第52話

 俺はとあるチェーンのファミレスでアルバイトをしている。

 大学最寄りのファミレス、ではなくそこから電車と徒歩で合計一時間ほど要する場所に立地するファミレスである。

 なぜそんな離れた場所に通っているかというと、まあきっかけは些細なもので、ある日ある時間帯に友人がそこにいたということを証明するため、店の防犯カメラのデータを見させてもらうべく潜入したというのが当初の背景だ。

 もちろん、馬鹿正直にそんな理由を伝えても採用してもらえるわけはないのだが、幸いなことに実家と大学とを結ぶ路線上に位置していたこともあり、大学からの帰りに立ち寄るという名目で上手く潜り込むことが出来たのである。


 紆余曲折ありつつも既に目的は達成したのだが、採用されてものの数ヶ月で辞めるというのはどうにも居心地が悪く、またファミレスが人手不足に悩んでいるという事情も相まって、辞めるタイミングを逃し続けているのが実情である。

 店長が鬼の25連勤をしていると聞かされてなお躊躇なく辞められるほど冷血漢ではなかった。

 社会人って大変だなあ。


 話を戻すと、目の前の少女、黒川恋は同じファミレスで働く後輩である。花も恥じらう現役女子高生だ。確か学年は二年だったように記憶している。

 まあ後輩と言ってもバイト歴でいえば先輩にあたるのだが、さすがに齢三つ離れた後輩を先輩呼びすることはなかった。


 容姿は端麗の一言。

 肩口で綺麗に切り揃えられた黒髪に利発そうな目鼻立ち。まん丸とした大きな黒目と、目尻の小さな黒子ほくろが特徴的な美少女だ。

 元の素材の良さゆえか、そこまで化粧っ気を感じないにも関わらず、その容姿は人目を引くには十分すぎるほど完成度が高い。


 そんな彼女となぜ遭遇したくなかったかというと。


「こんなところで会うなんてほんと偶然ですねっ! 最近はゆうま先輩、バイトのシフトも少なくてあまり会えてなかったから、なんだか嬉しいですっ! 試験で忙しかったんでしたっけ? 恋もちょうど期末考査が終わって夏休みに入ったところなんですよっ! 今回はあんまり勉強する時間が取れなくて大変でした……あっ、でもでも赤点とかは取ってないんです! 恋って意外と勉強は苦手じゃないんですよっ!」

「そう……それは大変だったね」

「はいっ!! でも、ゆうま先輩に会えて元気でましたっ!」


 一気に捲し立てたせいか少し息苦しそうにほんのり頬を上気させる黒川。

 しかしその顔には満面の笑みが浮かんでいる。

 語尾がスキップするかのごとく飛び跳ねている気さえする。なんならその勢いで飛びついてきそうな勢いであった。これが犬なら尻尾を全力でフリフリしていることだろう。


 と、まあこんな感じでものすごーく懐かれてしまっているのである。


 いや、誓って言うが、こちらから距離を詰めたとか手を出したとか、そういったことは一切行っていない。天地神明、愛澤家の名に懸けてそんなことはしていない。というより出来ないと言った方が正しいのは周知の事実であろう。

 それどころか無用なトラブルが発生しないよう、なるべく距離は取っていたつもりなのだが、最近はどうにもシフトが被ることも多く、いつの間にか懐かれてしまったという状況だ。

 年下の女の子を邪険にするわけにもいかず、かといって親しくすることも俺には出来ないのでどうにも手に余る感じだった。


 要は、俺に対して少なからず親しみと関心を持ってくれている知人であり、まず間違いなく今の状況に対しても何らかの疑問を呈してくることが予期されるので、なるべくなら場面では遭遇したくなかったというのが本音だ。


「……悠馬、この子だれ?」


 黙って成り行きを見守っていた美優が静かに口を開く。

 依然として俺の腕は美優姉の胸元に収まったままだ。

 それどころか、先程までよりも一層強く抱き締められ、俺の腕はふくよかな彼女の胸の中に沈み込んでいく。それはさながら、デート中に彼氏が見知らぬ女性に話しかけられ、思わず警戒感と独占欲を強める彼女のようだった。

 ……いや、そこまで恋人演技を徹底しなくてもいいのに。


「えっと、俺のバイト先の後輩の黒川さんだよ。で、こっちが――」

「あっ、もしかして、ゆうま先輩の彼女さんですかっ? きゃあっ!」


 俺が美優姉を紹介しようとしたところでピンク色の声が上がり、期せずして機先を制された形となる。

 それははしゃいでいるようで――それでいてどこか試すような声色にも聞こえた。


 何を試す?

 ――俺を? それとも。


「や、違っ――」

「そうよ」


 俺が否定する間も無く美優姉の食い気味なカットインを受け、悉く説明のタイミングを逃してしまう。というか人の話聞く気がねえなこいつら。


 つまるところ、美優姉としてはあくまで恋人のフリは続けるつもりらしい。彼女の覚悟を感じる徹底した意思表明。

 しかし、短い三文字に刻まれているのは意思それだけでなく、黒川に対する何らかの感情――ともすれば敵視にさえ感じるはっきりとした口調だった。


 ……美優さん、なぜにそんなピリピリしてるんです?

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