第67話

「サトちゃん、愛澤くんが可哀想だよ~」


 佐藤さんのさらに奥からひょこっと結月さんが顔を覗かせる。


「サトちゃんの気持ちもわかるけどね~。でも、あんまり弱いもの愛澤くんをいじめちゃだめだよ~」

「いま弱いものと書いて愛澤って読まなかった?」

「ん、そうだね、ごめん。いじめるつもりはないんだ。ただ、愛澤って叩いたときの跳ねっ返りが面白いからついへこませたくなっちゃって」


 その発言が何よりのいじめだろう。


「まあまあ、二人とも落ち着けって。それより、向こうについたらどこに行くか考えようぜ」


 唯一の良心である平塚が上手く場をとりなし、会話は合宿の話に移る。

 みんなが平塚のように穏やかな性格になればもっと生きやすいのに、主に俺が。


 と、まあそんな感じで何事もなく会話をしているけれど、内心、結月さんとどのようなスタンスで話せば良いのか、俺は距離感を測りかねていた。


 結月さんと会うのはデート以来初めてである。と言っても、僅か一週間前のことであり、そこまで昔の話という感覚はない。


『だから、きっと私は――愛澤くんのこと好きになれないんだ』


 別れ際に結月さんが放った一言が俺の胸に重くのしかかる。

 万人に好かれたいと思っているわけではないけれど、しかし面と向かって言われるとさすがに堪えるものがある。


 結月さんはそう言ったきり「じゃあねっ、また合宿で!」と、颯爽と改札をくぐりホームへと消えて行ってしまった。SNSで連絡するのもなんだかおかしな気がして、結局、彼女の発言の真意を確かめることは未だ出来ていない。


 いや――真意もなにも、それはただ言葉通り、額面通りの発言なのかもしれないけれど。

 眩しすぎる――彼女はそんなことも言っていた。


「あー、あー、テステス。んじゃ、今回の合宿で書いてもらう原稿テーマ発表するわよ」


 車内に響くマイクの音が、思案に沈む俺を現実に引き戻す。

 喋っているのは、部長で四年生女子の相楽さがらさんだ。フルネームは相楽美南海みなみ、だったか。部内では色々な面でイニシアティブをとるタイプの人間で、去年の文化祭でダンス大会への参加を強行したのも彼女の一存だった。

 四年生たちは後方の座席に陣取っているため顔は見えないが、彼女の性格的に後部座席ど真ん中に鎮座しているに違いない。


「今年はキーワードはなし! その代わりジャンルは『ホラー』か『サスペンス』にすること! 短編でも長編でも可! 合宿の最終日までに共同メールボックスへ投書するように! 夏らしく、私を震え上がらせるような面白い作品を作りなさい! 以上!」


 そう言ってブチッとマイクが切断される。

 私を震え上がらせるようなと付け加えるあたり、最高に相楽さんらしい。


「ホラーか……どうすっかな。書いたこと、どころかホラー小説自体読んだこともねーや。平塚は?」

「うーん、俺もスティーブンキングとか、一部の有名作者くらいしか目は通してないからな。純粋な猟奇的ホラーか、ミステリーを融合させた怪奇ものにするか、まずはそこが迷いどころかも」

「ミステリーねえ」


 綾辻行人の一部作品なんかはそのジャンルだろう。そこらへんは俺も読んだことがある。

 しかしこのお題は、割と大変そうだ。夏合宿、目いっぱい使うことになるかもしれないな。

 そう考えているのはどうやら俺だけじゃないらしい。ざわざわと、特に一年生の方からは困惑の声が広がっていく。


 伊豆到着まではまだ二時間ある。それまでの間、少し考えてみよう。

 小説のこと、結月さんのこと、これからのこと。


 俺は隣の平塚に聞かれぬよう小さく嘆息すると、窓枠に肘をつき窓の外に目をやる。

 まるでラピュタでも隠れていそうな大きな真夏の入道雲が、ゆっくりとこちらに近づいてきていた。



 時は少し遡る。


「なるほど、そんなことがありましたか」


 結月さんとのデートの翌日、俺は大学から少し離れた喫茶店で上郡と落ち合っていた。

 正直なところ疲れていたこともあってできれば次の日はゆっくりとしたかったのだが、報連相はビジネスマンの基本ですよね、とプレッシャーをかけてくる上郡に屈し、物理的にも精神的にも重たい脚を引き摺って喫茶店へ向かったのである。


 しかしまあ、俺としても結月さんの去り際の一言が心に残っていたわけで、このまま一人でいるとなんだか悶々としそうで、上郡と会うこと自体は全くの吝かではなかった。

 着席するなり経緯を催促する上郡に対し、俺は順を追って説明する。無論、最後の最後まで。


「ふうん、結月さんとイチャイチャできてよかったですねえ」

「ねえ俺の話聞いてた? 今の話からそんな感想になるのおかしくない?」


 ズズズとアイスティーを啜りながらこちらにジト目を差し向けてくる上郡。

 俺としては去り際の一言の真意について相談したくて、そこを重点的に報告したつもりだったのだが。

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