八十三 将の決断

 帝国第6軍司令官、ガスコール中将はグルーフ要塞の執務室にて、部下より上がって来た書類の確認に勤しんでいた。


 夕方過ぎになって一通り目を通し終えた後、指で目元をほぐしながら一つ息を吐く。


「結局、この時間になっても竜騎士隊からの定時連絡はなしか」


 呟きながら引き出しから葉巻を取り出し火を付けると、大きく息を吸い込み先端の灰を瞬く間に広げていった。

 やがて吐き出した煙の量は、抱え込んだ悩みの種の大きさを示しているようにも見えた。


「これで彼らが連絡を断って、丸一日が経過した訳だが。貴官はどう見る」


 ガスコールは部屋の本棚の書類整理をしていたクレベール少佐に視線を投げて、意見を求める。


 クレベールは正式に第6軍に籍を移し、ガスコール付きの副官となっていた。


「責任感の強いファルメル大尉が、理由もなく連絡を怠るとは思えません。非常に申し上げにくいのですが、すでに全滅しているものと想定するのがよろしいかと」

「残念だが同意見だ。ザルツ砦方面へ斥候は放ってあるが、到着する頃にはもう占拠されているだろうな」


 振り返って平淡に述べるクレベールの言に、葉巻の灰を灰皿へ落としながらガスコールは首肯した。


「よもや虎の子の竜騎士20騎がかりですら敵わんとは。本来であれば、要塞一つを落とせる程の戦力なのだがな。皮肉なことに、単純に考えて奴一人でもこの要塞を落とし得ると言う証明になってしまった。まさに悪魔と言う他ないな」

「仰る通りです。あれを人と思ってはなりません」


 目下その脅威が間近に迫っているというのに、二人は冷静さを欠かずに会話を交わす。

 もちろん内心は穏やかではないが、取り乱したところで事態が好転する訳ではないと熟知するが故の落ち着きようであった。


「占拠されたザルツ砦はすぐにも前哨基地として利用されるだろう。その前に取り返すのが常道ではあるが」

「奴が守備についている可能性を考慮すれば、悪戯に被害を増やすだけかと思われます」

「うむ。とは言え、放置していれば、いずれ残る砦も破られ要塞まで達するだろう。いや。竜騎士隊による討伐が成せなかった時点で、要塞での決戦は避けられないものとなったのだろうな」


 ガスコールは瞑目して思案する。


 現在グルーフ要塞が抱える兵は12万。常ならば十分すぎる兵力である。

 しかし相手は5万の兵をただ一人で容易くねじ伏せる悪魔。これでも心許ない数に思えた。


 もう一度参謀本部に掛け合い、三騎将の出撃を具申したとして、援軍が来るまで持ちこたえることが可能であろうか。


 己に問いかけてみるも、軍略に長けたガスコールをしてすら断言できるものではなかった。


「……兵の命を預かる者としては、今すぐここを引き払って後退したいものだが。戦略拠点としての重要度からして、放棄はあり得ん。かと言って、籠城してどうにかなる相手にも思えん。八方塞がりだな」


 ガスコールは言い捨てると、葉巻を灰皿へぐしゃりと押し付けた。


 悪魔の脅威に怯えて一度後退を始めれば、そのままずるずると帝国本土まで押し込まれる公算が高い。それだけは避けたい事態であった。


 クレベールも有効な案が浮かばないと見え、黙して目を伏せている。


 こうなれば徹底抗戦は止む無し。軍人として戦場で散るほまれを甘受するべきか。


 惜しむらくは、決死の覚悟で挑んだとしても、相手に一矢も報いることなく敗れる可能性が高いこと。

 言うなれば部下に犬死にを命令しなくてはならないことだった。


「今になって、ハリス大尉の心情が分かった。相手が化け物だと知ってなお、第4軍は実に勇敢に戦ったのだな」

「……はい」


 クレベールは散って行った者達に恥じぬように顔を上げると、毅然と頷いて見せる。


「ならば我が第6軍も、帝国軍人の誇りをもって彼らに準じるとしよう。何としてでも、奴はここで止めねばならん」


 そうガスコールが静かな闘気を見せた瞬間であった。


 突然扉が激しくノックされ、一人の兵士が部屋へ飛び込んで来た。


「閣下、緊急につき失礼致します! 見張りより報告です! リドール砦の方角より、突如黒衣の少女が現れました!」

「……ちっ。早過ぎる。策を練る時間も与えてはくれんのか」


 顔を露骨にしかめて舌打ちすると、ガスコールは伝令兵に命じる。


「全軍に通達。総員戦闘配置。相手が一人だとて侮るな。最大警戒度で迎撃にあたるように。同時に本国へ救援要請を送れ」

「は!」


 兵士が退室すると、ガスコールは立ち上がり軍帽をかぶった。


「ザルツ砦からここまで一日足らずで到達だと? それも恐らくは道中の砦を、伝令を出す暇すら与えず落とした上で、と来た。笑えん冗談だ」

「その冗談のようなことを平気でやってのけるのが奴なのです」


 驚愕を押さえつけて無表情を固持するクレベールに、ガスコールは大きく頷いた。


「認めよう。今それを実感した。だが、我々とてただではやられん。なるべく長く戦い、奴の情報を引き出すのだ。それを参謀本部へ託し、後の立案に生かしてもらう」

「自ら捨て石になると仰るのですか」

「少佐。最早これは部隊単位の戦いではない。帝国の全てをぶつけねば打ち砕けない脅威だと私は判断する。後の者が奴を討ってくれるのなら、喜んで身を差し出そう」


 自ら陣頭指揮を執るべく歩き出すガスコールの猛禽じみた瞳に、強い光が宿る。


「無論、むざむざやられるつもりは毛頭ないが。死ぬにせよ、奴を地獄へ道連れにせねば気が済まん」

「同感です。お供させて頂きます」

「好きにしたまえ」


 珍しく敵意を剥き出しにした声を発し、後に続いたクレベールをかえりみることなく、覚悟を決めたガスコールは軍靴を鳴らして戦場へ向かった。

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