百二十二 満たされぬ飢え

 ばらばらに床へ崩れ落ちた肉塊を前に、納刀した紅は浮かない顔をして佇んでいた。


「どうにもつまらぬものを斬ってしまいましたね」


 都市の守備隊を殲滅し、首尾よく敵将の首まで獲ったのは良いが、その最期があまりにも見苦しかったため、今一つ充足感を得られなかったのだ。


 気分を変えるべく何気なく部屋の中を探ると、守備隊の射撃手が用いていたと思われる白い筒が片隅に立てかけられていた。


 それを手に取って一しきり観察した紅は、ぴんと閃いたように笑みを浮かべる。


「ふふ。まだ増援が残っているでしょうし、試し撃ちをしてみましょうか」


 紅は窓をからりと開けて、将の首を右手にぶら下げ、銃を左手に持って肩に担ぐと、五階建ての最上階からためらいもせずに飛び出した。


 北側の大通りへふわりと着地し、帝国兵の残骸が散らばる中を悠々と横切ってゆく。


 道すがら、周囲の建物よりこちらを覗う多数の視線を感じ取る。


 捕らわれていた住民だろう。未だに何が起きたのか理解していない様子で、その気配には怯えと不安が含まれていた。


 しかし紅は気にも止めずに歩みを進める。

 時が経てば公国軍が到着しよう。住民の対応は彼らに任せればよいと判断したのだ。


 やがて辿り着いた北門の仕掛けを操作して開け放つと、間近に迫っていた公国軍から大きなどよめきが沸き起こった。


 追い詰められた帝国軍が打って出て来るものかと身構えたのだろう。


 そこへ姿を現したのが紅だと認めると、戸惑いは大歓声に切り替わった。

 都市内がすでに紅によって制圧されたことを理解したのだ。


 降り注ぐ喝采を浴びながら歩んでいくと、兵の壁を割って馬を駆る人物が近寄って来る。


「──中佐相当殿! お疲れ様です」


 覚えのある声の主は挨拶を発すると、紅の前で下馬して丁寧な敬礼を取った。


 北の部隊をまとめていたコルテス少佐であった。


「敵の射撃が止んだのは、やはり中佐相当殿のお陰だったのですね。中から出て来られたと言うことは、戦闘は終了したのでありましょうか?」


 確認を取るようなコルテスの問いに、紅はこくりと頷きを返す。


「はい。これはお土産です」


 言いながら、右手に持っていた首を放り投げる。


 反射的に受け取ったコルテスは、これ以上無いほどの恐怖に満ちた表情が張り付いた首を見て、思わず顔を引きつらせた。


「こ、これは、敵将のものですか」

「はい。将と呼ぶのはもったいない方でしたが」


 紅はばっさりと言い捨てると、逆に問いを返す。


「ところで。敵方の増援は来ましたか」

「は。先行の竜騎士隊が現れましたが、遊撃隊の活躍により撃退に成功致しました。中佐相当殿のご采配の賜物です」

「それは重畳。後で皆様を労わねばなりませんね」

「後で、ですか? 現在遊撃隊は宿営所にて待機しております。中佐相当殿も合流し、ご一緒に休まれてはいかがでしょう」


 コルテスが不思議そうな表情を浮かべた後にそう進言すると、紅はかぶりを振った。


「私はこのまま残りの増援を叩きに向かいます。面白そうな玩具も手に入ったことですし」


 そう言って戦利品の銃を見せ付ける。


「休憩もなさらずに行かれるのですか!?」


 コルテスはぎょっとした顔で聞き返した。


「先程伝令より、南でかなりの猛者と一戦交えたとの報を聞きました。その上都市まで落とされたばかりだと言うのに。後は我々にお任せ頂ければと存じますが……」

「この程度は運動の内に入りません。死合いに水を差されて、むしろ消化不良なのです。もう一戦はしなければ足りないくらいです」


 コルテスの提案をにべもなく突っぱねる紅。


 紅の最も驚くべき点は、圧倒的な技量や身体能力ではなく、どれ程連戦を重ねようがおとろえぬ無尽蔵むじんぞうの体力であると言えよう。


 それを示すように、あれだけ暴れ回った後にも関わらず、玉のような肌には汗一つ浮かんでいなかった。


「皆様には後始末をお願いします。中の住民は無事ですので、早く安心させてあげて下さい」

「……了解しました。ご武運をお祈りしております」


 これ以上言っても無駄だと察したのか、コルテスは紅の言を聞き入れ敬礼してみせる。


「それでは行って参ります」


 紅はにこりと微笑むと、次の瞬間にはコルテスの脇を抜け、兵達を飛び越えて瞬く間に北の街道へ消えて行った。


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