第12話

 住宅街のど真ん中に位置する至って普通の公園。そこには古びたブランコと簡易的なベンチのみが設置されていた。

 昼間には近所の子どもたちが遊ぶ姿をよく見る。

 彼らにとっても、きっとこの場所は思い出になっていくのだろう。そんなことを考える。


「ね、愛澤は楽しかった?」


 何が、とは聞かなかった。


「うん、大変だったけど、なんだかんだ楽しかった。高校の頃はあんまり活動的じゃなかったから、なんだか新鮮だったよ」

「あはっ、なんか意外~」

「高校の頃は陰キャだったからな~」

「え、高校の頃?」

「今も陰キャだと言いたいのかね、キミ」


 あの頃と同じように、ご近所に声が届かぬよう、小さく笑いを噛み殺す佐藤さん。

 月の光が差し込む。夜の陽光が照らす佐藤さんの横顔は、街灯によるものとは明らかに異なる雰囲気を醸し出していた。


「私はね――はっきりいって楽しくなかったよ」


 佐藤さんは憂いを帯びた双眸を空に向ける。


「ダンス部なんて言ったって一人で全員分の振り付けを考えたことなんてなかったし、みんなに教えられるほどダンスに自信なんてない。正直、早く終わってほしかった」


 俺だけが――おそらく文芸部の中で俺だけが知っている。

 この公園で佐藤さんが流した涙の数。いつもは気丈に振る舞う彼女がプレッシャーに押しつぶされそうになる瞬間。

 それは俺の責任だ。彼女にあまりにも多くのことを頼りすぎていた。


「たぶん、愛澤が助けてくれなかったら逃げ出してたかも」

「俺は何もしてないよ。佐藤さんが自分の力で助かっただけだ」

「そんなことない。愛澤がダンスやってた友だちに頼んで振り付け案を一緒に考えてきてくれたこと、私の知らないところでみんなの個別練習すべてに顔を出して指導してくれてたこと、全部知ってるんだ」

「――そういうのは言わないのがお約束だろ。つか、なんで振り付け案のこと知ってるんだよ」

「愛澤が相談した経済学部の子、私の高校のダンス部仲間なんだ」

「世間狭いな~」


 佐藤さんはこちらに向き直る。


「あの時はありがとう。それだけ言いたくてね。この公園みたらなんだか思い出してさ~」

「そっか」

「なんか湿っぽくなっちゃった。ごめんごめん。帰ろ!」


 そう言って俺に背を向け、公園の出口に向かって歩き始めたところで再停止する。


「――そういえば、みーちゃんが言ってたことの意味、わかる?」

「言ってたこと?」

「ほら、女の匂いがするってやつ」

「ああ、あれ。いや、正直何が何やら」

「玄関にね、長い髪の毛がたくさん落ちてたの。あと玄関のサイドにかかってた可愛らしいスリッパ、あれどう考えても来客用じゃなかったし」


 なんてことはない、俺の凡ミスだった。

 掃除も片づけもしたつもりだったけど玄関まで手が回っていなかった。


「ね、彼女ができたならそう言えばいいのに。どして隠すの?」

「いや、そういうわけじゃなくてさ」


 ここまで来たら別に隠し通す話でもないだろう。そう判断した俺は美優姉のことを簡単に説明する。

 大学の近い従姉が遊びに来ること、つい昨日も来ていたこと。


「なーんだ、つまんないの」

「いや、つまるつまらんの話でもないだろ」

「まあでも変な火遊びしてたわけじゃなくて安心した、かな?」佐藤さんは今一度、こちらに向き直る。

「大学生にそんな遊びする金はねえよ」

「お金あったらやるんだ~、やらし~」


 何気ない会話。

 けれど、ここにきてようやくこの後の展開を予感した。

 そして自分の言葉の過ちに気が付く。


「――ほら、早く帰ろう。ビールがぬるくなっちゃう。もう一度買い出しするのは勘弁だ」


 手に持ったビニール袋の持ち手をグッと握りしめ、一歩踏み出したところで――


「ねえ、愛澤ってさ、私たちと距離作ってるよね」

「……え、いやそんなことは」

「だってさ」


 こちらに一歩にじり寄る佐藤さん。

 その迫力に押され、俺はあとずさりする。


「こうやって近づいたら離れてくし。同期なのに未だに『さん』付けだし。私たちっていうか女子に対してだけパーソナルスペースが大きいというか、そんな感じ」

「……」

「ね、どうして?」


 なにかを言おうとして、言葉に詰まる。

 なにか?俺は一体何を言えばいい?思考は堂々巡りする。

 空虚な呼吸だけが喉奥をついて出る。


「愛澤はズルいよ」


 佐藤さんはまた一歩、距離を詰める。

 気が付けば、俺のすぐ後ろには公園の植え込み。


「私の言いたいことがわかってるのに――ううん、違う」


 佐藤さんはかぶりを振る。


なのに、知ってて距離を取ろうとする」


 また一歩詰められる距離。

 俺にはもはや逃げ場はない。


「このままだと何も言えないまま遠ざけられちゃいそうだから、言うね」


 気が付けばお互いの吐息が聞こえるくらいの間合い。

 俺は動けない。


「私、愛澤が好き」

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