第37話
「いったぁ~」
俺は思わず座り込み、蹴られた脛をさする。オーバーではなく、本当に痛い。こいつ痛みのツボを理解してやがる。そりゃ弁慶も泣くわ。
美優ちゃんは心配そうに俺の顔を覗き込む。
「どうしたの? 大丈夫?」
こいつサイコパスか?
俺は涙を我慢して顔を上げる。
「ちょ、ちょっと、マジでナニゴト? なにその格好、好きな人でもできた?」
「あのね、玄関先でお話してるとご近所さんの迷惑になっちゃうかもだから、家に入れてもらってもいい、かな? ありがと~!」
回答を待たず勝手に自己完結し、延々と脛をさする俺を押し退けて玄関に上がり込む美優ちゃん。
こういうところはいつも通りである。
ご近所さんの迷惑考えるならそもそもドアをガン蹴りすんじゃねえと声を大にして言いたい。
美優ちゃんは綺麗にミュールを揃えると、お邪魔しまーすと小さく呟き、リビングへ歩みを進める。一つ一つの所作に落ち着きと遠慮を感じ、失礼な話ではあるが鳥肌を禁じ得ない。
会わなかったこの数週間のうちに礼法を身に付けた可能性はあるが、そもそもこの人の場合は俺に対して礼儀が必要ないと思っているきらいがあるので、いずれにせよ様子がおかしいことには間違いなかった。
戦々恐々とする俺を尻目に、ゆったりとした動きでソファーに腰かけた美優ちゃんは、ニコニコと
「悠くんも座りなよ。立ちっぱなしだと疲れちゃうよ?」
「……床でいいよ」
「ソファー座り心地いいよ? 隣においでよ」
俺のソファーだから座り心地は知ってるし、そもそもそんなに座り心地の良いソファーではない、などという野暮な突込みはとてもじゃないができそうになかった。
有無を言わせぬ雰囲気に背中を丸めながら、おずおずとソファーに腰かけると、美優ちゃんは自然な流れで肩を寄せ体重を預けてくる。
期せずして恋人のように並び座る形となる。
美優ちゃん含め家族に対してだけは
この心臓の鼓動が、トキメキから来るものなのか恐怖から来るものなのか、今の俺には判別がつかなかった。
美優ちゃんは俺の左腕に自身の両腕を絡め、ギュッと胸元に引き寄せる。
ふんわりとした柔らかな感触が肘のあたりを包み込む。
「ん、悠くんの匂いだあ。えへへ」
あ、これは恐怖の方ですね。
何をしているかわからない、何をしてくるかもわからない相手というのはこれほどまでに恐ろしいのだと、まさに身をもって体感している。
美優ちゃんはそのまま俺にしなだれかかるようにしてソファーに沈み込んだまま動かない。
俺は俺で美優ちゃんに拘束されているため身じろぎすることも難しい。
胸元に絡めとられた腕は間接技を極められる一歩手前のもはや人質状態であり、感触を楽しむ余裕もない。
「あ、あの、美優さん? 一体全体、何が起こってるんでしょう?」
「んー、なにがー?」
「いや、なにがじゃなくて」
「んふふ~」
「痛い痛い!」
美優ちゃんはより一層俺の腕を強く抱きしめる。関節技一歩手前から関節技に突入する。
肘がギシギシと軋む。もやしっ子である俺の腕などたちどころに折られてしまいそうだ。
「よっ――」
「おわっ」
美優ちゃんは小さな掛け声とともにソファーの背もたれ側に俺の腕を強く引き込む。
腕を拘束されてバランスもとれない俺はあえなく引き倒され、先ほどまで美優ちゃんが座っていたであろうその暖かみを顔面で感じる。こう表現するととんでもなく変態に思えるが、実際問題、不可抗力以外の何物でもない。
美優ちゃんは俺と入れ替わるようにして身体をスライドさせ俺の腰辺りに足を回すと、そのままストンと自身の腰を落とす。いわゆる馬乗りの姿勢、マウントポジションというやつだ。
不安定なソファーの上ということもあり、女性とはいえ容易に押し退けることはできそうにない。もちろん、強引に退かせようと思えばできなくもないのだろうが、彼女に対して手荒な真似をするつもりは毛頭なかった。つまりこの状況をどうにかする手段は全くもって思い当たらない。
スカート越しの温かくやわらかな重みを腹筋のあたりに感じる。
「――ねえ、悠くん」
美優ちゃんは上半身をこちらに傾け、俺の顔を挟み込むようにして両腕をソファーに沈み込ませる。
必然、俺は腰だけでなく顔も固定される形となり、近づいてくる美優ちゃんから顔はおろか目をそらすことすらできない。
超至近距離にまで迫る彼女の体温と吐息を感じ、俺は気づかれないようにそっと息を飲む。
美優ちゃんはいたずらっぽくも艶やかな笑みを浮かべ、ゆっくりとその桃色の唇を開く。
「ちゅー、しよっか?」
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