第30話


「やるじゃないですか、せんぱい。正直見くびってました」

「いや、俺もびっくりしてるよ……」


 結月さんとまさかのアポイントを交わした二日後。

 秘密基地である5-6ルームに集った俺は顛末を上郡に説明していた。

 前回の上郡からの指示である部屋掃除は少し前に終わらせてある。といっても大学の部屋であるわけで、レイアウトを勝手に変えたり、備品を捨てることもできなかったので、俺がやれたことと言えば床をピカピカに磨き上げたことと、部屋中の見える範囲の塵、埃を完璧に取り除いたくらいだ。こう見えて掃除は得意なのである。


 ちなみにあの日は、席に戻ってからは自分でもよくわからないがすっかりテンションがおかしくなり、アホほど飲んだ挙句に酔いつぶれて友口に家まで送り届けてもらった。奴に借りを作ったのは癪だが、こないだの合コン参加とトントンだろう。

 続く翌日も二日酔いでダウンし、ほうぼうの体で必修講義に繰り出すのがやっとで、正直報告どころではなかったのである。


「ここまでのスピード感は予想してなかったですね。さすがせんぱい、手が早いです」

「嫌な言い方だなあ」

「このあとどうしていくか考えないとですね」


 そう言って木製の椅子に腰掛けながら思案顔を見せる上郡。口元に手をやり、ふむふむと一人唸る。

 とはいえ、俺自身の根本的問題は何一つ解決してはいない。相変わらず女性が隣にくると緊張で動けなくなるし、触れるなんてもってのほかだ。手を繋ぐレベルであっても、どのくらい先の話になるのか想像もできない。


 けれど、結月さんとのデートは俺だけじゃなく、彼女にとっても一つのきっかけになってほしいと願う。

 無論、俺ごときと遊ぶことで彼女の忘れられない想い出になれるだなんて思ってはいない。彼女自身の抱える悩みはきっとはるかに根深い。

 それを解決できるだなんて大言壮語を吐くつもりはないし、自信満々でデートに臨めるほど厚顔無恥ではない。

 ただ、ほんの少しでもいいから彼女が心から楽しんでくれればと思う。願わくば、それが彼女のためになるのであれば、俺としても嬉しい。

 俺はこれから、そのための準備をしていかなければいけない。


「ちなみにせんぱいは、デートってしたことありますか?」

「……高校時代に何回かはあるけど、それっきりだな」


 そうはいっても高校生のデートなどたかがしれていて、お小遣いの都合上、あまりお金のかかる場所には行けなかった。

 まあ金がないのは今も大して変わりはないが。

 ちなみに美優姉とのやり取りはカウントしていない。荷物持ちとしてショッピングに連れまわされて、酒を飲んで締めるという流れをデート扱いしてもよいのかは甚だ疑問であった。


「へえ、それは彼女さんとですか?」

「ん、まー、そんなとこかな」


 正確に言えば、デートしていた頃はまだ彼女ではなかったのだけれど。

 まあそれは些事でしかない。


「ご参考までに、どんなところに行かれてたか教えていただけますか?」

「別に普通というか、カフェとか映画館とか図書館とか、高校生らしい感じだったと思うよ」

「んー、そのままだとあまり大学生のデートっぽくはならないかもしれませんね」

「あとは植物園とか画廊とか」

「それはそれで大人びてますね」

「相手の趣味にあってたのと、あんまり金がかからなかったからな」


 個人的には植物園の雰囲気が好きだ。

 日常を忘れて世界観に没頭することができる。


「そっちはどうなんだ? 異性とデートとかしたことあるのか?」

「ありませんね。グループで仕方なく遊ぶことはありましたが、二人きりというのは経験ありません」

「そうか」

「未経験です」


 謎の念押しはさておき、経験値という意味では二人ともあまり期待できそうになかった。

 俺の反応に不満でも覚えたか、僅かにムッとした表情を浮かべた上郡は続ける。


「一応、言っておきますけど、誘われること自体はそれなりにあったんですよ。付き合ってもない、仲良くもない男子と遊ぶことにメリットを感じなかったので全て断ってきたのです」

「へえ……」


 特にうまい返しは思い浮かばなかった。

 上郡の容姿からしたら当然だとは思う。むしろグループの中だと常に一定の距離をとってくるであろう上郡に対しては、多少ギャンブルだとしても一対一のデートに誘うくらいしないと関係性を深めるのは難しかったのだろう。


 しかし、どんなルートを通ったとしてもそもそも仲良くなることさえできないというのは、常に負けイベが発生している感覚に近い。上郡に好意を抱いていた男子たちを少し気の毒にも思う。


「ま、こうなると選択肢は一つですね、せんぱい」

「ん、どういうこと?」

「処女と童貞が机上で妄想を繰り広げても仕方ないということです」

「事実かもしれないけど身も蓋もない言い方するな……じゃ、どうするんだよ」

「ふふっ、取引のお時間ですね」


 使い古された椅子から上郡は凛と立ち上がり、顔の前で指を一本立ててみせる。


「私と予行演習に行くのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る