第17話
「……え、どういうこと?」
数秒考えてはみたものの、発言の意図が理解できなかった俺は思わず問い返す。
一瞬、何かの冗談かと勘繰るも、彼女の真面目くさった表情をみてそうではないのだと思い至る。
「端的に言えば、わたしがせんぱいのトラウマ克服をお手伝いします、ということです」
「や、端的にまとめすぎてよくわからないんだけどさ」
依然として神妙な面持ちで続ける上郡さんだが、彼女の行動原理がイマイチ見えてこない。
別に彼女を信頼していないとかそういう話ではないが、行為の裏付けが理解できない取引には100%背中を預けることは心理的にも難しい。
そりゃ、当然ながら、俺だってこの状況はなんとかしたい。
けれど、医者のもとに赴いても、彼らにもらったアドバイスを実践しようとしても、なかなかトラウマ克服は進まなかった。
遅々として進まない状況に対し投げかけられる『ゆっくり、少しずつ慣れていけばいいんです。焦る必要はないんですよ』という常套句はもはや気休めにすらならない。
果たして、プロであり、金銭という最も信頼できる行動原理を抱える彼らでさえ対処できないこの問題を、一大学生がどうこうできるのかという点も正直疑問だ。
そんな俺の心中を察してか、上郡さんは言葉を繋いでいく。
「もちろん、ロハではないです。これはあくまで取引、対等関係。持ちつ持たれつというやつですね」
そう言って上郡さんは右手と左手をパンッと叩き合わせる。
「ん、んー……まあその前提条件を一旦飲み込んだとして、具体的にどういう形でお手伝いとやらをしてくれるのかな?」
「いくつか考えていることはありますけれど、せんぱいにはわたしのお膳立てで色んな女の子を取っ替え引っ替えして、手を握ったり、デートをしたり、そういうイベントをこなしてもらおうかと」
「感じ悪い計画だなあ」
「最終的には愛澤ハーレムを築き、文芸部一同から白い目で見られるのです」
「そこまで計画に入れてんの!?」
そりゃ実際にそんなヤリチンムーブかましたらそうなるだろうけども。
というか一人の女の子に近づくことすらできないのに、どうやって複数人を相手にしろというのか。
「まあ最終的に誰かしら一人でも仲良い女の子を作れたらミッションコンプリートなので、ハーレムに拘るわけではないですが、やはり女の子に慣れたいなら少なくとも最初のうちは幅広くアプローチすべきだと思うのです。もしかしたら、中にはせんぱいが近づいても平気な、運命の女の子がいるかもですし」
そう簡単には進まないと思うが、しかし俺としても考えさせられる話ではある。
彼女の提案に乗るかはともかく、俺自身これまでこの問題に対して本気で向き合えていなかったように思う。自分自身に対して失望して、傷つくことを恐れて、女性とは一定の距離を保ってきた。
自分の殻を守るという意味では失敗ではなかったかもしれない。けれども決して成功ではないとわかっている。現状ただの対症療法でしかないし、このままでは根治することはないだろう。
だがあと一歩踏み出すには、俺が上郡真緒という人間を知らなさすぎる。
先ほど彼女が見せた申し訳ないという表情に嘘偽りはないように見えた。しかしそれだけの事実で誰かを信じられるような人生は送ってきてはいない。性善説なんてものはこれっぽっちも信じちゃいない。
この世には絶対的な善も悪も、味方も敵も存在しない。あるのは人間どうしの相対的な立ち位置の違いだけだ。
俺は俺個人の尺度の中で、彼女を信じられるか測りかねている。
俺は改めて彼女の顔を窺う。
彼女は一体どのような人生を歩んできたのだろう。人形のように整った顔立ちの裏には、誰も知りえない苦労が隠れているのだろうか。
そんな俺の視線に試すような空気を感じたのか、上郡さんはふぅと一つ息を吐きだし、意外にも緊張した面持ちで語り始める。
「わたしも、同じように悩みを抱えて苦しんでいた時期がありました。もちろん、せんぱいが抱えるそれとは重さが全く違いますし、比べていいものではなかったのですけれど」
小さな声で紡がれる独白は、これまでのどの言葉よりもスッと胸に入り、俺の心に溶け込んでいく。
俺は黙って次の言葉を待つ。
「きっと、未来永劫この思いを抱えていくんだと、そんなことばかり考えていました。でも、ある人に助けてもらって変わることができました。たぶん、その人にとっては取るに足らない出来事だったと思います。今はもう遠くに行ってしまって会えない人ですし、きっとそんな出来事があったことも覚えていないでしょう。それでも――間違いなく、わたしは救われたんです」
それらの言葉に嘘はないと確信できた。
性善説なんてくそくらえと思っているが、それでも必死な人間が真摯に紡いだ言葉を否定するほど落ちぶれてはいない。
「人は些細なことでも変われるとわたしは思っています。だから、わたしに賭けてみませんか?」
少し恥ずかしそうにはにかむ彼女に、不覚にも胸がときめいた。
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