第60話


 俺たちは近くのイタリアンで昼食を済ませ、再び移動を開始する。


 前回の上郡との予行演習の時のように、ちょっといい店を予約することはしなかった。水族館のチケット支払いの時もそうだったように、結月さんは奢られることを良しとしないだろうと前以て想定していた。そうなるとあまり高いお店に連れていくことは得策ではなかろうと判断し、簡単に近場のお店をピックアップするに留めておいたのである。


「そういえば、言い忘れてたけど今日の愛澤くんの服装、なかなかイケてるじゃない。どうかしたの?」

「どうかしたのって……どういう意図の質問だよ、それは」

「いやあ、誰かに見繕ってもらったのかなあって」

「そこに俺が自分で選んだって可能性はないのかよ」

「えー、だって今までの愛澤くんの趣味とちょっと違うし」

「あー、そうかあ? 前からこんなもんだろ」

「ちょっとっていうか、だいぶ違うし。国産牛と和牛くらい違うもの」

「言い得て妙な感じはするけど、この場合、今の俺は和牛なの? 国産牛なの?」

「マイナーチェンジとモデルチェンジくらい違うもの」

「俺がモデルチェンジしたんだとそう言いたいわけね?」

「おざなりとなおざりくらい違うもの」

「例え方がおざなりになってきてんぞ」

「とにかく、今の愛澤くんは凄くいい感じだから、その服装な感じならあんまり変に言われることもなくなると思うよ」

「ちょっと待て。俺って裏で変なこと言われてるのか!?」

「変な衣装に達した人、略して変装の達人って言われてたよ」

「怪人二十面相かよ。どう考えても略す前が後付けだろうが」

「んー、まあみんな良い意味で言ってる面もあると思うよ。ドンマイドンマイ!」

「今のところ悪意しか感じないが……」


 酷い言われようをしているらしかった。

 聞きたくない話だった。


 閑話休題。


 さて、俺たちがこれから向かうのは、同じく都内にあるプラネタリウムだ。

 水族館からは数駅離れた場所にあり、俺たちは二人して電車に揺られる。


「どこから聞いたの? 私が星好きだって」

「街談巷説、風の噂で聞いたんだよ」

「なんで私の趣味が噂になってるのよ」


 実際のところ、俺はデートにあたり、結月さんの趣味や好きなものなどを事前にリサーチしていた。無論、俺が女子に聞いて回ったら要らぬ噂をかき立てることになってしまう。火のないところに煙を立てるような真似はしたくなかった。まあデートすること自体は事実なので火種が全くないわけではなかったのだが。

 ともかく、そんなわけで情報収集パートは上郡に任せたのである。

 上郡のスパイ活動は意外と板についていて、あれよあれよという間に必要な情報をかき集めてきていた。結月さんの顔が広いことも奏功してか、タッチポイントは豊富で、それほど労力はかからなかったらしい。


 その中で得られた情報の一つが、天体オタクであるということだった。

 改めて考えてみると、水族館フリークの俺と趣味の系統は似ている。空か海かの違いだけだ。俺と彼女は根っこの部分では似通っているのかもしれない。


「着いたよ、ここだ」

「……あれ、ここって」


 施設を見上げ、何かを思い当たったような横顔を見せる結月さん。

 本当、察しが良くて助かる。

 ……まあ、察しがつく場所をあえて選んだのだけれど。


「……ねえ、今って確か入れないんじゃないの?」

無問題モーマンタイだよ。さ、受付に行こう」


 俺は手に持ったをペラリと靡かせると、結月さんを先導する形で窓口の方へ歩みを進める。

 ――喜んでもらえるといいのだけれど。



 館内は外の熱気が嘘のように涼しかった。なんだか午前中にも同じ感想を抱いた気がするがこの時期はどの建物に入ってもそんなものである。

 なんなら肌寒くすら感じる廊下を順路に沿って歩いていく。

 夏休みということも当然あるのだろうが、館内を歩く人数は多く感じる。とはいうものの、このプラネタリウムに来るのは初めてでありいつもの混雑具合について特に知識があるわけでもないので、これは半分くらいは俺の予想になってしまうのだけれど、しかしこと今日に関してはそれはほとんど確信と言ってもよかった


 今日、上映されているのは単なるプラネタリウムではない。

 ある特別な演出が為されているのである。

 そして結月さんも、きっとその演出を知っているはずだ。


 暗い通路の下、彼女の顔は窺い知れない。

 彼女はいま、どのような顔をしているのだろうか。


 俺たちは順路を抜けて、吹き抜けた広い空間に躍り出る。

 まだ、空に光は見えない。

 代わりに、ぼんやりとした光が各所に灯り、参加者を各々のスペースに誘導する。


 今回の上映は全席指定席だった。

 映画館のようなシートではなく、ふかふかとしたリクライニング式の座椅子が辺りに並べられている。

 まるで原っぱに寝っ転がりながら天空を見上げているような気持ちになれるという触れ込みだ。


 俺は手元のチケットを見ながら、自分の座席を探す。

 俺が購入したのはペア利用もできるシングルシート二席だった。中には、広めのシートにカップル二人で寝そべるような席もあるらしいのだが、天地がひっくり返ってもそんなシートを購入することは出来なかった。

 ――そのはずだった。


「……」

「…………愛澤くん」

「……」


 購入した座席にたどり着いた俺たちの目の前には、大きな大きな、たった一つのリクライニングシート。

 天地がひっくり返った。

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