第71話


 大広間では宴会が進んでいた。

 スタートしてからは既に一時間半が経とうとしている。


 皆が寝間着に近いラフな格好に身を包み、テーブルの上で思い思いの缶を握りしめ、アルコールを煽りあう。潰れることも厭わずガンガン飲み続けられるのは合宿ならではと言う感じだった。

 まさしくドンチャン騒ぎといった様相を呈しており、これが貸切でなければ苦情待ったなしであったことだろう。


「ふぅ……」


 多少、というかだいぶ酔いの回った俺はひとり大広間を離れ、近くの休憩スペースに置かれたソファーに腰かける。


 目の前はガラス扉となっており、一歩外に出ればそこは庭に続いていた。

 ふとソファーから立ち上がり扉を開け放つと、網戸を潜り抜け、じめりと湿った風が吹き込んでくる。

 熱帯夜と言うこともあってかさすがに凡そ涼しい風と呼べるものではなかったが、それでもほんの少しだけ、酔いが醒めていくような気がした。


 結月さん曰く、明後日の夜が伝統的七夕の日だ。

 昼間はあれだけ晴れていたにもかかわらず、空には分厚い漆黒の雲がかかり、星は見えそうにない。

 デネブは、見えそうにない。


「せんぱいせんぱい」

「おおっ!?」


 外の景色をぼーっと眺めていると唐突にクイクイと袖が引かれ、俺は反射的に飛び退く。

 振り返るとTシャツにジャージという装いの上郡真緒がこちらを見上げていた。


 この俺が近づいてくる足音に気づかないとは。

 こいつ忍者か?


「む、せんぱい驚きすぎじゃないですか」

「……いや、絶対驚かせるつもりで足音殺してたろ」

「バレましたか」


 上郡はそう言って悪戯っぽく口角を上げる。

 彼女もそれなりにアルコール接種していると思われるが普段と表情は変わらない。

 思えば、宅飲みや飲み会で何度か同じ卓を囲っているが、上郡が酔っぱらったところは見たことがない。常にしれーっとした顔でレモンサワーを飲み続けている印象だ。


「上郡って結構酒強いのな」

「そうなんですかね? 飲酒歴が短いのでよくわからないです。まあ、確かに酔っぱらって記憶をなくすという経験はしたことがありませんが」

「上郡が酩酊している姿は想像できないな……」

「こないだの飲み会の時のせんぱいみたいな醜態を晒すのはさすがに抵抗がありますね」

「その言い方やめてくんない」


 現在進行形で酔っぱらいながらする会話ではないような気もするが、しかし上郡と話しているとなんだか楽しくなってくる。会話の波長が合うというべきか、テンポよく言葉のキャッチボールが続く感じがする。

 まあ会話の半分くらいは罵倒なので、ともすればキャッチボールというよりピッチング練習に近いかもしれないが。


 無論、ピッチャーは上郡である。

 こいつの場合は常に三球三振を狙ってそうだ。


「んで、上郡はなんでここに? 酔い覚まし、ってわけじゃあないんだろ?」


 そう尋ねつつ、俺は改めてソファーに腰を下ろす。

 使い古されたソファーのスプリングがギシリと軋む。


「せんぱいが出ていくのが見えたので。ちょっとお話でもしようかと」

「お、おう……」


 上郡は顔色一つ変えず即答する。

 そのストレートな回答に俺は少し面食らう。


 いや、上郡が直球回答するのはいつも通りではあるのだけれど、こうやって時たまど真ん中にボールを放られるとドキリとしてしまう。

 これがツンデレというやつか。

 ……多分違うな。


「同じ合宿に来ている人間が、たまたま二人して夜風に当たりにきただけです。それは別に珍しくない、そうでしょう」


 そう言いながら、上郡もソファーにストンと腰かける。

 俺の真隣に。


「……あの、上郡さん。近くないですか?」

「もう夜中ですからね。小さな声で話さないとです。なので、近くに座るのは当然なのです」


 上郡はコソコソと声を顰め、俺の耳元に囁きかけると、膝を折りたたみ体育座りのような格好でソファー上にちんまりと座りなおす。


 それは上郡にしてはなかなかに強引な理論のようにも思えたが、まあなんでもいいかと思考が停止。

 アルコールが入っていると大抵のことはどうでもよくなるというか、どうにも頭を働かせることが難しい。


 それに、上郡が隣に座ることに対して不思議と居心地が悪いと感じることはなかった。

 肩と肩が触れ合いそうな至近距離にいるにも関わらず、身体が硬直することはなく、ごく自然な精神で彼女と並び座ることができている。

 これも――アルコールのせいなのだろうか。


 そんな考えを心内に秘めつつ、俺たちは暫くの間、二人してじっと窓の外を見つめていた。

 遠くの方で皆が騒ぐ声が聞こえる。


「なあ、上郡」

「はい、なんでしょう」

「合宿、楽しめてるか?」

「ふふっ、初日に訊くんですね、それ」


 そう言って涼しげに笑う。

 特に何も考えずに投げかけた質問ではあったのだが、確かに到着してたかだか数時間で聞くことではなかったかもしれない。


「んじゃ、言い直すけど、文芸部って楽しいか?」

「はい、そこそこ楽しめてますよ。わたしが塩対応しても皆さん優しくしてくれますし」

「塩対応は自覚してんのな。まあいいけどさ」

「まあ、わたしの容姿が優れているというのが大きいのかもしれないですけれど」

「それは自覚してても口に出さんでいい!」


 上郡はソファーの上で抱えた膝に側頭部を乗せ、下から俺の顔を覗き込むようにしてこちらを見上げる。


「それに、せんぱいもいますしね」

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