で暴力的な光が強く輝いていた。
口元は裂ける様に細く長く弧を描き、口角から涎が滴っている。
剣狂いだ。
「ひひひひひひっ、ははははははははははっ!いいよっ!肌がひりひりするよっ!ひひひっ、熱いよ!もっと僕を見て!」
穏やかで軽やかで控え目な声音ではなく濁声で笑い叫ぶ。
直後右足で爆ぜた。羽織っていたランジューの衣装、を一挙動で脱ぎ去りシンカへと投げつけた。
前を合わせ止めていた紐が引き千切れる、切れ端が赤茶の砂地に落ちる。
シンカへ放たれた小袖はユタの姿を彼から隠した。
鈴剣流は泥臭い剣術流派だ。
周りにあるもの全てを使い勝ちを捥ぎ取る。以前シンカが相対した鈴剣流剣士に自身の左腕を犠牲にして勝ちを得ようとした者もいた。
貴族の中には鈴剣流は美しく無いと嫌う者もいる程だ。
放られた小袖の後ろでユタはシンカを打ち倒すべく算段を講じているだろう。
だがその行為に意味は無い。
目で姿が見えなければ耳で音を聴き、鼻で匂いを嗅ぎ、足で振動を感じ、肌で空気の流れを知る。
弟子の目前で負けるわけにはいかない。その程度の誇りはシンカにもある。
地に落ち始めた小袖の下、3尺程の隙間を獣の様にユタが駆け抜ける。
頭を捻って左目で鋭くシンカを見上げている。
だがその三白眼にまず映ったのは木刀であった。
シンカはユタの動きを把握していた。
既に木刀を振るっていたのだ。
期は重なり頭部目掛けてシンカの木刀はふり降ろされていた。
ユタは体を仰向けに地に投げ出しそれを眼前で受け止めた。そのままシンカの足首目掛けて自身の木刀を振るった。
シンカは後方へ下がって躱すとだらりと両腕を落としてユタを見た。背中で地を滑った後勢いのまま逆立ちし腕の力だけで跳ね上がると両足で地を蹴り更に高く跳ね上がった。
体を捻り空中で上下を入れ替えると遠心力まで利用した渾身の斬撃を放った。
天誅。鈴剣流奥義の一つである。その習得難易度は非常に高い。
頭上から振るわれる一撃を、しかしシンカは見越していた。
鈴剣流剣士が飛び上がるのであれば天誅を警戒するのは当然の事だ。
だがそう判断できるのは知っているからだ。
木刀を頭上に掲げ奥義を防いだ。持ち手がびりびりと痺れる。遣り手の証である。ユタは再度体勢を空中で操作しシンカの背後に巧みに着地した。
シンカはそこへ目掛けて体の向きを変えながら逆袈裟切りを放った。
赤茶の目の細かい砂が半円の弧を描きシンカの足の動きをなぞる。
「背、背切り!?」
動揺の声を上げて攻撃の為に繰り出していた木刀でシンカの放った奥義を受け止めた。
足下から立ち上がる土ぼこりが二人の動きにあおられて揺れる。
ユタはすかさず動いた。素早く3撃、そして陽動を挟んで3撃、力強く4撃。
避けられ、または防がれる事前提であり前のめりになる事の無い隙のない連撃だ。
シンカをもってしても反撃を行う隙はなく、丁寧に弾きながら対処して行くしかない。
「・・っ!・・・ふっ!」
流れる様な二振り。それをシンカは大きく後退して躱した。
「えへへへ。全然当たる気がしないよっ!?どうして!?」
怪しく妖艶な息を吐きながら三白眼でシンカを見遣るユタ。
「鈴剣流の戦い方を知っていれば動きの予測はつく。無駄だ。話の最中に砂を顔に飛ばし目つぶしを勧化ているのだろう?俺は目を閉じ鼻と耳でお前の位置と剣を探る。」
「しっ!ふっ!あは、あはははははっ!凄いっ!僕の事斬り伏せてよっ!」
地に木刀を突き刺し砂を跳ね上げる。
シンカが目を閉じると低い体勢で地を駆けた。
シンカはそれを衣擦れと足音で把握する。
「・・・っら!ひゃあはははっ!」
まず膝を狙った一撃を木刀の風鳴りで察知して足を上げて躱す。
目を開けると晒される脳天に木刀を振るう。
「ん?」
躱される。見えていなかったが読んでいたか。
放られた木刀がシンカの顔目がけて飛ぶ。
それを首を傾げて躱すとユタが目前から消えていた。
