第82話


 合宿三日目。


 昨日、一昨日と遊んで飲んで寝てと自堕落な暮らしを送った反動もあり、今日は原稿作りに集中せざるを得ない一日になりそうだった。

 部員の大半が旅館の中に引き篭もり、パソコンやスマホと向き合っている。酒が残りしんどそうにするメンバーもそれなりに見受けられるが、なんとか机にしがみつき文章を練っているようだった。

 中途半端な作品に仕上げるのはリスクでもある。部誌には文字数制限などはないのだが、あまりにも短すぎたり、内容が薄かったりすると、部長判断でリメイクを求められる場合もある。


 こうやって限られた時間の中で、自分の持てるリソースを最大限に活用し、一つのアウトプットを目指していくというのはなかなかに骨の折れる作業ではあったが、しかし受験勉強から遠ざかり、すっかり鈍りきってしまった脳みそのリハビリにはちょうどいい感じであった。

 大学の期末試験なんかはあんまりアウトプットって感じもしないしな。


 そんなわけで、例に漏れず俺も午前から執筆活動に勤しんでいたわけだが、やはりどうにも昨日の別れ際のことが脳裏にちらついて集中ができそうになかった。


 口論、と言っていいのだろうか、あれは。

 上郡が一方的に言いたいことを言っていただけな感じもするので、分類するとしたら罵倒とか謗りの方が近かろう。


 いずれにせよ、余計なお世話かもしれないが、結月さんのことはフォローが必要だと思う。彼女自身は最後まで平静を貫いていたけれど、あそこまで言われて何も思わない人間もいないだろう。


 しかし、まずは上郡だ。

 あいつの思惑から確認しなければ。


 俺はスマホでこっそりと上郡を呼び出す。

 指定した場所、旅館の裏庭には人気ひとけはない。ここであれば館内の導線からは外れているので下手に通りがかる人間もいないだろう。


「せんぱいは相変わらず女の子を人気ひとけのないところに呼び出すのが好きですねえ」

「言うほど呼び出してねえだろ。適当なこと言って既成事実化しようとするな。あの会議室を見つけたのはお前だ」


 ヒョイと物陰から飛び出るようにして姿を現した上郡の様子はいつも通りといった様子であった。

 まあ、こいつの場合は仮になにかあってもいつも通りを貫きそうな感じはするが。


「わかってますよ、昨日のことを聞きたいんですよね」

「なんだよ、いつもの無駄なおしゃべりはなしか。上郡にしては随分と話が早いじゃないか」

「わたし、無駄なおしゃべりは好きではないんです」

「どの口が言ってんだ」

「まあ、せんぱいも凡そ予測がついていると思いますが、昨日のは結月さんの本音が引き出せそうだと思ったので、多少強引ではありますが彼女の懐に切り込んだ――というのがです」


 切り込んだなんて生易しい表現では済まないだろう。

 あれは切りかかったと言うんだ。


「しかしあの鉄面皮はなかなか剝がせないですね。少なくともわたしの前では表情を崩してくれそうにありませんでした。失敗とまでは言いませんけど、思ったほど効果は目に見えませんでしたね。そこらへんは、せんぱいのフォローに期待します」

「勝手に俺にぶん投げるな……んで、もう半分ってのは? それが全部だと思ってたけど」

「もう半分――を言う前に、わたし、せんぱいに謝らないといけないことがあります。ごめんなさい」


 そう言って、上郡は小さく頭を下げる。

 上郡にしては珍しく殊勝な態度であった。


「……なんで謝られてるのかがわからないというか、この場合、謝られる心当たりがあり過ぎるってのも問題だな」


 俺がこれまでに受け止めた罵倒暴言は星の数にも昇るぞ。


「……? 一つしかないと思いますけど」

「あ、さいですか……で、何について謝ってるわけ?」

「昨日、わたしはせんぱいと二人きりのところを見られてしまったわけですが、あれはミステイクでした。わたしとせんぱいは、あくまで先輩と後輩の関係に留めておかなければいけなかったのに。いつもの調子でせんぱいを揶揄って楽しくなってしまったのは完全にわたしの落ち度です」

「ああ? そんな、言うほどか? 別に同じ部活なんだし、二人で話すのなんて普通というかよくある話だろ。そんな気にする必要ないんじゃねーの」

「どこの世界に公の場で服を脱がせようとする普通の先輩後輩がいるんですか」


 それはその通りだった。


「しかもよりによって、堅物のせんぱいと、堅物のわたしですからね。とても冗談で済みそうにないコンビなわけです」

「ああ、そういうこと……」

「わたしとせんぱいが浅からぬ仲だとされてしまえば、他の女性と距離を詰める計画はお釈迦になってしまいます。特に結月さんの性格を考えれば、まず間違いなく彼女から距離を縮めてくれることはなくなるはずです。だから手を打たせてもらったわけです」


 つまり――どういうことだ?


「せんぱいが結月さんの前で、わたしのことを諫める姿を見せつけるのと同時に、せんぱいが結月さんのことをフォローする建前を作りたかったというのがもう半分の理由です。あの場にいたのは当事者の二人を除けばせんぱいだけ。まあ、相楽さんも寝っ転がってはいましたが――いずれにせよ昨日のことを全て把握しているのはせんぱいしかいないわけですし、結月さんをフォローしにいくのは結月さんから見てみれば自然な流れでしょう? ……まあ、をされるリスクもありますが、そこはレバレッジということで已む無しです」

「お前、酒が回ってる中でよくそこまで考え付いたな……」


 こいつはこいつでそれなりの量を飲んでいたはずだが、やはり酒豪の気質があるのかもしれない。

 内容は兎も角として素直に感心するのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る