第103話
*
昼間の散歩道へ抜け出た俺は、そのあとも必死に足を動かし続ける。
街灯もなにもない道だ。何度躓きかけたかもわからない。
けれど未知ではないというその一点が俺に勇気を与える。
しばらくすると、道の端っこに座り込む影を俺は捉える。
「上郡ッ!」
それは間違いなく上郡真緒であった。
月明かりが逆光となりこちらからは体育座りのシルエットしか見えないが、俺が彼女を見間違えるわけがない。
「あっ――せんぱい……遅かったじゃないですか。待ちくたびれましたよ」
上郡は俺に気づいて一度、顔をこちらに向ける。力なく笑ってそう言うと、なぜだかすぐに視線を自身の膝小僧に戻してしまう。
「お、おい、無事か!? どこか怪我とかしてないか!?」
「……はは、心配性ですねぇ」
「当たり前だろうが!」
俺がスマホのライトを上郡の方に向けると、上郡はほんの少し眩しそうに目を細める。
あちこちに木の枝やら葉っぱやらがくっ付いているが、見たところ流血はなさそうである。
「お前、上から落ちたんだよな?」
「はい、お恥ずかしい限りです」
「恥ずかしいとか、そういう話じゃねえだろ。大丈夫かよ」
「うーん、大丈夫ではあるんですけど……無事、ではないかもですね」
「どこだ、どこを怪我した。言え、俺がなんとかしてやる」
「せんぱいにそんなスキルありましたっけ?」
「痛いの痛いの飛んでいけ~って言って患部をさすってやるよ」
子どもですか、と上郡は小さく笑う。
「ふむ、そしたらおしりをお願いできますか? 斜面で滑ったときにおしり打っちゃいまして、なんだかジンジンします」
「よし、大丈夫そうだな。安心したぜ」
「嘘です、冗談です。いや冗談というわけでもないんですけど……本当は足を挫いちゃいました」
上郡は足首をさする。
スマホのライトで照らすと赤く腫れあがっている。
どうやらこの怪我もあって、彼女は動けなかったらしい。
捻挫という言葉自体は聞き馴染みがあるものだが、平たく言えば靭帯損傷である。程度によっては重傷の場合もある。
「……お前、無茶はしないって約束したばっかりじゃねえか。なに即日ぶち破ってくれちゃってんだよ。マジで肝が冷えたぜ。どんな肝試しだよ」
「……面目ないです。
「当たり前だ。するつもりがあってやったんだとしたら女だろうが構わず鉄拳制裁してるとこだよ」
「ほんとですか?」
「いや、ごめんそれは嘘だけど……でも、わざとだろうとそうじゃなかろうと怒ってるのは本当」
「……ごめんなさい」
上郡が本気で反省している姿を見るのはこれで二回目だった。まさかこんな短期間に二度も見られるとは。
ともかく、足首のねん挫と所々に伺える擦過傷以外には大きな怪我はなさそうだった。
無論、俺の素人目ではわからない内々の怪我の可能性も考慮すれば百パーセント安心できるものではないのだが、目に見える大怪我がないことに対して安堵感を抱いてしまうことくらいはどうか許してほしい。
「お陰様で、俺までお前との約束を破っちまったぜ。あーあ、肝試しなんか余裕だったのになあ。手繋ぎどころか目隠ししながらでも」
「すみません、せっかく結月さんと手を繋げるチャンスだったのに」
「いやそれは別に気にしていないが……」
俺はスマホを操作し、『カミゴオリ、ハッケン、スグ、モドル』と結月さんにチャットを打っておく。
すぐさま既読がつき、ポコンという通知音とともに『リョウカイ、スグ、モドレ』と返信がくる。
「んじゃ、戻ろうぜ。みんな心配してるよ」
「えっと……」
「ほれ、特別に、ほんっとーに特別に、
俺は結月さんの言葉を借りる。
当たり前だが、上郡の捻挫の程度が分からない以上、こいつを歩かせるわけにはいかない。というより彼女の様子を見る限り満足に歩ける状態ではないはずだ。
俺が背中を見せると、上郡は困惑したような様子を見せる。
「……
「
俺は力強く言い切る。
彼女の困惑はよくわかる。きっと俺のことを慮ってのことだろう。
背中を貸すということは、女子との距離が完全にゼロ距離になることに等しい。
彼女からしてみれば散々、俺のトラウマを克服するために協力して来たわけで、そんな俺が女の子をおぶることができるのかというのはまっとうな疑問であり、正しい躊躇だろう。
確かにそれはこれまでの俺にとっては、大学受験などよりもよほど高いハードルであった。
別にそれは今も大きくは変わっていない。結月さんと手を繋ぐのでさえ、時間をかけた瞑想が必要なくらいだ。
けれど、
それ以上に大切なことが、優先すべきことがあるという、ただそれだけの話だ。
今の俺にとって、上郡を無事に旅館まで送り届けること以上に気にすべきことなど存在しない。
それ以外のことは考える必要も、感じる必要もないのだ。
「……でも、わたし、身体中泥と汗まみれで、えっと、汚いというか」
「心配するな。俺もここまでダッシュして来たから汗だくだ。今さらお前の汗も匂いも気にならねえよ」
「なんだか、その言い方はちょっと気になりますけど……じゃあ――失礼します」
上郡はおずおずと俺の肩に手をかけ、背中に登る。ギュッと俺の首元に腕を回し、肢体を強く俺の背中に密着させてくる。
じっとりと熱を帯びた上郡の身体の柔らかい感触が伝わる。
俺は色々な緊張を募らせつつも、上郡の膝裏に手を回し、よっこらせと彼女ごと立ち上がる。
普段の大きな態度とは裏腹に、その身体はとても小さく、そして軽く感じた。
「……愛澤せんぱい」
上郡は俺の背中に顔を埋めながら、小さく俺の名を呼ぶ。
「なんだよ、後輩」
「……ありがとうございます」
「気にするなよ」
それから旅館に到着するまで上郡が口を開くことはなかった。代わりに俺の首元に回された腕にギュッと力が籠められ、その身体を背中に強く押し付けてくる。
上郡の持つスマホのライトが照らし出す道に沿って、俺たちは静かに歩いていく。
月明かりの下で、二人の影が静かに重なっていた。
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