九十九 奔放なる騎士

 ウグルーシュ帝国軍が誇る三騎将の紅一点、フィオリナ大佐は東方戦線を離脱し、数日を経てレンド公国北方の城塞都市アッシュブールへと到着を果たした。


 市街地の中央に位置する庁舎の脇の広場に氷竜を着陸させると、周囲の帝国兵から歓声が湧き上がる。


 輝く美貌と天性の才を持つ彼女に憧れる兵は数知れず。

 三騎将という称号も相まって、帝国軍のアイドル的存在とも呼べるフィオリナの来訪を、誰もが諸手を上げて歓迎していた。


「ついに三騎将が動かれた! これで悪魔の襲撃に怯えずに済むぞ!」

「大佐殿なら、必ずや悪魔討伐を成し遂げて下さるだろう!」

「フィオリナ大佐殿万歳! 帝国万歳!」


 すでに勝ちを確信した盛り上がりを見せる兵達を見て、氷竜から降りたフィオリナは苦笑した。


「あはは。ずいぶん期待されちゃってるわねー。それだけ悪魔ちゃんのプレッシャーがすごいってことかしら」


 グルーフ要塞より、命からがら逃亡してきた者達から話を聞いているのだろう。

 公国軍の次の狙いは間違いなくここであり、後方支援から突如最前線に立たされた兵らの心労は察して余りあるものであった。


「はいはい、出迎えありがとね。指令殿に挨拶しに行くから、道を空けてくれるかなー」


 フィオリナが声援に応える形でひらひらと手を振ると、集まっていた兵の壁がさっと割れ、整然と敬礼が並ぶ道を作り上げた。


「ん。ありがと。皆いい動きしてるわ」


 大勢の視線が集まる中を堂々と進みつつ、フィオリナは町の様子にさりげなく視線を走らせた。


 目の届く範囲に出歩く住民の姿はなく、大通りですら閑散としている。


 損壊した建物がちらほら目立ち、あちらこちらで兵による略奪がなされていた。


 そして特に目を引くのは、庁舎横の大広場。

 吊るし台や斬首台などの物騒な処刑具が設置されており、付近には見せしめのため、ほんの言いがかりで罪人認定されたとおぼしき住民達が檻に入れられ、鎖で繋がれている。


 罪人の悲鳴が響き渡るその中心では巨大な焚火が燃え盛り、拷問の末、人の形を失くした残骸が次々と放り込まれて黒煙を上げていた。


 この町の責任者は徹底した恐怖統治を敷いているらしい。

 かつてのベルンツァなど比較にならない程の惨状である。


 しかしそれらの痛ましい場面を見ても、フィオリナの胸には何の感慨も湧きはしなかった。

 占領された敵地の末路などこんなものだと割り切っているからだ。


 自身で滅ぼした都市も数知れない。


 敵国の住民にかける情けなど元々持ち合わせておらず、微塵の興味もないのが正直なところであった。


 弱者は奪われるのみ。

 己も類稀な容姿を狙われ、妬まれ、多くの危険に身を晒されて来た。フィオリナが力を求めた理由もそこに起因しているのだ。


 町の観察が済んだ頃、フィオリナは庁舎の入り口へ辿り着いた。


 両脇を固める衛兵が敬礼する間を通り抜け、ずかずかと奥へ入り込んでいく。


 兵の案内を受けて到着した場所は、執務室ではなく式典などに使用する大広間であった。


 中へ通されたフィオリナを出迎えたのは、予想外の乱痴気騒ぎ。

 酒や紫煙の匂いが立ち込め、兵や女達の嬌声きょうせいが飛び交う混沌とした空間だった。


「あらまあ。昼間から派手にやってるわね」

「──おお、来たかフィオリナ大佐!」


 呆れ半分に苦笑するフィオリナを、広間の奥から大声で呼ばわる者が現れた。


 高級そうな酒瓶を片手に、美女を左右にはべらせた赤ら顔の小男。


 アッシュブールの指揮を預かる第6軍分隊長、ダルザック少将であった。


「はぁい、少将。おひさ~。こんな時にどんちゃん騒ぎなんて、良い御身分ね」

「がっはっはっは! こんな時だからこそだよ、君ぃ」


 大分酒が回ってご機嫌なのか、フィオリナの気安い口調も気にせず笑うダルザック。


「グルーフ要塞が落ちたのは帝国としては手痛い損失だが、お堅いガスコール中将が殉職なされた今、第6軍の次期総司令の座は私に回って来るだろう。その前祝いと言う訳だ」

「とか言って、毎日遊び惚けてる癖にー」

「少将様っては不謹慎なんだからぁ」


 左右から抱き着いた美女達が甘ったるい声を出すと、ダルザックは途端にだらしなく鼻の下を伸ばすが、ふときりりと顔を引き締めた。


「心外だ。仕事はちゃんとこなしとる。文句を言われん程度にはな」


 ダルザックは指揮能力こそ凡庸だが、こと物資管理や金勘定については類を見ない才覚を持っている。第6軍が後方にて補給の要として機能していたのは、民から略奪をしつつも生かさず殺さずの加減を知るこの男の辣腕らつわんによるところが大きかった。


