第5話
「せんぱいこそ、何をしていたんですか?」
「ん、ちょっとした野暮用でね」
テニス部の知り合いの手伝いをしていたことをかいつまんで説明する。
まあ、ただ頼まれて手伝ったというだけなので、かいつまむ程の内容もないのだが。
しかし、この子とこれだけ長く話したのはこれが初めてな気がする。新歓期は話をした記憶がないし、こないだの自販機でも会話らしい会話ほとんどしてない。今日も俺がほとんど一方的に話しているので会話と呼べるかは微妙なラインではあるが。
「そんでもって、置いてた傘を誰かに持ってかれちゃって困った困ったって感じ」
「そうですか」
訪れる静寂。気まずい沈黙。雨音のBGMだけが鼓膜を揺らす。
こういう時に自分のコミュ力不足が嘆かわしい。女の子にリアクションをとってもらえなければ俺は二の句も告げないのだ。
そんな俺の心内を知ってか知らずか、上郡さんはこちらに向き直ると、一瞬の逡巡らしきものを見せたのち、差し出すようにして傘を傾ける。
「……入ります?」
所謂、相合傘のお誘いであった。
傾いた傘の先端からポツポツと水滴が滴り落ちる。
予想の斜め上の問いかけに、瞬間言葉が詰まる。
きっと彼女に他意はない。先輩に気を使ってくれているだけ、ただの社交辞令だ。
それでも、じんわりと額に汗が滲み、口の中が不自然に乾いていく。
「……や、ありがたいけど遠慮しとくよ。めっちゃ汗かいてるし、上郡さんが濡れちゃうから申し訳ないよ。家も近いし大丈夫」
「そうですか」
できる限り優しい口調で答える。俺はちゃんと笑えていただろうか。
現実問題、大丈夫じゃないからこうして部室棟の前でまごついているわけなので、主観的にも客観的にも大した言い訳になっていないのだが、汗臭い状態で彼女と至近距離に近づくのは嫌だったし、俺のせいで上郡さんが濡れるのが嫌だというのも本音だった。
上郡さんは特段深追いしてくることはなかった。
別に答えはどうでもよかったのかもしれない。やはりその表情から本音は窺い知れなかった。
無表情のままツイと顔を背け、降りしきる滝のような雨に視線を向ける。
「……――」強まる雨足。小さな桃色の唇から零れた呟きは、空が奏でるオーケストラに吸い込まれ消えていく。
「ん?」
「あまり足しにはならないかもですけど、よければ使ってください」
「おっと」
上郡さんはなにやらハンドバッグを漁り、トトトッとこちらに近づく。傘を差したままだったこともあってか、俺から2メートルくらいの場所で立ち止まると、ポイっと小さな布を投げ渡してくる。
ハンドタオルだった。可愛らしい花柄の刺繍が施されている。まさに女子が持っていそうなハンドタオルであった。
「あ、ありがとう」
「貸し1ということでお願いします。では、わたしはこれで」
こちらの反応を窺うこともなく踵を返した上郡さんはそのままそそくさと雨中に消えていく。
ポツンと一人取り残された俺は、タオル片手にぼーっと立ち尽くす。
……相変わらず掴みどころのない子だなあ。そして貸しを作ったその日に別の借りを作ってしまった。
――もう少し、雨が落ち着いたら、走って帰ろう。そう思った。
*
友口のいう『お礼』の機会はすぐにやってきた。
今は18時少し前、渋谷の少しオシャレな居酒屋に俺はいた。テーブルを囲む6つの席の片側に俺、友口、友口の知り合いという3人が順に腰かけており、対面に人が座るのを気もそぞろに待っている。
端的に言えば合コンである。オーソドックスな3on3スタイルだった。
なんでも、友口が近くの女子大の子と知り合い(どうせそれも合コンだろうが)、仲良くなったということで一緒にお食事会をしましょう、と慎ましいお誘いをしたらしい。友口がお食事会だなんて上品な言い方をしたのかと考えると笑えてくる。
「はあ~」
「悪かったって、堪忍堪忍! マジ感謝してるよ」
溜め息をつく俺に、平謝りする友口。
正直に言えば、俺は合コンが苦手だった。
別に女性と話すこと自体は不得手ではないし、彼女だって作りたいとは思っている。これは嘘偽りない本音だ。ただ、こと合コンとなると+αのホスピタリティ精神が求められる点でどうにも性分に合わない。
もてなすことが嫌というわけではなく、そうしなければならない空気の中でうまく立ち回ることができないのだ。頑張ってもすぐに気疲れしてしまい、楽しさよりも億劫さが勝ってしまう。
そんなわけで、最初は会への参加を断ったのだが、「お前、今のままでええんか!そこに愛はあるんか!」という意味不明な発破と、「来てくれよ、頼むよ~」という懇願を受けて渋々足を向けたのである。どうやらメンツが足りなかったらしい。
貸し1が貸し2になって返ってきた感覚である。お礼どこいった。
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