第64話


 プラネタリウムからの帰り道。

 陽は傾き始めてはいるが、しかし月が輝き始める時間まではまだ少しかかりそうだった。夏の陽の長さを実感する。

 うんざりするようなセミの鳴き声が辺りに木霊する。

 俺たちが歩くこの場所は、間違いなく都会と表現して差し支えない街であり、周囲には緑らしい緑も然程見当たらないのだが、この鳴き声は一体どこから聞こえてくるのだろう。


 夏はまだまだ始まったばかりという感じで、この時間になっても依然としてうだるような暑さは続いていた。

 涼しいプラネタリウムでまったりした後だったせいか、余計に暑さを感じるようだった。

 なるべく日陰の部分を選ぶようにしながら、俺と結月さんは並び歩く。


「は~、プラネタリウム楽しかったあ。この情報が出たときからね、ずうっと行きたいなあって思ってたんだ。連れて行ってくれて本当にありがとうね」

「喜んでいただけたようでなによりです、お嬢さま」

「結構大変だったんじゃない? 整理券確保するの」

「いやあ、別に大したことなかったよ。すんなりゲットできて拍子抜けしたくらいだ」

「ふうん、愛澤くんは早起きが得意なんだねえ」

「……まあな」


 結月さんは含みのある笑みを浮かべる。


 別に、前日から待機していた、みたいな苦労があったわけでもない。始発で並びに行くなんてのは大した話でもないだろう。

 そもそも、そういう裏事情は往々にして言わぬが花というやつだ。


 ただまあ、結月さんの表情を見る感じ、整理券確保のために何時から並ばなければいけないのか、SNSなどで彼女も情報を得ていたのかもしれない。

 彼女もこのイベントに参加したいと考えていたのだから、それは不思議でも何でもなかった。


「ま、デートに誘ったのはこっちだし、俺の行きたいとこにも来てもらったわけだからおあいこってことで」

「……あはっ、そういう感じね。なるほどなるほど~」

「あん? なんだよ」

「別にぃ、愛澤くんは優しいなあって思っただけ」


 ひとりでに納得したような言葉を並べると、結月さんは歩調を速め俺より一歩前に踏み出す。

 くるりと器用に半回転すると、悪戯っぽい笑みをこちらに向けてくる。


「そうやってみんなに優しくして、いろんな女の子を口説いてきたんでしょうねっ!」


 おい、嫌味か?

 喉元まで出かけた言葉を飲み込む。

 事情を知らない彼女にそれを言うのは流石に大人げないし、フェアでもないだろう。


「なーんてねっ! 愛澤くんの考える理想のデート、とっても楽しかったよ。ありがとう」

「お、おお……まあ、あそこまで大見得切ったわけだからな。俺なりに、ちょっと本気出させてもらったよ」


 とはいっても、ただ水族館とプラネタリウムを訪れただけなのでそんなに誇れるような内容でもないのだが、しかし結月さんにはある程度満足してもらえたようだった。


 無論、このデートだけで彼女の心を解きほぐすのは難しいだろう。

 ただ、結月さんのことを知ることで、結月さんに俺のことを知ってもらうことで、彼女にとって何の気も遣わなくてもよい存在になれたら。

 互いが好きな場所をデートスポットに選んだのも、そう思ってのことだった。

 しかしまあ、正面から楽しかったと言ってもらえると、冥利に尽きるというか、さすがに照れるな。


「――あっ……」


 小さな呟きとともに、不意に前を歩く結月さんの足が止まる。


「どうかした?」

「あ、いや、ううん……」


 歯切れの悪い声。

 そちらに目をやると、彼女は手を左の耳元にやっていた。


 そこには何もない。

 あるはずのもの――彼女が父親からもらったイヤリングがなくなっていた。


「落としちゃったのか?」

「うん、たぶん……どこで落としたのかな……お昼食べたときにはあったんだけど」

「じゃあ、プラネタリウムへ向かう途中か、館内、それかここまでの道すがら、って感じか」

「そう、だね……」


 結月さんは伏し目がちに頷く。彼女の左手は、未だ所在なさげに耳元に添えられている。

 そこにない何かを探すように。


 さしもの彼女も動揺しているようだった。

 しかし言葉尻には迷いが見て取れる。

 迷い? ――何に?


「おけ、とりあえずプラネタリウムまで戻ろう。大丈夫、きっと――」

「――ううん、

「えっ?」

「失くしちゃったものは、よ」


 結月さんは顔をあげ、俺の言葉を遮る。

 それはまごうことなき諦めの言葉。

 どこまでも現実的な彼女の――絶念の意思。

 俺は、思わず歯噛みする。


「……でも、お父さんからもらった思い出のイヤリングなんだろ? お気に入りの――イヤリングだったんじゃないのかよ」

「うん……でも、いいんだ。そんな高いものでもないし。それに、もうすぐ暗くなっちゃうし、きっと見つかりっこないから、愛澤くんにも申し訳ないよ」


 最後の最後にこんなことになってごめんね。

 結月さんは努めて明るい雰囲気で、そう言う。


 しかし彼女の瞳は、未だ諦めと希望の間で揺れているように見えた。


 ……人間、そう簡単に割り切れる生き物じゃないもんな。その気持ちはよくわかるよ。

 だとしたら、俺がかける言葉は、俺がやるべきことは、たった一つだ。

 

「一応、プラネタリウムに電話だけしてみるよ。横になったときに落ちたのかもだし。そこになかったら……まあ、しょうがないかな~。今日のところは大人しく帰ろっか」

「――悪いけど、お断りだ」

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