第65話

「……えっ?」


 思いがけない俺の強い言葉に、結月さんは驚いた様子でこちらを見つめる。


「結月さんの言葉を否定するようで申し訳ないけどさ、高いかどうかとか、暗くなっちゃうかどうかとか――俺に対して悪いとか、そんなのは諦める理由にはならないだろ。そんな言葉で――諦めていいものじゃあないだろ」

「……でも」

「それに、今日は俺が結月さんをもてなす日だ。どんなことがあっても最後まで付き合うよ」


 一度、すべてを諦めて投げ出して、そうして後悔した俺だからこそ。

 現在進行形で後悔している俺だからこそ。

 目の前で誰かが何かを諦めるのを、ただ黙って見ていることなんてできない。


 俺には何の取り柄もないし、彼女に対して何かを与えられるような人間じゃあないけれど。

 それでも俺には俺の矜持ってもんがある。


「結月さんはプラネタリウムに電話したら……そうだな、あとはどこか涼しいところで待っててくれ。今日くらいは――かっこつけさせてもらうよ」



 結論から言えば、結月さんのイヤリングは程なくして見つかった。

 どうやら歩いている最中に落としていたようなのだが、どこかの親切な人が、踏まれたりしないように拾って、そばの郵便ポストの上に置いてくれたらしい。

 あまり信心深いタイプではないのだが、しかしこうして特に目立った傷もなく見つかったというのは、ひとえに結月さんの普段の行いの良さゆえだろう。

 これが俺だったらきっと見つからなかったはずだ。俺はそういう星の下に生まれていると自覚している。別に普段の行いが悪いとまでは思っていないのだけれど。


「……ありがとう、愛澤くん」

「お礼なら俺にじゃなくて、拾ってくれた親切な方に対して、だな。俺は何もしてないよ」

「うん……ごめんね」

「謝られる筋合いもないよ。俺は何もされてない」


 俺たちはSNSで示し合わせ、最寄りの駅の改札で落ち合う。しかし、シュンとした様子の結月さんも珍しい。


 結月さんと一時別れてから一時間とちょっとが経過していた。既に陽はほとんど沈みかけている。

 暗くなる前に見つかったのはまさしく幸運と言うほかないだろう。あとちょっと動くのが遅ければ見つからなかったかもしれない。


「謝らないといけないのはむしろ俺の方。俺がもっと結月さんのことを見ていたら、落としたことにすぐに気づけたかもしれないし」

「うーん、それはそれでちょっと恥ずかしい感じもするけどね」


 結月さんは小さく笑う。

 きっと励ますための冗談だとでも思っているのだろうが、彼女をあまり直視できなかったのは事実にほかなかった。


「うん、でも今日一日で愛澤くんのこと、もっと理解できた気がするよ。愛澤くんはどんな時でも、誰に対してでも愛澤くんなんだなって」


 結月さんは俺から受け取ったイヤリングを大事そうに鞄にしまいながら、そう口にする。


「ん、そうか。そいつは重畳――って言っていいのか?」

「ううん、それはどうかな」

「おいこら」

「あはっ、冗談だよ。でも、愛澤くんが優しいなあって思ったのはホント。デートスポットの件にしろ、イヤリングの件にしろ――ホント、底抜けに優しいよね、愛澤くんって」


 しかし言葉とは裏腹に、結月さんの声には感情の起伏が見えない。


「……別に、そんなことないだろ。俺は自分のやれることを、やりたいと思ったことをやってるだけだ。優しいとかそういうのじゃないよ。それに、それを言うなら結月さんだって十分に優しいと思うけど」

「ううん、私のはただ傷が深くならないように抑えてるだけ。これ以上傷が広がるのを防いでいるだけ。傷にならないように動くことなんて、私にはできないし、やろうともしないもの。だって、傷を作らないで生きていくことなんてできっこないって、私はそう思ってるから」


 傷を作らず生きること。

 それが難しいことは俺にだってわかっている。

 俺の心に深く刻まれたが、それを強く証明していた。


 だからこそ、少しでも傷つく人が減ればいいと、そう思う。


「……そんな大それたことじゃない。大袈裟に言いすぎだよ」

「大袈裟、ね。うん、そうだね、そうかもしれない。でも、そうだとしてもやっぱり私にはできないことだから、私にとって愛澤くんは眩しすぎるんだ。だから、きっと私は――」


 納得したように頷いた結月さんはフッと彼方へ視線を逸らす。


「――愛澤くんのこと、好きになれないんだ」


 改札を行きかう人々の足音が、イヤに大きく聞こえた。

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