第101話

「――ッ!」


 思考よりも先に身体が動き出していた。

 闇へと伸びる道を躊躇なく駆け出す。


「っ、愛澤くんっ!」

「悪い、結月さん!」


 背後に遠ざかっていく結月さんに、俺は頭越しにそう叫ぶ。

 果たしてそれは何に対する謝罪だったのだろう。

 持ちうるほとんどのリソースを前進に使いながら、残った幾何かの脳みそでぼんやりと考えてみる。


 一緒に肝試しが出来なくて――?

 結月さんの勇気を無碍にしてしまって――?

 夏の大三角を見ることが出来なくて――?


 きっとそのどれもが正しい。

 ――けれど、正解ではないような気がした。


 上手く、言葉では言えないのだけれど。


「――って、そんなこと考えてる場合じゃ、ねぇなっ!」


 俺は思考を現実に引き戻す。


 嘘。

 理由はよくわからないが、上郡は俺に嘘をついていたということらしい。


「……いや、違うな」


 頭の片隅では、きっと理由はわかっている。材料は揃っているはずだ。

 ただ俺が頭の中でそれらを組み立てることができていないだけなのだろう。


 ――せんぱいと結月さんの関係を深められるよう、最高の吊り橋効果を目指して頑張りますよ。

 ――残念です、わたしが脅かし役だったならせんぱいの怖がる顔を見られたのに。


 つまり上郡は、俺を油断させるために自分は脅かし役ではないと嘘をつき、中間地点に身を隠していたということなのだろう。

 あいつが言うところの最大限の吊り橋効果を実現させるために。


『女性はみんな嘘つきですからね、あまり見たまま聞いたままを信じない方がいいかもですよ』


 上郡の言葉が不意にフラッシュバックする。


 それを言っている本人が一番の嘘つきなのだから、余計に真実味を帯びてくる言葉であった。

 嘘つきの言葉が、自身の言動をもって正しく見えてくると言うのはなんともトンチが利いた話だ。

 あいつと話すときは、これからは話半分に聞いておかないとな……。


「ハァッ……さすがに暗いな」


 何も考えず駆けだしてしまったものだから懐中電灯を借りるのを忘れてしまった。

 俺はやむなくスマホのライトをつける。充電が心配だが、しばらくは大丈夫だろう。

 それに、今はそんなことを気にしている場合じゃない。


 よぎる最悪の予感。


 もし、上郡が身を隠している最中に何らかの事故にあっていたのだとしたら――?

 中間地点は丘の頂上にある。少し道を逸れたら、場所によってはそれなりの傾斜もあるはずだ。

 何かの拍子に足を踏み外しでもしたら、ただの怪我では済まないだろう。

 そう考えると、俺は居ても立っても居られなかった。


『わたしは誰かを傷つけることも、自分の価値を下げるようなこともしませんよ。せんぱいとの約束ですものね。せんぱいはせんぱいの為に、わたしはわたしの為に、約束の範囲内でベストを尽くしますよ』


 本当。

 どの口が言ってるんだと突っ込みたくなる。

 あいつの言葉は嘘ばかりじゃないか。


「あ、愛澤さん……!?」

「ハァッ……中間地点ってのは、この道をずっと行けばいいんだよな!」

「は、はい、そうです……!」


 途中、不思議そうな様子で茂みから顔を覗かせた後輩と遭遇した俺は、一時足を止め言葉を交わす。


 ひと先ず、肝試しを中止するよう伝えたところ、結月さんの指示で既に全員に中止連絡が行き渡っているらしい。

 二次災害を防ぐべく、上郡を探す場合にも決して舗装されていない場所へ足を踏み入れないようにとも言われているようだった。


 本当は駆けだす前、俺がスタート地点で指示すべきだった。そこを結月さんにカバーしてもらった形になる。

 つくづく――結月さんには敵わない。そう感じる。


 というか、この場合は俺がどうしようもなさすぎるだけかもしれないが。

 直情的になりすぎて、肝心なところで的確な指示を下せない自分を情けなく感じるが、反省も後悔も後回しだ。


 後輩と別れた俺は再び走り出す。しかし足取りは少しずつ鈍くなっているのを、俺は確かに実感していた。

 トータルで既に五分以上、この上り坂を走り続けている。

 一歩足を踏み出すたびに胸は大きく波打ち、心臓の鼓動が耳元で激しく響く。


 日中の照り付けるような陽射しは既に失せているとはいえ、季節は真夏だ。陽が落ちてなお気温は三十度に近い。荒い呼吸を繰り返すたび、熱い空気が喉と肺を焼き尽くすような感覚を覚える。


 運動から遠ざかっている男子としてはヘビーすぎるくらいの運動だ。というか全盛期だったとしても上り坂を全力ダッシュなんてそうそう続けられねえよ。

 脚は重く、まるで鉛を引きずっているかのようだった。

 筋肉は悲鳴を上げ、酸素が足りないと訴える。呼吸を整える余裕もなく、ただ足を前へ前へと運び続ける。


「ハァ、ハァ」


 中間地点に辿り着いた頃には、既にほうぼうの体であった。

 俺は荒い呼吸を整えようと両手を膝に付こうとするが、汗で滑って上手く力が入らない。これが両手から出ている汗なのか、膝にかいた汗なのか、それすらもわからないほど全身汗だくであった。


 事情を知らない人間がみればシャワーを浴びた後のようにも見えるだろう。

 もしくは小雨に打たれた後のようにも映るかもしれない。

 こういうトリックを使った推理小説もあるかもしれないなどと益体もない発想が脳裏をよぎるが、現実的には汗臭さで即バレだろう。

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