第57話
「わぁ……」
結月さんの口から感嘆の声が漏れる。
中は幻想的な光に包まれていた。
チラチラと天井から差し込む色とりどりの光線が館内を美しくライトアップする。
館内を彩るのはそれだけではない。
壁面、床、天井の隅々まで液晶が貼り付けられており、それぞれの水棲生物が入った水槽を取り囲むようにしてデジタルの海と魚が広がる。
時間によって背景も変わるのだろうか。今この時間は深海をモチーフとした映像が流れている。
まるで全身どっぷりと海の中に入り込んだかのような、そんな錯覚すら覚えるほどだった。
「こんな水族館来たの、私初めて」
「まあ、あんまりこういうとこはないよな」
なんでも音と光がこの水族館のコンセプトなのだそう。魚以外をも視覚的に楽しめるよう、さまざまな工夫が館内には施されている。何度来ても飽きないよう、たくさんの努力が為されているようだ。
そんな俺の反応を見てか、結月さんは不思議そうにこちらの顔を覗き込む。
「あれ、もしかして愛澤くんはここ来るの初めてじゃなかったりする?」
「うん、まあね。実は三回目なんだ」
「へえ、ベテランさんだ」
「ああ、水族館には少々うるさくてね」
自分で言うのもあれだが、俺は水族館フリークだ。観光地、特に海に面している場所に旅行へ行った際には必ず水族館を訪れるようにしている。その土地によって全く違う種類の水棲生物が展示されており、水族館ごとの違いを楽しむのが俺のルーティーンだ。
都内近郊の水族館はもちろんどれも素晴らしいのだが、見た目のインパクト、記憶の残りやすさで言えばこの水族館を差し置いて右に出るものはないだろう。
ここを選んだのもそういった理由である。
「ふうん、水族館、好きなんだ?」
「ああ。地上じゃ絶対に交流できないような生物と、こうしてガラス越しに触れ合えるだろ? これが好きなんだよな」
純粋な生物どうし対等な関係で触れ合うことができるのはこの場所限りだ。陸に引き上げられた時点で捕食者と被捕食者の関係に変わってしまう。
無論、厳密に言えば水族館という檻に閉じ込められているわけで、必ずしも対等ではないのだが、猫や犬など他の動物と違って彼らが暮らす様は普通に生活しているだけでは見ることは叶わない。
人は手の届かないものに憧れる。
人類が宇宙を目指し続けるのもきっと同じ理由なのだろう。
届きそうで届かないからこそ、もがき、追い求めるのだ。
だなんて、たかが水族館を語るのには少し大袈裟かもしれないけれど。
「そっか。うん、ちょっとわかるかも、その気持ち」
「だろ。しかも魚って結構賢いんだぜ。どんなに小さくても、人のこときちんと認識してる魚だっているんだ。それがまた可愛いんだよな」
「へー」
受け答えしつつも、結月さんの瞳は周囲に向けられている。
こちらに向き直った結月さんはニコリとはにかむ。
「愛澤くんらしい文化系趣味でいいと思うな。あ、これは別に煽りとかじゃないよ?」
つまり、普段は煽っていると、そういうわけだな?
しかし今更その程度のことで青筋立てる俺ではない。
「ま、俺は生粋の文化人だからな。別に言われて悪い気分はしないよ」
「文化人はまた意味が違うと思うけど」
「まあでも、文系だからねえ」
「ザルな理論だなあ」
文化人すぎて理系科目は一切捨てたくらいだ。
結月さんは呆れたような苦笑いを浮かべていたが、すぐに気を取り直して表情に華を咲かせる。
「じゃあ、文化人な愛澤くんに水族館のこと、お魚のこと、色々と教えてもらおっかな! お任せしていいかな?」
「ああ、もちろん。言ったろ、サービスするって。俺の本気を見せてしんぜよう」
さあ、デートスタートだ。
*
「うわあ、ここすごいね……」
結月さんが息を呑む。
俺たちはチューブを半分に切ったようなトンネル型の通路へと来ていた。
左右、天井、どこを見ても水で満たされた空間。
水槽の向こう側には天窓が設置されており、キラキラと陽光が差し込む。まるで海の底から水面を覗き込んでいるような気分だった。
「このトンネルの外側が全部エイの水槽になっていて、ここでは十種類以上のエイが飼育されてるんだよ」
「じゃあこのサメみたいな形の魚もエイ?」
「そ、ノコギリエイの一種だね。軟骨魚類って分類じゃあエイとサメは一緒だから、まあ似てるよな。あそこに泳いでるエイなんかはオーストラリアの方に棲息してる種類なんだけど、日本じゃこの水族館でしか飼育してないんだ」
「へえええ〜〜、なんかお得な気分だね!」
結月さんは俺の説明に対し適切な返しとリアクションをしてくれるからこちらとしても話しやすい。
やっぱり結月さんは聞き上手だ。
ああ、誰かと水族館くるのって楽しいなあ。
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