第35話

 販売会場に到着した俺たちは列に並ぶ。

 予想通り、既にそれなりの人数が列をなして待機していたが、お目当てのチョコレートは問題なく購入することができた。


「ほら」


 二箱購入したうちの一箱を上郡に手渡す。


「ん、ありがとうございます」

「ま、取引だからな」


 これでこのショッピングモールでの目的は果たされたことにはなるが、とはいえさすがにここでモールを後にするのは些か味気ない。

 どこへ行くでもなく、二人並んでウィンドウショッピングを行う。

 ウィンドウショッピングといっても二人とも特に何かを買う気もないので、ただぶらついているだけと表現する方が近かろう。


 さて、次はどうしようか。

 カフェにでもいこうかと提案するべく半身を傾けたところで。



『――ゆうま先輩』



 不意に――名前を呼ばれた気がした。

 それは底冷えするような低く、小さく、暗い声。

 第六感なんてものを信じてなどいないが、それでもチクチクとしたナニカを後頭部に感じる。まるで氷柱の先端で刺される冷たい感覚。


 俺は思わず身震いしながら恐る恐る後ろを振り返るが、あたりに俺の見知った顔は見えない。


「どうかしました?」

「いや……なんでもないよ」


 半歩後ろを歩く上郡が、不思議そうに俺の顔を見上げる。

 俺は短く誤魔化し前を向き直る。


 うちの大学連中の活動エリアからも遠いし、仮にこの場所にいたとしてもこの人混みでは相当注意を払わなければ見つけることも難しいはずだ。そもそも俺に知り合いは少ない。高校時代からの付き合いはもうないし、コミュニティといえば文芸部かバイトくらいなものだ。


 きっと気のせいだろう。そうに違いない。

 心の中でそう決めつける。

 悶々と悩むよりその方が精神衛生上良いことを、俺は経験則で知っていた。


 俺は頭を振り、斜め後ろの上郡へ視線を向け、気を取り直して声をかける。


「うしっ、アイスコーヒーでも飲むか!」

「はい。わたしは抹茶フラペチーノキャラメルソースマシチョコレートチップマシマシでお願いします」

「お前もきっちり甘いもの大好きなんじゃねえか」


 なにやらトッピングの呪文を詠唱する上郡。

 どうやら彼女も例に漏れず女の子らしい。

 俺は苦笑いを噛み殺しながらカフェのあるフロアへ歩を進める。


「――どうして……?」


 そんな俺と上郡の後ろ姿を見つめる存在に、俺は気が付くことができなかった。



「それでは本日の採点を発表いたします。62点です」


 混み合うカフェ、なんとか二人席を確保した俺たちは相変わらず対面に腰かける。

 上郡はチョコとキャラメルがこんもり盛られた抹茶フラペチーノをズズと吸い上げるが、思うように中身がストローを通らなかったようで、諦めてストローの先端を使ってクリームを掬い上げていく。

 ひとしきり食したところでふとストローを戻したかと思うと、一切の躊躇もタメもなしに点数発表を行う。こいつの中にはドラムロールとかそういう文化はなさそうだ。


 いやしかしこれは。


「うおお、よっしゃあ!」


 俺は周囲の迷惑にならないよう、小さくテーブルに握りこぶしをたたきつけた。ガタッとアイスコ―ヒーのカップが揺れる。

 上郡はジト目を向けてくる。


「え、喜ぶところなんですかこの点数」

「忖度なしの上郡採点で62点なら、忖度アリなら83点くらいもらえるだろ?」

「そこまで激渋採点にしたつもりはないので、精々73点くらいでしょうね」

「そんなあ、上げて落とすなよ~」

「別に上げたつもりもないんですが」


 しかしまあ目標の50点は超えたわけだし、久しぶりのデートにしてはまずまずの点数ではないか? ポジティブシンキングって素敵!

 上郡はフラペチーノをモグモグと食べると、人差し指を立てるようにピンとストローを持ち上げ、目を細める。


「ぶっちゃけ、正直に、有体ありていに言いますが」


 同じ前置きで何度も念押しするな。


「なんというかでしたね。楽しかったですし、特に不満はないんですが、それでも期待は超えなかったって感じです。付き合って二、三ヵ月くらいのカップルがやりそうなデートでした。四捨五入で70点に届く点数はちょっとあげられないですね」

「……なるほど」


 要するに無難ということだろう。彼女の厳しくも正直な意見はありがたい。

 並の相手を誘うのであればまだしも今回の標的は結月さんだ。

 単なるデートでは彼女が望むものにはならない可能性がある。こちらから誘った手前、彼女をがっかりさせるわけにはいかない。

 ――なにかしら作戦を考えなければ。


 俺は半分以上残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干す。

 ほろ苦さと冷たさが胸に染み渡っていく。

 そんな俺の様子を見かねてか、上郡は小さく息を吐き出し、眼前を――つまりは俺を見据える。


「ん、まあでも、総合的には割と楽しかったですよ」

「……そっか」

「せんぱいは、大丈夫でしたか?」

「ああ……俺も楽しかったよ」

「それはよかったです」


 上郡はパチリと大仰に瞬きをし、コトリとカップをテーブルに戻す。

 ここで大丈夫かと聞くあたりが実に上郡らしい。


 上郡は常に上郡だ。どんな時でも自分を見失わない。

 俺も、そうなりたいと心から思う。


「今日は一日、ありがとな上郡」

「……いえ、取引ですから」


 上郡は涼しげに微笑む。

 彼女のカップからは、抹茶フラペチーノはいつの間にか底をついていた。

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