第四章 合理主義には敵わない

第66話


 文芸部の合宿は伊豆半島の宿泊施設で行われる、毎年恒例の行事である。


 三泊四日の旅程ではあるが、運動部などの合宿と違って練習メニューのようなものは当然存在しないため、日中は基本的に自由時間となる。

 一日中酒を飲んでいるグループもあれば、近くの海や飲食店に出かけたりとアクティブに過ごすグループもあり、その過ごし方は自由だ。グループも基本的には学年単位で構成されることが多く、半ば同期と旅行しにいく感覚に近い。


 無論、完全な自由旅行というわけではなく、合宿期間中には一つの『テーマ』に基づいた原稿作成がノルマとして課されており、部誌の号外版としてまとめられることになっていた。どうやら、大学公認の部活動の一環として合宿を行う以上、何かしらの成果物提出が求められているようだった。

 但し、大学からこの合宿に対する活動資金の支援が為されるというわけではない。完全自己負担である。なので、個人的にはそうした状況下で部誌発行だけが一方的に求められるという点はあまり腑に落ちないのだが、部として大学の名前を借りている以上はまあ仕方のない事情なのだろう。


 部誌の『テーマ』はその年の部長が決めることになっている。

 それが「恋愛」や「SF」などのジャンル縛りの年もあれば、「花火」や「向日葵」といった夏に関連するキーワード縛り/ジャンル不問の年もあり、その発表は合宿の当日に為される手筈となっている。

 ちなみに、昨年の合宿では「宿題」がテーマとして設定されていた。なぜだか読書感想文の課題をこなしている気分になったことを思い出す。


「オーイ、一年~。全員そろってるかあ?」

「ええと、二年の方があと一人寝坊してるらしくって……」


 そんなやり取りが聞こえてくる。


 というわけで今日が合宿初日である。

 合宿所へ向かうためのバスを貸し切っており、今は出発前点呼の最中だった。


 空は晴れ渡っている。絶好の合宿日和と言いたいところだが、外で何かの練習をするような部活でもないので晴れていようがいまいがあまり関係なかった。


「ねえ平塚くん、隣に座ろう! なっ!」

「わかった、わかったってば」


 いつも冷静でフラットな平塚が若干引き気味だった。

 ないとは思うが、万が一女子の隣に座るようなことがあれば二時間が個人的地獄と化すためである。


 ようやく人数が揃い、予定から十五分遅れでバスが出発した。

 窓際に陣取った俺の隣には予定通り平塚が座り、通路を挟んだ反対側には佐藤さんと結月さんの仲良し二人組が腰かける。

 ちなみに上郡たち一年生は前方だ。


「平塚、上期はどうだったよ。フル単いけそう?」

「ん、まあたぶん大丈夫かな。全部A評価ってわけにはいかないだろうけど、そこそこって感じ。そっちは?」

「俺も四捨五入すればフル単だな。あぶねー、ギリギリだったよ」

「四捨五入している時点でフル単じゃないだろ。絶対二つくらい落としてるじゃないか」

「平塚、世の中には物理的フル単と精神的フル単というものがある。お前が言うそれは物理的フル単だ。確かにお前は単位自体は取れたかもしれない。でもさ、取れるとわかってて取れた単位にお前は満足できるのか? 違うだろ? 単位を取れるか取れないかわからない、そんな死地を駆け抜けた先に掴める単位こそ真の単位だと思わないか? 確かに俺はお前よりも物理的単位は少ないかもしれないが、けれどそれを補って余りある真の単位をより多く取れたと思う。だから俺は胸を張るんだ、精神的フル単なんだと」

「延々となんの話をしているんだよ。つーか四捨五入関係ないじゃん」


 と、まあ益体もない会話をしていると、平塚の頭を越えた奥側からクスクスと笑い声が聞こえてくる。


「愛澤って、去年も同じこと言ってたよねっ」


 佐藤さんは屈託なく笑う。

 ここ最近になって、ようやく俺と佐藤さんの関係性も元に戻りつつあった。無論、佐藤さんの心情を考えれば、以前と全く同じというわけにはいかないだろうが、しかし少なくとも、一時期のように露骨に会話が減るといったことはなくなっていた。

 彼女の中で折り合いがついたのか、俺のことがどうでもよくなったのか、ほかに好きな人ができたのか、あるいはそのすべてかもしれないが、いずれにせよまた馬鹿話をできる仲に戻れたというのは個人的にはとても嬉しい。


 だからといって俺の行いがチャラになるわけでもないし、俺が楽になることなんて許されないけれど。

 彼女の気持ちが少しでも楽になったのであれば、それは素直に喜んでいいことなのだと思う。


「ん、そうだっけか? ふふっ、まあそうだったかもしれんな。なにせ俺は一年次には既にこの真理を体得していたからなあ」

「あはは、そうやってよくわからないこと言って煙に巻くのはうまいよね~、ホント。一度したからよぉくわかるよ。いやあ、誤魔化しの方法が堂に入っていて思わず御見逸れしちゃうなあ」

「あっ、いやっ、き、恐縮です……」


 言外にそこはかとなく毒を感じる……。

 そこはかとなくというか下手に触れば致命傷になりそうな猛毒だった。


 佐藤さん、こんな自虐するタイプだっただろうか……。

 明らかにパワーアップして帰ってきたようだった。

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