第104話


 後日。

 合宿から無事帰還した俺は、お土産をせびる美優ちゃんをいつだか購入したチョコレートで餌付けしつつ、空調の利いた部屋でゴロゴロしていると、上郡からのチャットが入る。

 夏休み中であるにも拘らず大学に来ているらしく、いつもの場所に来いとの指示である。


「えー、悠馬どっかいくの?」

「ああ、文芸部の関係でちょっと大学にな」

「ほーい、気を付けてねん。帰りにアイス買ってきて~。ハーゲンダッツ~」

「ざけんな居候」

「えぇ~、じゃあジャイアントコーンでいいよ」

「それならよかろう」


 あられもない格好で(それがどんな格好かは本人の名誉のため、口を噤ませてもらう)ソファーに寝そべる美優ちゃんに見送られ俺は家を出た。

 燦燦と降り注ぐ陽射しに目を細めながら、大学へと自転車を漕ぎ進める。


 夏休みの図書館はやはりというべきか閑散としていた。ゼミの課題に追われる一部の生徒を除けば、お盆の時期に大学を訪れる人間の方が珍しかろう。

 人が少ないせいか、館内はいつもより寒く感じた。


 5-6ルームに到着すると、中には既に上郡が待ち受けていた。

 Tシャツと短パンにサンダルとかなりラフな格好でパイプ椅子に腰かけている。


「まあ、どうせこの格好ですからねえ。あまり取り繕っても仕方ないので」


 あっけらかんとした様子でそう口にした上郡の足首にはテーピングが巻かれていた。それ以外にも身体中に残る細かい擦り傷と切り傷が痛々しい。


「しかし、呼び出してから到着まで随分早かったですねえ。そんなにわたしに会いたかったのですか?」

「アホ言え。偶々だよ。今日は偶々、偶然、奇跡的に家でゆっくりする日だったんだ」

「なるほど、つかぬ事をお伺いしますが今週のご予定は?」

「……今週はかなり気温が上がるみたいだからな。無理はしないご予定だ」

「へえ、じゃあ暇人なんですね」

「……」


 相変わらずストレートにグサッと来ることを言うなあ。

 確かに夏休み全体で見ても、今のところバイト以外にはろくすっぽ予定も入っていないけれども。

 一切疑う余地のないほどに暇人だけれども。


「せんぱいはご実家には戻らないんですか?」

「ん、本当はそのつもりだったんだけど、ちょっとした事情があってな」


 事情というのは、もはや何度目の説明かもわからないが、またも美優姉が親父さんと喧嘩し我が家に居候しているというものだ。

 理由を聞いてもイマイチ要領を得ない回答しか返ってこず、ひたすらに「あんたは黙ってあたしを泊めなさい! 泊めなさいったら泊めなさーい!」と我儘令嬢のような立ち居振る舞いをするのが我が従姉である。

 まあ、ぶっちゃけた話、彼女を置いて俺だけ家に帰ってもよいのだが、放っておくのも不味かろうというささやかな良心が働いたのと、そこまでして実家に帰るインセンティブもないということで、とりあえずはぐうたら生活を継続している次第であった。

 ちなみにこのお盆期間については、元々は実家に帰る予定だったためバイトのシフトも入れておらず、本当にぽっかりと予定が空いてしまっていた。


「ふぅん、そうですかそうですか」

「俺の予定のことはどうだっていいんだよ。そっちは足、大丈夫なのか?」


 妙に納得したように頷く上郡の言葉を遮り、俺は彼女の容態を確かめる。


 旅館に戻ってから改めて見た彼女の足首は赤く腫れあがっていた。骨に異常がないことは見た目からも、本人の言葉からもなんとなくわかってはいたものの、軽傷という言葉では済まないことは一目瞭然であった。


 相変わらず、上郡は他人事のようにあっさりとした口調で答える。


「それほど酷いものじゃないみたいです。走ることは流石にできないですけれど、気を付けていれば歩くくらいは大丈夫かと。安静にしていれば一週間くらいで痛みも引いていくだろうとお医者様は言っていました」

「そうか……それは本当、不幸中の幸いというか、あの高さから滑り落ちてよくそれで済んだなあ」

「途中途中で草木に引っかかったのも大きいですね。一直線に下まで落ちていたら、さしものわたしも骨折くらいはしていたかもしれません」

「……」


 正確に測ったわけではないものの、滑り落ちた距離の全長でいえば二十メートルを優に超えていただろうから、ストレートに滑落していれば間違いなく『骨折くらい』という表現では済まなかったはずである。

 それは滑り落ちた上郡自身が一番よくわかっていると思うのだが、こいつの自信は一体どこから来るのだろうか。


「ま、大した怪我にならなかったことについては、丈夫な身体に産んでくれたご両親と神様に感謝って感じだな」

「いえ、丈夫な身体に育ったのは自分の努力の結果なので両親にも神様にも感謝はしません」

「いや、それくらいはしとけや」

「わたしが感謝するのは、わたしを助けてくれた人にだけ、です」


 そんな、感謝された方がこっ恥ずかしくなるようなストレートな表現を、まっすぐ俺の眼を見つめながら言葉にしていく上郡。

 気のせいかもしれないが、彼女にしては珍しく緊張しているようにも見えた。いつものような上げて落とすということもしなければ、無駄に俺を腐すこともない。彼女は只管に、自分の気持ちを俺に伝えようとしているような、そんな気がした。


 ……なんだろう、この状況。

 なんだろう、この雰囲気。


 今までにない上郡の様子に、俺はほんの少し戸惑いを覚える。

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