第1話

 俺、愛澤悠馬がに初めて会ったのは大学二年次の新歓コンパだったと記憶している。

 初対面の時の印象ははっきり言ってこれといったものはない。

 大人しそうな子だなとか、可愛らしい子だななんてことを思った記憶はあるが、精々その程度だった。

 もしかしたらもっと別の何かを思った可能性はあるけれど、現時点で心当たるものがないのだから、やっぱり特別な何かはなかったのだろう。


 新入生歓迎係の一人として対応に当たっていたわけで、正直に言ってそれ以上の何かを考える余裕なんてなかった。

 先輩や同期の中には、むしろ初々しくて、何も知らない新入生こそチャンスとばかりにスタートダッシュを決めていたやつもいたが、講義やバイトに加えてを抱えていた当時の俺は、そんなことに現を抜かす暇もなかった。


 こういうところの要領の良し悪しが彼女の有無にそのまま直結しているのだろうし、自分としても当然に彼女が欲しくないというわけでもないわけだったから、そうしたスタートダッシュを決められるやつを羨ましいとも思ったし、自分のダメさ加減に少し落ち込んだことを思い出す。


 自分の記憶が確かなら、はそうした喧噪に巻き込まれることはなかった。

 決して浮いているわけではなく、かといって中心にいるわけでもない、どこにでもいるような地味目な女の子という立ち位置をその時点からキープしていた。


 地味な服装に地味な髪型とはいえ、顔自体は当時から抜群によかったわけなので、それはそれで声をかける男もいそうなものだが、積極的に彼女を作りたがっていた連中は既に恋人をゲットしていたか、または別の子にアプローチ中だったし、残った連中は自分から積極性を見せるタイプでもなかったから、上手いことデッドスペースに入り込んだという印象だ。


 今思い返せば、当然それは猫を被っていたということなんだろうし、誰よりも自分のを貫きたいあいつからしたら目論見通りだったのだろう。

 ただ、それ以上に近づき難いオーラがあったというのもまた事実だった。


 全員が感じていたかはわからないけれど、少なくとも俺個人としては彼女の言葉の端々から常人とは違う声色が聞こえていた。

 包み隠さず言えばあまり自分の得意なタイプではなかったし、向こうとしてもきっと同じ感想を持っているんだろうな、なんてことを思っていた。

 だからこそ、今こうして、こんな関係になるだなんて夢にも思っていなかったんだ。


 話は大学二年の5月に遡る。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 


 猛勉強の末に希望する大学の経済学部に入学を果たしてから二度目の春を迎えた。

 この大学は自分でいうのもなんだが全国的に見てもそれなりにレベルは高くて、各界隈で活躍するOBも多数輩出している。


 元々然程成績が良いわけではない俺にとってはかなり高めの志望校だった。

 高校自体もそこまでレベルが高くない、ごく一般的な水準ということもあり、この大学への入学者は年間数人いるかいないかといったところ。

 当然ながら進路相談では本当にこの大学にするのかと何度も教師から聞かれたが、模試の結果を少しずつ上げることでその声を小さく押し留めていった。


 その頃は他に打ち込むものがなかったのも奏功したのだと思う。

 当時は帰宅部だったし、趣味と呼べる趣味も読書やスポーツ観戦程度で、皆が少しずつ受験を意識し出す高校二年の途中からおよそ一年半にわたって勉学に傾注することができた。


 個人的には努力が必ずしも理想通りに実るわけではないと思っているタイプではあるけれど、幸いにして今回の努力は最良の結果に結実してくれた。

 入学して一年が経過し、正直に言って高校生活で学んだことの半分以上は既に記憶の奥底にしまわれてしまっているけれど、臥薪嘗胆の一年半はとても忘れられそうにない。


 きっと受験を経験した皆が似たような思いを抱えていることだろう。


「愛澤ァ! 原稿まだかあ?」

「すんません! もう上がります!」


 先輩の粗野な声が俺を現実に引き戻す。

 意識をモニターの内側に溶け込ませ、タイピングの手を加速させる。


 俺は大学の文芸部に所属している。

 サークルではなくきちんとした部活であり、大学から部室と機材が割り当てられている。

 今現在5月末に発行する部誌に向けて絶賛作業中だ。


 部誌といっても決まった文字数やフォーマットがあるわけじゃない。

 純文学を連載している人もいれば、ラノベ基調の短編を掲載する人もいる。

 一応、ショートショートやポエムの掲載もアリではあるのだが、割と真面目に取組する人が多い。


 その理由は、うちの大学、特にこの文芸部が出版業界に対して強いコネクションを持っていることが大きいのだろう。

 毎年大手出版社に数人が入社しており、OBOGは数えきれない。部誌は卒業生の彼らに対してもオンラインで配信されており、必然的に目も止まる。

 要は絶好のアピールになるというわけだ。もちろん、良い文章を書けるやつが編集者として必ずしも優秀というわけではないのだろうけれど、判断材料が少ない就活では必然的に大きなファクターとなりうる。


 そうした事情もあり、3か月に一度発行する部誌は手を抜くことができない存在となっていた。

 文芸部の中には当然作家志望の人間もいるが、わざわざ難関大学に入ってきたということは、それ一本で飯を食っていくのは難しいことをどこか理解していて、きっと普通の就活と両睨みで活動していくのだろう。


 ちなみに俺は編集者志望でも、作家志望でもない。

 運動部にも、ワイワイ系の活動サークルにも入る気がなかった俺は、ただ単純に読書好きだからということで文芸部に入部した。

 確実に言えるのは、俺は編集者の器ではないし、ましてや作家になる実力なんてない。

 今もこうしてたかだか数ページの原稿に四苦八苦しているのだ。

 人によっては毎度の部誌に数十ページの原稿を提出してくるのだから、才能と熱意の違いを改めて理解させられる。


 そんなことを考えながら最後のタイピングを終え、ざっと文章を見直す。

 大丈夫、タイポはなさそうだ。内容はともかく、めちゃくちゃな修正指示が入ることはきっとないだろうと一人納得する。


「遅くなりました! 確認お願いします!」

「ん」


 校閲担当の先輩にデータを送ったことを伝え、グッと背筋を伸ばす。

 それなりに広い部室には、俺と同じように締め切りに追われ、モニターと睨めっこする部員が数名残っている。

 この時期に部室で作業をするメンツは毎回ほとんど同じだった。

 きっとこいつらは夏休みの宿題も駆け込みで片づけていた連中なんだろうな、と自分のことを棚に上げて苦笑する。


 さて、一仕事片付いたところだし甘い飲み物でも買ってこよう。

 ついでにこの同志たちに対してコーヒーでも買ってきてやるか。

 そんなことを思いながら俺は静かに部室を後にした。

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