第22話

『今後会うときはせんぱいのおうちは避けましょう。万が一誰かに見られてわたしが通い妻してるなんて噂になったら計画に支障をきたします。良さそうな場所には心当たりがあります』


 俺たちが協力関係となった金曜日の帰り際、どこまでも合理的な理由でそう断った上郡が代わりに提案してきたのがこの会議室だった。


 図書館棟の五階は最上階にあたる。五階の書棚にも当然ながら本は格納されているのだが、医学部の無いうちの大学にはおよそ縁遠そうな医学系の学術書や小難しい英語の蔵書が並べられており、利用者は少ない。

 しかもこの会議室は蔵書室からも階段からも遠い最奥に位置していることもあってか、利用者どころか存在を認知している人間の方が圧倒的に少ないだろう。現に俺も上郡から教えられるまでは全く知らなかった。


 この部屋であれば密会が見つかる可能性は低く、仮に誰かに遭遇したとしても言い訳は立ちやすいだろう。階段から降りていくタイミングをずらせば遭遇リスクも極小化できると考える。

 そんなわけでこの図書館棟五階6号会議室――通称5-6ルームが俺たちの作戦会議室と相成ったのである。


「女の子と手を繋ぐのにも、キスをするにも、まずはデートからですね。単純接触効果というやつです。今のとこ、せんぱいのパーソナルスペースがギャグみたいに広くて、物理的にも心理的にも誰もせんぱいに近づけていないですからね」


 窓際の椅子に腰かける上郡が饒舌にまくしたてる。

 これまで俺の方から距離をとってきたのだから当然の話だ。地道に好感度を高めていく必要がある。佐藤さんの場合は学園祭のとりまとめという共通項があったからこそだ。


「でもだからこそ俺がいきなりデートなんか誘ったら警戒されるだろ?」

「それはまあそうでしょうね。せんぱいがウサギさんであることを知らない子からしたらオオカミさんだと勘違いされちゃうかもですね」


 上郡がクスクスと上品に笑みを零す。

 いい加減、ウサギさん発言に対しては男として異議を申し立てたいところだが、現状、事実以外の何物でもないので何も言えねえ状態である。


「というわけで、大学生らしく飲み会といきましょう。そこで女の子と隣同士座ってみるのです。あわよくば、そこで次の遊びの約束をできればベターですし、なんならお持ち帰りしちゃっても大丈夫ですよ」

「できるわけねえだろ、ウサギさん舐めんなよ」


 しかしファーストステップとしては妥当なところだろう。

 隣同士なんて距離に女の子がいる状況なんてここ数年はほとんど経験していないので、不安の方が圧倒的に大きくはあるが。


「さて、そうなると問題は誰をターゲットにするかですね。多少なりとも関係の素地があると捗るんですけど」

「そう言ってもな〜。話す頻度が多いのは結月さん、佐藤さんくらいなもんだけど」


 当然ながら佐藤さんは選択肢に入ってこない。


「いいんじゃないですか、結月さんで。そりゃ付き合うとなったらハードルは高いですけれど、同期ですし理由さえつければデートくらいまでなら普通に乗ってきてくれると思いますけどね」


 自分で言うのもなんだが、俺と結月さんの関係はそう悪くないとは思う。

 というより、基本フレンドリーな結月さんではあるけれども、どうにも一定以上男子への距離を詰めることはしていないようにも思える。

 俺にはあんな風に言っていたが、その実、結月さんも似たようなものではないかなんてことを考える。


 まあ、彼女の場合は端麗すぎるその容姿ゆえにこれまで不快な経験をしてきたのかもしれない。きっと、その中で異性との距離の取り方を習得したのだろう。異性と見るや全力ジャンプで遠ざかる俺なんかとは根本的に事情が違うはずだ。

 俺が仲良く見えるのはあくまで相対的なもので、俺から距離を詰めようとしないからこそ、彼女の方から安心して歩み寄ってくれているということだろう。要は安牌扱いに近い。


 だからこそ、俺がデートなんかに誘った日にどんな反応を見せるか予測がつかない部分もある。


「このわたしでも結月さんの真意は測りかねます。せんぱいのウソが狐のお面だとすると、結月さんの場合は鉄仮面ですね。せんぱいが結月さんをひん剥くの、楽しみですね」

「言い方よ」

「わたしが思うに、結月さんは常に本音を隠しています。そこにはきっと彼女なりの信念と線引きがあるはず。その琴線に触れることができれば、ワンチャンあるかもですよ」


 結月さんと懇ろな関係になりたいかどうかはともかくとして、俺はその片鱗に触れていることを自覚している。

 土曜日、そこにはいない佐藤さんに向けて放たれた空虚な言葉は間違いなく結月さんの心の一部だった。


 一体、結月実里とは何者なのか。


 常に周囲に気を配り、状況を察知し、適切な差配で人間関係を好循環させるコミュ力お化けの彼女は一体どの地点にいるのか。


 これはただの直感であり、ともすれば傲慢でもあるが、思うに彼女は俺自身と同種の人間なのではないだろうか。

 自分が変わるために彼女の真髄に触れてみたいと、そう思った。


「では、せんぱい、取引といきましょう。諸々のセッティングはお手伝いするのでメンツ集めだけお願いしますね。わたしからのお願いは……そうですね、この部屋の掃除、お願いしますね」


 上郡がにこりと微笑む。それは取引成立の合図だ。

 しかして、結月さんをターゲットに作戦がスタートしたのであった。

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