第44話
そんなひと悶着はさておき、俺も自宅から持ってきたノートパソコンを机上に広げる。
しかし、上郡と二人きりでいるのに、特に作戦会議をするでもない時間というのはなんだか新鮮な気分だ。
思えば、上郡とまともな世間話をした記憶がほとんどない。作戦会議をしているときは上郡自身が余談を好まないというか予断を許さないというか、つまりは本題以外のことはあまり話さない。
折角、仲間になったんだ。お互いのことをもっと知るいい機会かもしれない。俺は意気込んで口を開く。
「なあ、最近調子はどうよ」
「普通です。抽象的かつ目的のない質問は生産性がないので好きじゃないですね」
開幕十秒で心が折れる。
「あ、いやごめん、そうだよな、へへっ」
「……もうっ、なんなんですか?」
上郡は仕方ないとばかりに顔を上げる。
こいつ、実はめちゃくちゃ優しいんじゃなかろうか。
「わたしにレポートを中断させたからにはさぞ実のある話をしてくださるんですよね?」
「いや、ただ雑談したかっただけなんだけど」
「いいですよ、一分あたり百円から承ります」
「アコギすぎるだろその商売。港区女子かお前は」
しかし時給六千円と考えれば相場よりはまだ良心的と言えるかもしれない。
ん、言うほど良心的か?
「上郡って出身は地方なんだっけ?」
「ええ、実家は東北の方です。いまは大学の女子寮に入ってますね」
「寮か〜。俺も考えたけど色々と危ない噂もあったからやめたんだよなあ。さすがに女子寮は事情も違うだろうけど」
アルハラ、パワハラが常態化しているらしい、という噂は聞く。高校の寮などとは違い教員の目が行き届くわけでもないので、そうしたハラスメントの温床になるのはある種当然の流れなのかもしれない。
あと、寮住みを選択した場合、当然入学前に入寮することになるため、諸先輩方から各部活へ熱烈歓迎を受けるとも聞く。閉じたコミュニティで誘いを断るのも難しかろう。しばらく運動から遠ざかっているもやしの俺には荷が重かった。
「ええ、女子寮はあまり上下左右のつながりがなくてドライでいいですよ。各室に洗面所とお手洗いが備え付けられているのもポイント高いです」
実に上郡らしい合理的判断だった。
「まあご両親からしたらその方が色々と安心だろうしな」
「……ええ、そうですね」
回答まで僅かに間を感じる。
俺でなきゃ見逃しちゃうような微かな躊躇い。
しかしそれはこの場であえて拾うほどのものではないだろう。
「悪い虫……が付かないかずっとヤキモキされて、正直辟易してます」
「ねえなんで悪い虫の部分だけ俺から目線外すの。俺のこと言ってるわけじゃないよね?」
「自意識過剰ですよ。ただ、せんぱいから目線を逸らしたくなっただけです」
「それはそれで酷くない?」
「実際、この大学にせんぱいほど人畜無害な男の人っていないと思いますよ。二人きりになって口説いてくるどころか、口説いてくる人たちの風除けにもなってくれそうですし。悪い虫どころか良い虫と言っていいと思います」
「結局、虫なのかよ」
「せんぱいは益虫です」
「比喩表現どころかガチの虫呼ばわりやめろ」
「たとえるならアシダカグモあたりでしょうか」
「せめてテントウムシとかトンボにしてくれませんか?」
「あるいは、草食を通り越して霞を食べて生きている仙人系男子って感じです」
「その評価のされ方もなんだか釈然としないけど、一応褒め言葉として受け取るよ」
色々と酷いことを言われたような気もするが一定の信頼は得られているようだった。
うん、信頼は重要だよね。
「話は戻るけど、俺は実家も、両親の実家も全部こっちの方だから、あんまり帰省の感覚が湧かないんだよな〜。やっぱり夏休みは実家に帰るのか?」
「ええ、非常に面倒この上ないですが、絶対に顔を出せと言われています。断るとあとあと面倒ですし、夏休みの予定もそこまで入れているわけでもないので一応は帰ろうと思ってます」
上郡の反応を見る感じ、厳格なご両親なのかもしれない。しかし自分の娘が寮とはいえ都会で一人暮らししているとなれば心配するのも当然と言えば当然ではある。
個人的には、どんなご両親から上郡真緒のような子どもが育ったのか、激しく気になるところではある。
「合宿が終わればちょうどお盆なので、そこらへんで帰るイメージですかね」
「そういえば合宿のイベント準備はどんな状況? 試験勉強と並行して準備するの、結構大変だろ?」
8月上旬に予定している文芸部合宿。
合宿といっても運動部のように練習があるわけでもないので基本は飲み会が主体なのだが、最後の夜には一年生が主体となってイベントを行うことになっている。
昨年は隣接するキャンプ場に移動し、キャンプファイアーとともにレクリエーションゲームをいくつか行った。
ただの健全なレクリエーションだと先輩方(基本的に男)からクレームが入るので、セクハラにならない程度に男女の接点を作るのがポイントだ。上司のご機嫌を伺う若手社員みたいで、なんだかあまり気乗りはしないのだが。
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