第95話

「では気を取り直して第二問。『愛』といえば?」


 コホンと小さな咳払いののち、上郡は続ける。

 『愛』――上郡がそんなテーマを投げかけてくるのは、ほんの少し意外だった。これもまた何かの伏線なのだろうか。


 『愛』は俺にとって馴染みが深い言葉だ。骨の髄まで馴染んでいるといっても過言ではない。

 それゆえに言語化することが難しいキーワードでもある。


 しかし今回は上郡がどんなことを連想しているかを考えるゲームである。

 俺の信条とは切り離し、上郡の気持ちになり切って答えを考えるんだ。


 俺は数秒の沈黙の末、一つの回答を吐き出す。


「……『愛澤悠馬』?」

「はあ? それのどこに愛があるんです?」

「どういう意味だてめえ! 愛に溢れてんだろうが! ありふれてるだろうが!」


 主に苗字にだけれど。

 もちろん心にも溢れてるよ!


 というか冷静に、先輩の名前を『それ』扱いすんじゃねえよ。傷つくだろ。


「わたしの気持ちになりきって出した答えがそれですか。へぇそうなんですか」

「普通に恥ずかしいから心を読むな。俺の心をお前に伝心するゲームじゃないだろうが……で、一体全体、答えは何なんだよ。上郡の思う『愛』ってのは何なんだ」

「ふうむ、正解は――『ハロウィンの日の渋谷』です」

「よりによってこの世でもっとも愛が溢れてねえ場所じゃねえか!」


 なんというか、さすがに逆張りが過ぎるだろう。

 ……いやまあ、確かに『愛がある場所』ではなく『愛』がお題であることを鑑みると、『愛』のない場所という意味ではこれも正解なのかもしれないが。

 しかし『愛』というお題に対するアンサーとしてはあまりにも寂しすぎるだろう。

 俺がこいつの両親だったら泣いてるわ。


「せんぱい、その考えはよくありません。それがワンナイトであれ、どんな形でもそこには大なり小なり愛はあるのです。はあ、まったく、これだから童貞は」

「お前に愛を説かれたくねえよ。つーか、もうちょいマシな答えあるだろうが」

「二重の意味で愛澤悠馬に言われたくないですね」

「上手いこと言ってんじゃねえ!」


 挙句、俺の名前をオチに使われる始末。すっかり舐められっぱなしの俺であった。

 威嚇する俺の事も気に留めず、上郡は呆れたように嘆息する。


「まったくもう、仕方ないですね。最後はサービス問題にしてあげます。お題は――『夏』といえば」


 夏。

 Just nowである。

 これまでの出題の中では最もオーソドックスに入るかもしれない。裏、だけでなく裏の裏まで読むとすると選択肢は無限大だ。


「……別に根を上げるわけではないんだけどさ、多少はヒントがあっても罰は当たらないんじゃないかと思うわけ」

「以心伝心ゲームでヒントというのは本末転倒な気もしますが……まあ、いいでしょう。ヒントは『怖い』です」

「おおう……」


 なかなかに大ヒントをもらったような気がするが、しかし上郡のことだ。ストレートな意味ではなく饅頭怖い的な意味での『怖い』という可能性もある。


「ヒントその2、『この後のレクリエーション企画』ですね。ああ、レクのネタバレまでしてしまいました」


 いつになく太っ腹な上郡は両腕いっぱいに缶を抱きかかえながら、ご機嫌な様子で続けた。

 流石に、この後のレクリエーションが饅頭食べ放題企画ということはないだろう。なんならそんな企画が準備されている方が怖いまである。


 これらのヒントを咀嚼したのち、俺はこれまでの問題の中で、最も素直に回答を述べる。


「……『肝試し』」

「はい、正解です。ちゃんとわたしの心が通じているみたいで嬉しいですよ、せんぱい」



 肝試しといえば墓地や廃病院、閉鎖されたトンネルなんかをイメージしがちだが、必ずしもステレオタイプなシチュエーションが必要というわけではない。人によっては薄暗い夜道を歩くというだけでも十分に怖いと感じるだろう。

 人間にとっては暗闇そのものが畏怖の対象なのだ。


 肝というのはまあ肝臓のことを指すわけだが、肝臓は古来より精神力や気力の源とされてきた。つまり肝試しとは読んで字の如く、そうしたパワーの源泉たる肝の強さを量ることに他ならない。


 従って、目の前に広がる獣道に足を踏み入れることは十分に肝試したり得るのだろう。

 鬱蒼と生い茂る木々の向こう側には当然ながら街灯などは存在しない。懐中電灯と月明かりのみが己の道導となる。


 まるでパックリと闇が口を開けているような、そんな錯覚に陥ることだろう。

 ――普通の人間ならばね。


「おいおい、大丈夫かよ。俺のような肝の据わった人間からしたら全く怖くないけど、全くもって恐怖を感じないけれど、一般人にとっては結構キツいんじゃないのかい。なあ結月さん」

「私は大丈夫だけど、愛澤くんこそ大丈夫? 目が泳いでるよ。影分身しちゃってるよ」

「強がらなくていいんだよ。言ったろ、弱みを見せることは悪いことじゃないんだ。どうする? 怖いなら辞めとくか? 逃げるは恥だが役に立つと言うだろう。まあ俺のような肝の据わった人間からしたら怖くなんてないんだけど結月さんがどうしてもと言うのならばね」

「愛澤くん、汗びっしょり」

「あっちぃなあ! この季節は夜もあっちぃな! まあ俺のような肝の据わった人間からしたら暑さなんて大したことないけどな!」

「愛澤くんの言う肝の据わった人間って、いったいどんな人たちなのよ」

「どんな困難を前にしても常に立ち上がることのできる俺のような人間のことだよ」

「うん、とりあえず一度座ったら?」


 別に怖いとかそういうのではないが、俺は結月さんに勧められるがまま手近な椅子に腰掛けることにした。

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