音も聞こえない。
シンカは左手に向けて飛び退った。
木刀を投げ、視線がそちらに映ったのを利用し死角に移動したのだ。
ユタは手刀でシンカが立っていた位置を薙いでいた。
逆戸切りだ。
「何で行法使わねえええんだよ!この僕が手を抜く程度の価値しか無いってことかあっ!?」
「行法を使い当たれば致命傷となる。体を潰す程の鍛錬を行う事は愚かと言わざるをえない。一日鍛錬を怠れば元に戻すのに3日はかかる。」
「・・・酷いよ酷いよ酷いよっ!あああああああああっははははははははは!もっと強い力でねじ伏せてよ!僕の事傷付けて!」
早い。今まで見た中で最速かも知れない。踊る様に歩を進めながら素早く連撃を仕掛けて来た。12連撃を鋭く素早く、体を巧みに動かし、時には回転まで交えつつ放った技は、再び出会った時に使っていた奥義、千鳥の舞だ。
対しシンカは爪先を開き両手で木刀を構える。
全ての軌道を見切り、それを受けるのではなくなやし、弾く。
王剣流の奥義の一、中州だ。
12撃の剣線を全て左右に流してシンカはずっしりと未だそこにあった。
流石と言うべきかこれ程の技を放った後でもユタの隙はごく僅かであった。
しかしその隙を見逃すシンカでは無い。
す、と右手を突き出す。それはユタの肋と6つに割れた腹筋の狭間に突き刺さり彼女の体をくの字にさせた。
「ひゅっ」
それでも。無呼吸状態で無理に逆袈裟切りを放つ右腕を。右手首を取って流れる様に体を反転。背負い上げて腕を引き、赤茶の大地に叩き付けた。
「っっっ・・・・ぉ・・」
投げられた事など無いのだろう。受け身も取れずユタは悶絶した。
放り投げた小袖の下には鞣し革の胸当と半丈細身の直垂しか身につけていないと。
緊張と興奮、運動で汗が生じ、彼女の剥き出しの腹を艶やかにしている。
腹は筋肉が発達しくっきりと浮き出してはいるものの、女性らしい皮下脂肪は失われずそれがやけに艶かしい。
腰つきもナウラほどではないが括れており撫でがいがありそうだと考えてしまった。
「貴方様ぁ」
賺さずヴィダードがシンカの背後に回り込み背伸びしてシンカの目を掌で塞いだ。
「・・・あぁ・・やっぱり強いよ・・下履きが濡れちゃった・・」
「・・・・」
漸く息が整ったのか口を開く。
「どうして?どうしてそんなに強くなれるの?僕だって努力しできたよ?」
「知らないからだ。」
「知らないから?・・分からないよ・・」
「俺は鈴剣流の手の内を余す事なく知っている。どうすればそれらを退けることが出来るかも。それに、俺たちは人を相手にしている余裕などない筈だ。魍魎どもの相手をしなければならないのだから、人程度にまごつく訳にはいかん。」
「そっか・・・・そっかぁ・・・」
ユタは何かを隠している。
魍魎の中には強い伴侶を求める種が多く存在する。
肉体的な強さを求める事は人間の呼び名で言う鬼人や獣人にもみ受けられる文化である。
人間が異性に求める素養は何であろうか。
金、権力、戦闘力。
人間にとってこれらは力そのものだ。
生きるために必要な要素だ。これらを用いて自身と、その子孫の繁栄を求める。
その挙句に戦争が起こる。生きる為だ。必要な行為なのだ。魍魎が雌を取り合い雄同士で戦う様に、人間は腕力で戦い、金を使って戦い、権力を使って戦う。
シンカは戦争が、人間が知恵を付けた挙句に拡大したせ依存競争であると考えていた。
時には戦争の無意味さを人は嘆くだろう。
だが、人が人である限りこの行為は無くならない。
何故ユタは強い異性を求めるのだろうか。
彼女の戦闘力に対する情念は異常の一言に尽きる。
文化の違いではないだろう。ランジュー人は精強だが価値観は一般的だ。
ユタの力に対する価値観はランジュー人どころか人間を逸脱している。
「ガンジ ハイネンは若い時分に武者修行をして自身を鍛えたと聞く。そう言う意味ではユタが鈴紀社を出て大陸を旅する事は成長の糧になるだろう。」
