第21話

「いや〜、昨日は大変でしたな〜」

「……悪かった。なんというか、世話になった」


 明るく笑う結月さん。

 俺は素直に頭を下げ、謝意を伝える。

 面倒をかけた、手間をかけた、そんな言葉はきっと違う。世話になったというのが最もしっくりくるワードだ。


「改札ギリギリでサトちゃんに追いついてカフェで話したんだ。まー、だいたい予想通りの話だったけど」

「佐藤さんの様子はどうだった?」

「うーん、どうかな。ひとしきり泣いて、喋りたいこと全部喋って、一応帰り際には復活してた感じだったけど、きっと一人になったらいろいろ考え込んじゃうんだろうな。そう簡単に吹っ切れる話でもないし」


 まあ、そうだよな。

 今後、俺と会うのは、俺以上に気まずいと考えているのだろう。

 俺の存在が彼女の大学生活に影響を及ぼすことはあってはいけないと思う。

 彼女が文芸部に顔を出せるよう、俺の立ち振る舞いも考えなければいけない。場合によっては、部室へ顔を出すのも少しの間控えた方がいいかもしれないな。


 そんなことを考えていると、真面目な顔で俺の顔をじっと見つめる。


「一応言っとくけど、今回のことで愛澤くんが責任感とか感じる必要ないからね?別に付き合う付き合わないなんて個人の自由なわけだし、サトちゃんだってわかってるよ。逆にこれで愛澤くんが文芸部に顔出さなくなったら余計サトちゃん傷つくと思うから」


 まるで俺の心を見透かしたように釘を刺される。

 どんだけ顔に出やすいんだよ、俺。


「サトちゃんはきっと大丈夫。子だから、時間はかかっても立ち直るよ。ゆっくり待ってあげればいいと思う、いつも通りに接してね」

「そう、だな」


 いつまでも立ち直ることができず逃げ続けている自分からして見れば、どうすれば人は立ち直れるのか明確な答えはわかっていないのだけれど、人一倍物事が見えている結月さんがそう言うのであればきっと大丈夫なのだろう。


「むしろ私としては愛澤くんのほうが心配だったんだけどね」

「ん、どういうこと?」

「だって、愛澤くんって立ち回ってたでしょ?」


 何でもないように投げかけられたその問いかけに、冷水を浴びせられたように身体が硬直する。

 表情が引き攣っているのが自分でもわかる。


「愛澤くんってさ、常に女子と一定の距離を置いてるじゃない? それって女子から好意を持たれないようにやってたんじゃないのかな。なんでそんなことしてるのか理由はわからないけどさ……でも今回それがうまくいかなくて、サトちゃんのことを傷つけちゃった、って落ち込んでるんじゃないかなって思ったんだ」


 彼女もまた、上郡と同じように現実を恐ろしく正しく認識していた。俺の行動なんて、彼女たちからしたらピエロも同然で、最初から全てお見通しだったのかもしれない。

 でも、と結月さんは続ける。


「なんだか意外と大丈夫そうだね? 今日は愛澤くんを慰めるつもりで来たんだけどな〜。昨日あのあと何かあった?」

「……別に、なにもないよ。落ち込んだのは事実だけど」


 上郡との協力関係ことは内容が内容だけに言うのは憚られた。上郡の言葉を借りればハーレム計画だからね。もちろん、その通りにするつもりは毛頭ないけれど。

 必然、俺の回答はしれっと誤魔化す以外なくなる。


「そう? まあ思い詰めてる感じじゃなくて安心したよ。さっきも言ったけど今回は愛澤くんに何の責任もないからね。半分以上サトちゃんの暴走みたいなものだしさ……ホント――」


 そう断言した結月さんは遠くを見るように目を細め薄い笑みを貼り付ける。

 それは、先ほどまでとは明らかに違う、酷薄な笑みだった。



「――無理だってわかってたのになあ」



 それは誰に向けたものでもない呟きのようにも聞こえ、一瞬のうちに自分がこの世界から消え失せてしまったような錯覚に陥る。

 そこには、いつもの結月さんに感じていた、跳ねるように快活な音はない。これまでに聞いたことがない、酷く現実的な声色。

 だからこそ、とても冷たく哀しい響きを覚えた。


「結月さん、それは――」

「とにかく! 愛澤くんはこれからもちゃーんと部室に顔出すこと!サトちゃんと会ってもキョドったり変に気を遣ったりしないこと!オケェイ!?」


 何事もなかったかのような結月さんの声音が俺の言葉を遮る。

 それは触れてほしくないという明確な拒絶。

 いいだろう。そちらが距離をとるのであれば、俺から無理に詰めることはない。


「イエスマム!」

「うら若きレディに対してマムとは何事かあ!」



「考えたんですが、やはり最初は女子とお出かけするところから始めるべきかと」


 明けた月曜日、俺と上郡は図書館棟の五階6号会議室にいた。

 年季の入った家具からは、差し込んだ陽の光で焼けて据えた木のにおいと、少しのカビ臭さが混じった図書館特有の懐かしいにおいを感じる。

 広さは部室とそう変わらない。しかしあまり利用者がいないからか、ところどころにうっすらとホコリが積もっていた。


 この会議室が使われていないのは空調が存在しないからだろうと予想する。

 あるいは使われなかったからこそ空調を設置しなかったのか。

 開け放った窓からは初夏の風が舞い込み、むわっとした夏の熱気を攫って行く。

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