第59話

 そんな会話を繰り広げていると次第に観客の数は増えていき、徐々に座席が埋まり出す。

 気が付けばプールの中を複数の黒い影が遊泳していた。程なくして時間になると、プールの一角、ステージ上に一人のお姉さんが登場する。

 ただの飼育員のお姉さん、ではなく、しっかりとした衣装を着こなした劇団員のような女性だ。


 これから始まるのは純粋なイルカショーではなく、ドルフィンパフォーマンスと呼ばれる、言わば舞台のようなものである。

 曲目に合わせて、人間とイルカがそれぞれ演者となり、光と音のステージを舞い踊る。光を自在に使いこなした演目を展開することができるのは、屋内の閉じられた空間だからこそなのだろう。

 俺も初めて見たときには思わず目を奪われた。シーズンや、昼夜によって演目も変わるため、いつ来ても飽きない仕様になっているのはありがたい限りだし、イルカとスタッフたちの素晴らしい努力の甲斐あってのものに違いなかった。


「わっ、イルカってあんな跳べるんだ! すご~い!」


 ショーが始まり、イルカたちのパフォーマンスに魅せられた結月さんが珍しく興奮気味に指差す。

 イルカたちは曲に合わせテンポよく空中を飛び跳ねる。イルカが水面から姿を現すごとに観客が湧いていた。

 横から結月さんの表情を眺める限り、彼女も純粋に楽しんでくれているように見えた。


 俺の方はというと、残念ながらというべきか、予想通りというべきか、すぐ隣に結月さんがいる状態であまりショーに集中することはできそうになかった。

 座っているのは決して大きくはないベンチだ。当然のように俺と結月さんの肩と肩は時折触れ合う。情けない話ではあるが、触れ合う度にドキリと心臓が跳ね、空調はしっかりと効いているにもかかわらず脂汗が滲む。それを結月さんに悟られないよう視線をしっかりとプールに向けておくことしかできなかった。

 こんなに緊張感あるイルカショーは初めてだ……。


 そんなことを思いながらプールを眺めていると、何度か曲目を変更しながら次第にショーはクライマックスに向かっていく。

 イルカ、飼育員、そして光と音楽、すべてのテンポがガッチリ嚙み合った演技にどんどん目を奪われていく。


 ショーのラスト、イルカどうし息の合ったジャンプでフィニッシュを迎えると、俺は自然と立ち上がり拍手をしていた。俺だけでなく、万雷の拍手がスタジアム中に鳴り響く。


「いやあ、素晴らしかった! ラスト手前のジャンプがクロスしたところ凄かったなあ!」

「あはっ、うん、そうだね~」


 最終的には結月さんより俺の方が盛り上がってしまった感じはするが、まあそれはいいだろう。


 これで水族館は一通り回り終えたことになる。

 俺たちは出口へと歩みを進める。


「結月さん、初めての水族館デートはどうだったよ?」

「うんっ、楽しかった! ありがとうね、連れてきてくれて」

「ほう、どこらへんがどう楽しかったんだ?」

「あっ、そういうとこまでしっかり聞いてくる感じのやつね」

「さあ聞かせてくれ! さあ!」

「うぅ、思いのほか鬼詰めタイプ……普通に楽しかったから面倒とも言いづらい……」


 水族館フリークとして、一般人から見たときにどこがよくてどこがそうでなかったか、きっちりと情報収集しておかないとな。

 俺は結月さんから感想を引き出す。余すところなく。しっかり、こってりと。


「ありがとう。結月さんが楽しんでくれたことがわかって嬉しいよ。うむ、君の気持ちは俺にも伝わった」

「これだけ話して伝わらなかったらショック以外の言葉がないよ……」

「俺が責任をもって水族館にもフィードバックしておくよ」

「君は一体誰なんだよ……」


 水族館の出口に差し掛かる頃には、さすがの結月さんの顔にも疲れが滲んでいた。

 入場してから既に二時間半が経過していた。ショーの時間は座っていられたとはいえ、そりゃ疲れもするはずである。


「……それで、次にどこに行くかは決まっているのかな?」


 外へ足を踏み出すと、一挙に熱気が押し寄せる。

 燦燦と降り注ぐ陽光に手を翳しながら、結月さんはこちらに顔を向ける。


「ああ、決まってるよ」

「ふうん、そっか。どこに行くんだろうね?」

「最初は俺のに来てもらったわけだからな。次は結月さんのに行こうと思ってるよ」

「私の――好きなところ?」


 結月さんはハテナマークをありありと表情に浮かべる。


「ああ――でも、その前にお昼にでもしようか」

「……賛成」

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