第81話
「……随分と見透かしたようなことを言うんだね」
結月さんは僅かに目を細める。
こんな、眉間に皺を寄せた彼女を見るのは、当然ながら初めてであった。
上郡の言葉は切っ先鋭く、的確に人の琴線に触れ、効率的に心の弱い部分を抉っていく。
それでも感情の発露を最小限に留めているあたりさすがは結月さんと言えよう。
「わたしは見た通りのことしか言っていませんよ。見透かされているように感じたのであればそれはきっと勘違いか、さもなくばご自身の哲学や主義の底が海面からでも見えるレベルの深さにあるということでしょう。ご高尚で聡明な結月さんに限って後者なはずはありませんので、ご安心ください、それは勘違いです」
「お、おい上郡」
遅きに失した感は満載であったが、しかし俺は堪らず二人の間に割って入る。
上郡の言葉遣いはやけに丁寧だが、言葉の端々に棘を感じるものであった。
普段の俺に対する慇懃無礼な態度とは全く別ベクトルの言葉の羅列。
それは結月さんから感情を、そして言葉を引き出すために設えた擬餌に近い。
こいつがなぜそんなことをしているのかまではわからないが、このまま続けば喧嘩にもなりかねない。
しかしそんな俺のカットインを、上郡は目線一つで制する。黙って見ていてください、と。
「ごめんね、上郡さんが何を言いたいのかがさっぱりわからないや。私は別に何も怖がってなんかないし、何にも怯えてなんかいないよ」
――小説を作るのは得意じゃない。
――感情の振れ幅はもともと大きくない。
――特定の誰かと親密になるというのが恋愛を指すのであれば、それは単に好きになれる相手がいないだけ。
相変わらず冷静な口ぶりで結月さんはそう言った。
傍目には、依然として動揺の色は見えない。
「ふうん、なんだか合理的な理由を付けているだけのような気がしますけどね」
「んー、そう言われると身も蓋もないというか、水掛け論になっちゃうよね。それに仮にそうだったとして、上郡さんに何の関係があるの? 別に、何か迷惑をかけているわけじゃないでしょう?」
「おっしゃる通りですね。関係はないし、迷惑をかけられているわけでもない。でも結月さんを見ていると、なんだか昔の自分を思い出してしまって、ほんの少し具合が悪くなります」
「そんなの、それこそ私には関係がないし、どうしようもないよ」
「それもおっしゃる通りですね。だから、わたしはただ自分の中で腹落ちできればそれでいいんです。結月さんが何を考えているのか、理解して納得したいだけなんです。ねえ、教えてください、結月さん。もしそれが本当に結月さんの言う通り怯えでも恐れでもないのであれば、それじゃあ私から見えているその鉄仮面は一体なんなんですか。そんな鉄仮面を付けたまま暮らして――一体、何が楽しいんですか?」
「……ほんと、ストレートな表現を使うんだね、上郡さん」
「そうですかね? ではストレートついでにもう少し言わせてもらいますと、結月さんってお人形さんというよりロボットみたいですよね。なんでも言う通りに動く、綺麗で精巧なロボット。その正体が同じ人間だと思うと――正直、気味が悪いです」
「上郡」
俺は先ほどよりも強く、有無を言わせぬ口調で言葉を差し込む。
俺の言葉と目線を受けて、上郡は一瞬何かを言いかけるが、諦めたように静かに閉口する。
きっと、上郡は俺のために結月さんから感情を引き出そうとしたのだろう。彼女は律義にも、俺と結月さんの仲を深めるために試行錯誤してくれているのだと、そう思う。
けれど、こんなやり方はあまりにも露悪的過ぎるだろう。
言いたくもない言葉を並べて、出したくもない感情を出させられて――
今ならまだ酒の影響ということにもできよう。
けれど、これ以上進んだら。
これ以上言ってしまったら。
たとえ、それが真意でなかったとしても、きっと
吐き出した言葉を取り返す手段など、どこにもないのだから。
「二人とも、そろそろ部屋に戻った方がいい。というか帰れ。撤収作業始めてから何分喋ってんだよお前ら。こちとらマジで眠ぃんだわ。俺のカラータイマーはもう点滅するエネルギーすら残ってないわけ。……まあ、俺と一緒の布団で添い寝をしてくれるというのであれば無理に追い出すことはしないけどさ」
「……そうだね。もともと解散する予定だったし、今度こそ帰るよ――もういいかな、上郡さん」
「そうですね。夜更かしは美容の大敵ですから。結月さんとわたしの美貌が損なわれては、それすなわち人類の損失です。ではさようなら。おやすみです、せんぱい、結月さん」
「おやすみなさい、愛澤くん、上郡さん」
「……おう、おやすみ」
俺の言葉は半分くらい無視されたものの、ようやく二人を帰すことに成功する。
彼女たちが扉の外に姿を消し、部屋に静寂が戻ってきたところで、どっと押し寄せる疲労感と眠気に耐え切れず、俺は着の身着のまま(といっても元から寝間着だったので別に何ら問題はないのだが)、眼前の布団に突っ伏す。
「……疲れた」
俺は思わず口に出す。
まさか一日のラスト十分でこんな気疲れするとは。
とっくにアルコールなど抜けてしまっていた。
今はただ、何も考えずぐっすりと眠りたい。
煌々と光り続ける電球を消すこともなく、そのまま俺は意識を手放した。
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