「・・お願いだよシンカ。僕を強くして下さい。その為だったら何でもするから・・」
「何でもなどと気安く言うな。それに俺は流浪の旅薬師だ。ひと所には居座らない。」
「確かに死ねって言われても、それだけは出来ない。でもシンカは僕が出会った中で誰よりも強い男だから、僕は君にだったら何を望まれてもいいよ。」
「・・理解できん。」
「僕にとっては単純な事だけど・・。でもそれならそれで仕方ないよね。でも、どうか僕に修行を付けて欲しいんだ。ヴィダードとナウラにしている様に、僕にも・・・」
「いや、無理だ。俺はお前に教える事は出来ない。」
「どうしてっ!?やっと見つけた1つだけの伝なんだ!」
ユタは体を起こし腹をおさえながらシンカに食い下がった。
眦が下り憐れみを誘う。
「お前は鈴紀社に所属する鈴剣流の剣士だ。」
「それだと駄目なの?」
「うん。ただで教える事は出来ない。」
「ただ?何か条件があるって事?何?聞かせて?」
「・・・俺の弟子となる事だ。そうなれば俺が認めるまで好き勝手にする事は許さないし、認めたあとでも剣社を開き広く技を広める事は許さない。」
「どうして?」
「掟だからだ。自分を守る為でもある。」
詳しくは説明しない。この条件が飲めないのであれば弟子に、つまりは森渡りの一員と認めるわけにはいかない。
勝手を許せば他の各地に散らばる一族の害となる。
何某かの流派を納めた武人の多くは自身の剣社を開き、門弟を得て高名な剣士となる事を夢見る。
森渡りは薬師にまぎれて世と森を渡る影の一族だ。
自らの出自を広く明らかにする事は許されていない。
シンカもそうあるべきだと考えている。
「僕、それでもいいよ。」
シンカにとってそれは予想外の答えだった。
鈴紀社は鈴剣流の総本山。
発祥の地とされている。
各地の剣社ではなく総本山で力を付けた剣士は誇り高く、その出自を重んじている。
それをユタは安安と捨てると言う。
「泥に塗れ、虱が付く長い森の旅を繰り返す。女にとっては辛いものになる。」
「鈴剣流の剣士は敵をたおす為なら泥沼にだって潜むよ。」
「・・・俺の目を見ろ。」
シンカは跪きユタに顔を寄せた。
「・・・こんな所で?」
顔が赤い。勘違いをしている。まじめな話をしている最中だ。僅かに苛立つ。
腕を取り、手首の脈を取る。
「大切な事だ。俺の言いつけは必ず守ってもらう。勝手なことは許さない。いいか。」
「うん。言う事聞くよ。」
「剣社を開くのは諦めろ。これから教える事を広める事は許さん。すれば、俺が自ら粛清する。」
「うん。大丈夫。でも君と真剣でやりあって斬り殺されるのもきっとき持ちいい。」
「・・・」
「ご、ごめんね!冗談だよ・・・許して?」
多分冗談ではない。
息遣いに異常はない。脈も同じく。当然心音の変化もない。瞳孔も正常。発汗も先の運動異常のものは無い。
嘘はついていない。誤魔化してもいない。
「・・・努努約束は違えるなよ。」
「うん。分かった。シンカの言う通りにするよ。・・じゃあ今夜は君の部屋に行くね。」
「うん?・・来るな。」
「どうして?僕は君に負けたんだ。僕はずっと強い力でねじ伏せられたらその人の女になるつもりだったんだ」
「知らん。」
猛り狂う鬼の様な形相のヴィダードがシンカの腕を取り、脈を取っていたユタの腕と引き離した。
ユタは落ちていた小袖を羽織ると街へと駆けて行った。
「シンカ。」
ナウラが隣に来てそっとシンカの腕を抱いた。
「ユタにはお導きが下ったのでしょうか?人にはお導きは下らないのでは?」
「そうだ。・・人には様々な価値観がある。彼女の何かが俺を求めたのだろう。好意か、打算か迄は分からんが。」
「打算なら私は彼女を許しません。」
「ありがとう。」
ナウラの頭を撫でるとヴィダードが不貞腐れた。
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