第13話

 夜風が攫ったはずの汗がつうとこめかみを下る。

 ジッと俺を見据える双眸。期待と不安が入り混じる瞳を直視できず、たまらず俺は視線を背けた。

 心臓の鼓動が佐藤さんにも届いてしまうのではないか、そう思うくらいの早鐘を打つ。

 指の先まで体の隅々に走る緊張に、俺は身動き一つとることができない。


 俺は、別に漫画の鈍感主人公じゃない。

 自分に向けられる好意が、友情かそうでないかはわかる。

 学園祭以降、佐藤さんの俺に対する感情の変化には気づいていた。


 佐藤さんは良い子だ。誰とでも合う性格、顔も可愛い。彼女が本気を出せば、大抵の男と付き合うなど造作もないだろう。

 それでも、


 だからこそ、彼女と平塚が結ばれればいいと、そう思っていた。

 期待に応えてあげることができないという罪悪感、俺が平塚を後押ししていたのは純粋に応援する気持ちからだけではなかった。

 彼女が――俺に告白してくるなんてことがなければいい、そんなことを考えていた。

 俺は卑怯で、醜く、汚い。


『こんな思いをするくらいなら、いっそのこと――』

『ごめんね、悠馬くん。――ができなくて』


 閉ざしたはずの記憶がフラッシュバックする。

 心が暗く、黒く、深く淀んでいく。


「……」

「……ね、なんか言ってよ」


 いつまでも固まっている俺をみて、フッと一歩距離をとる佐藤さん。

 いつもの彼女からは想像できない不安を帯びた声音。

 それは奇しくも半年前にこの公園で聞いていたものと同じだった。


 俺はわずかに弛緩する。

 ゆっくりと口を開き、それから言葉を探す。


「ありがとう……そしてごめん」

「……」

「俺は、その想いに応えることができない」

「……好きな人がいるってこと?」

「そういうわけでは、ないん、だけど」

「……どうしてか、理由だけ聞いてもいい?」

「……ごめん」


 理由を聞かれても俺は答えることができなかった。

 俺は彼女の期待に何一つ応えることができない。


 俺が彼女の想いに気づいていたように、きっと彼女も俺の気持ちを理解していたんじゃないかと思う。

 今日、ここで告白をしたとして俺がそれに応えることはないとわかっていた、と思う。


 それでも、俺の家に出入りする女性の影を見て、想い入れのある公園を目にして、気持ちが止まらなくなったということなのだろう。俺ごときが彼女を理解したつもりになるのは、本当に烏滸がましいのだけれど。


 だからこそ、俺は女性の影を否定してはいけなかった。上手いことはぐらかして、匂わせをすることで遠ざけることだってきっとできた。

 そんなことをしなくてもきっと大丈夫だろう。甘えた楽観視。

 俺が逃げたことで彼女に責任を負わせてしまった。


「……うーん、そっか! あはっ、まあわかってたけどね~。実際に聞いちゃうと、いやーきついね」


 佐藤さんは困ったような笑顔を一瞬垣間見せた後、顔を伏せ、くるりと後ろを向く。


「ごめん。先、行くね。愛澤の部屋から荷物だけ持って今日は帰るから、ちょっとだけ戻ってくる時間、遅らせてほしい、かな……」

「……わかった」


 俺の言葉を聞き終えるとうつむき加減のまま走り去る佐藤さん。その背中はすぐに見えなくなっていった。

 緊張から解放された俺は近くのベンチに力なく座り込む。


 結局俺は、から何一つ成長していない。

 燦燦と降り注ぐ月の光が、今だけは恨めしく感じた。


 *


 10分ほど経った頃合いだろうか、そろそろ行くかと重たい腰をあげたところでスマホが着信を知らせる。


『ねえ、ちょっと。さっき、サトちゃんが目を真っ赤にして戻ってきて、そのまま荷物持って帰っちゃったんだけど、何があったの?』


 電話越しに結月さんの困惑が伝わってくる。


『あのさ、もしかしてさ、?』


 それは疑問形にしては随分と確信めいた口調だった。

 もしかしたら佐藤さんは裏で結月さんに相談でもしていたのかもしれない。それでも、まさかこのタイミングでというのは結月さんとしても想定外だったのだろう。


「……うん、たぶん想像通りだよ」

『――そっか。とりあえず私は今からサトちゃん追いかけるから、愛澤くんは早めに戻ってきてね』


 そう短く言い残すと通話が切られる。

 佐藤さんのケアを結月さんがしてくれるというのはほんの少しだけ俺の心を軽くした。しかしやはり足取りは重い。特に平塚にはどう説明したものか。

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