第54話
「……悠馬」
黒川を見送ったのち、美優ちゃんが神妙な面持ちで口を開く。
「……女子高生に手を出すのは流石にダメよ」
「誰が出すかっ!」
俺は思わず叫ぶ。
高校生以下と大学生以上とでは越えてはいけない壁がある。いくら少し前まで自分も壁の向こう側の人間だったとはいえ、さすがにそこを履き違えることはしない。
しかし美優ちゃんは尚も懐疑的な視線をこちらに差し向けてくる。
「そう言う割には随分仲良さそうに見えたけど?」
「……向こうから慕ってきてくれてるんだよ。邪険にするわけにもいかないだろ」
「ふーん、下心はないと?」
「ああ、一切ないね。何だったら黒川の距離感の近さにはこっちも困ってるんだ。本当だよ。府中のじっちゃんの名をかけてもいい」
「それ、あたしのおじいちゃんでもあるんだけど……じゃあ、とーっても可愛い年下の女の子に好意を抱かれても悠馬は嬉しくないってわけね?」
「いや、それは嬉しいです、とても」
「きっちり鼻の下伸ばすなロリコン」
酷いこと言うなあ。
ロリコン呼ばわりはせめて手を出しそうになってからにしてほしいものだ。
いや、手を出すつもりなんてないんだけれども。
俺たちは既に歩き出していた。
9階に繋がるエレベーターに向けて足を進めていく。
ちなみに俺の右腕は美優ちゃんに捕獲されたままである。
「……でも、悠馬さ、凄い感じの悪いことを言うけどさ――あの子ちょっと気を付けた方がいいよ」
美優ちゃんはこちらをじっと見つめ、真面目なトーンでそう言う。
「あん? どういうこと?」
「うまく言えないんだけど……あの子はきっと、
冗談で言っているわけではないのだろう。そもそも、美優ちゃんは冗談でも人の悪口は言うタイプではない。
そんな彼女がそう言うということは、きっと本当に俺のためを思って言っているということなのだと思う。
しかしそれでも、黒川のことを自分を慕ってくれる可愛い後輩として憎からず思っている俺としては、純粋に聞き入れることも、また聞き流すことも難しかった。
「黒川には俺に見せていない裏の顔がある、ってこと?」
「ん。まあ、あの子が悪い子だとか、そういうことを言いたいわけではないんだけど……」
美優ちゃんは答えづらそうに言い淀む。
それだけ、彼女としても何かを確信できているわけではないようだった。
たった数分の邂逅であることを考えればそれも当然だろう。
しかし――たった数分であっても、女性である美優ちゃんには嗅ぎ取れる何かがそこにはあったのかもしれない。
「つーか……そもそも、どうしてそう思うんだよ。理由を言ってくれないと、俺としてもどうすりゃいいかわかんないよ」
「別に、女の勘。ま、あたしの勘違いかもしれないし、聞かなかったことにしてくれても構わないわ。気にせずイチャコラ乳繰り合えばいいじゃない」
「誤解を招く言い方するんじゃない」
美優ちゃんはそっぽを向き、それきり黒川について話すことはなかった。
彼女からしても話していて面白いものではなかっただろう。最後の一言に彼女の想いが詰まっているような気がした。
そうはいっても、俺の中では黒川は純粋無垢な可愛らしい後輩で、妹のような存在であることに変わりはない。彼女の
きっと――ただの勘違いだとは思うのだけれど。
施設内には上層階直通のエレベーターが備え付けられていた。
時間も時間だけに、いまからレストランフロアは向かおうという人は見当たらない。
到着したエレベーターに乗り込むのはどうやら俺たち二人だけらしい。
俺が足を踏み出しかけたところで美優ちゃんが徐に口を開く。
「……ねえ、悠馬。ゲームしよっか。負けた方がこの後のご飯を奢るの」
「ゲーム?」
それは唐突な提案であった。
しかし彼女が唐突なのはいつものことではある。
「うん。ルールは簡単。エレベーターの中で、ただお互い抱きしめ合うだけ。恥ずかしくなって先に離れた方が負け」
「……もしかしてそのゲーム、例の恋愛超特急に収録されてるやつ?」
「うん」
サラリと答える美優ちゃんは口元に薄っすらと挑発的な笑みを湛えている。
説明を聞く限り、きっとチキンレースのようなものだろう。
ギリギリまで抱き合っていると、目的の階に到着したとき、外で待っている人がいればその姿を見られてしまう。
要はどれだけそれを我慢できるかという勝負だ。
……ふと思ったんだけど、たとえ片方が途中で手を離しても、相手が手を離さなかったら結局抱き合ってる姿が見られてしまうのでは?
ゲームがそもそも破綻している可能性に一抹の不満を覚えつつも、俺は美優ちゃんと歩調を合わせ、鉄の箱に足を踏み入れる。
「じゃあ――いくね」
美優ちゃんは俺の返事を待つことなく、エレベーター内に入るや否や俺の正面から背中にかけてぐるりと両腕を回し、自身の胴を俺の身体に強く押し付ける。
まるで俺の存在を確かめるかのように、強く、強く、俺の身体に回した手に力を籠める。
俺を抱きしめる力の強さが、右胸に伝わる美優ちゃんの心臓の鼓動が、否が応でも彼女の存在を俺に意識させ、俺は思わず息を呑む。
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