第28話

 俺と結月さんの間に静寂が広がる。


 唇を舌で湿らせ、少しだけ平静を取り戻した俺は、話題を求めて結月さんの横顔をチラリと盗み見る。

 店の明かりが木漏れ日のように結月さんを淡く照らす。何度見ても綺麗な顔立ちだが、ここまで至近距離から視認する機会もなかったわけで、なんだか女優の素顔を覗き見しているようなイケナイ気分になる。


 髪がかけられた耳には花をモチーフにした小さなイヤリングが光っている。控えめなサイズ感だが、それでいて地味過ぎず、とても結月さんらしいアクセサリーだと感じた。

 そんな俺の視線に気づいた結月さんは、イヤリングに手をやり、フッと笑みを零す。


「あ、これね。お父さんからもらったの。高校の入学お祝いだったかな。うちの高校、ピアス禁止だったから代わりにイヤリングをくれたんだ」

「へえ」

「今でも気に入ってちょくちょく付けてるんだ~。ちょい子どもっぽいというか、地味というか、おじさんチョイスなんだけどさっ」


 照れたようにイヤリングをそっと撫でる結月さん。

 ピンクゴールドの金具がキラリと月明かりを反射する。


「ん? 別にそんなことないだろ。普通に可愛いデザインだと思うけど。めっちゃ似合ってるし」

「……んもうっ、そういうこと平気で言うんだから……お酒入ってるときにそれ言うの禁止~!」


 恥ずかしそうに顔を逸らした結月さんは耳にかけた髪の毛を下ろし、横顔ごとイヤリングを隠す。

 おっと、意図せずいつものやつが出てしまった。自覚せず言うとなんだか恥ずかしい。


「でも友口くんと愛澤くんの話、知らなかったな~。男の友情って感じで、なんていうか……尊い?」

「なんだそりゃ」


 茶化すように笑ってみせるが結月さんの顔は相変わらず見えない。

 うつむき加減のまま、結月さんはポツリと続ける。


「なんていうか、本音で繋がりあえてる感じ。そういうのって女子にはあんまりないから」

「別に、そんなことないだろ。そんなのは男だから女だからじゃなくて、結局は人と人との関係性の問題じゃないのか」

「かもね。でもやっぱり、いつもどこかに欺瞞と打算を感じちゃうんだ。それは私も同罪」


 どこか諦観の入り混じった声音。

 彼女はそれを罪と表現する。

 一切の下心なしで生きていくのなんて不可能だ。大なり小なり、どんな事情であれ、表がある以上必ずそこには裏がある。俺がこうして結月さんと話しているのだって、ただ話したいからという根源的欲求に従っているわけではなく、自分自身の性格を変えるために行っていることだ。

 それは、果たして罪なのだろうか。


「本気の感情だけで人と向き合うのって難しいよね。そうすることで逆に相手を傷つけちゃうこともあるし」

「本気でぶつかっていくことが必ずしも良いことではないけどな。そういうのは往々にして――ただ不器用なだけだよ」


 本音でぶつかっても受け止めてもらえないことだってあるし、こちらが本音でぶつかるからこそ裏切られた時の痛みは計り知れない。

 それこそ、一生のトラウマにだって成り得るのだ。


「そうだね。でも、私はから、愛澤くんのそういう実直なところ、凄いなあって思っちゃうんだ」


 ただの本音ではない、彼女がこれまで見せてこなかった弱音に触れる。

 普段の彼女が見せることのない表情。上郡でいうところの鉄仮面が、酒の力を借りてゴトリと音を立てて落ちる。


「私には――選べないから」


 放たれたその言葉は結月さんのすべてを表しているように思えた。

 多くのものを持って生まれたからこそ、器用に生きることを望まれた女の子。その過程において、多くのことを捨ててきたのかもしれない。


 頭の回転が速い子どもが、有名な学校に合格することを望まれるように。

 誰よりも心優しい人間が、周囲に気を遣うことを求められるように。


 最初から持ち得る人間は必然、周りからの期待も大きくなる。

 その期待が行き着く先は彼女が思い描く理想からは遠くかけ離れたものだったのかもしれない。

 誰よりも多くのことが見えてしまう彼女にとって、見えない理想を追い続けることは辛いことなのだろう。


 目の前の彼女はRPGをなぞるように生きている。

 魔王を倒すためにレベリングを行い、時には仲間を集めて次の街へ向かう。それは大筋としては間違った動きではないのだろう。きっとがその先には待っているのだろう。


 けれど、人生はもっと自由であるべきだし、理想を追いかけてもいいはずだ。

 たとえば、魔王を倒さず和解する道を目指したっていい。

 あるいは、勇者の役割を手放して、田舎町で幸せに暮らす生活だってきっとあるだろう。


 しかし、彼女の中にその選択肢はない。ただひたすらに、敷かれたレールを走り、望まれる場所に向かっている。

 そんなこと、俺のような凡人にはとてもできそうにない。それができれば苦労をしないという人間はこの世に山ほどいるだろう。

 最も現実を見据えたプレイングをしている彼女が、ある意味最も現実味の無い人生を送っているというのは、ひどく悲しいことのように思えた。

 見えない胸の奥がズキリと痛む。


「あのさっ」


 自分でも気づかぬうちに言葉が口を衝いて出る。静電気が走ると思わず声が出てしまうのと同じように、本能的な反応。

 何を言うべきか、何を言いたいか、まだ頭の整理はついていないと理性が伝える。


 けれど口の動きを止めることができない。


「俺と――デートしない?」

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