「出来る男は仕事と息抜きを両立させるものだ。つまりこれは自分へのご褒美である。そしてそのおこぼれにあずかってるお前達に責められる筋合いはないぞ?」

「キャー、少将様のエッチー!」


 再び頬を緩ませ、美女二人の胸をもみしだく姿は助平な酔っぱらい以外の何者でもなかったが。


「野心に燃えるのは結構だけど。最前線に立ったにしてはずいぶんと呑気じゃないの」


 フィオリナが小馬鹿にしたように言って見せるも、ダルザックは余裕の笑みを崩さなかった。


「そうかね? 悪魔は君が退治してくれるのだろう? ついでにグルーフ要塞跡に集結中の公国軍も蹴散らしてくれるとありがたい。そうなればこの町が戦場になることもあるまいよ」

「結局私頼みじゃないの」

「使える駒に頼って何が悪い」


 フィオリナが嘲笑するも、ダルザックは悪びれもせず言い切った。


「それに、もしものための備えもしてあるとも。帝国はムールズ商会と正式に契約を交わした。こちらへも早速新兵器の類を手配してくれている。それに加えて、用心棒もな」


 ダルザックがくいっと親指で示した先のソファには、いつからいたのか、薄い紺色をした和装の男が深々と座して、酒瓶から豪快に酒をあおっていた。


 その腰には、和国のものと思われる武骨な鞘に収まった曲剣。


 泥酔しているように見えて、周囲には意識が向いている。

 フィオリナが気取れなかったことと言い、かなりの遣い手であろうと思われた。


「なぁにあれ? 私じゃ信用できないってこと?」

「いやいや、もしもの備えだと言っただろう。ついてきたまえ、紹介しよう」


 フィオリナの言葉に棘が含まれたのを察し、ダルザックはさすがに慌てて言い繕う。

 真面目な顔を作って美女達を追い払うと、男の元へとフィオリナを連れて向かった。


「やあ、飲んどるかね。君が会いたがっていた人物が到着したぞ」

「ん、おお?」


 空にした酒瓶を脇へ放り捨てて反応した男は、無遠慮な視線をフィオリナへ投げかけた。


「三騎将が一人、フィオリナ大佐だ。大佐、彼はムールズ商会から派遣された傭兵で、カネヒサと言う。西からの聖王国対策に当たってもらうつもりだ」

「へえ。よろしく」

「よろしゅう。そいにしてんこりゃあ、聞いた通りん凄か別嬪べっぴんじゃな」


 精悍な顔に無精ひげを生やした黒髪の男は、じっくりとフィオリナの顔を見詰めると、ふにゃりと相好を崩した。


「どげんな。おいん嫁にならんか」

「……はあ?」


 男の言葉は酷いなまりであったが、聞き取れた内容は確かに求婚であった。


「お生憎様。私はの方が好みなの。他を当たってね」


 急な展開ではあったが、その美貌故に虫が多く寄って来るフィオリナはこの手のあしらいには慣れていた。

 側を通った美女の肩を掴んで引き寄せると、強引に唇を奪ってたちまち骨抜きにしてしまう。


「はあ~。こっちはそげんのもありか。残念じゃな。強かおなごち聞いちょっで、強か子を産んでくるっち思うたんじゃが」


 フィオリナにしなだれかかる美女を見て目を丸くするカネヒサ。


「大体ね、貴方大陸こっちの言葉下手すぎ。もっと勉強したら? それじゃ余計モテないわよ」

「手厳しかねぇ。ここん言葉は難しゅうてな。まだ慣れんど」


 フィオリナが冷たい視線を送ると、カネヒサは頭をかいてへらへらと笑う。


「まあまあ。これからしばし共同戦線を張るのだ。仲良く乾杯といこうじゃないか」


 ダルザックが割り込んでそれぞれに酒を満たしたグラスを持たせる。


「そうじゃな。おいに出番が回って来んごつ祈っちょっぞ」

「もしかして喧嘩売ってるの?」

「はい乾杯!」


 険悪な空気が漂う前に、ダルザックが強引に音頭を取ってグラスを突き合わせた。


 フィオリナは仕方なく一杯だけ付き合い飲み干すと、グラスをダルザックに押し付けてくるりと背を向ける。


「なんじゃ。もっと飲んでいかんのか。酒は力んみなもとぞ」

「冗談。この子と遊ぶ方が、よっぽど元気になれるわよ」

「そ、そうか。では好きな部屋を使いたまえ。任務に向けて、十分英気を養うように」


 腕の中でぐったりしたままの美女を肩に担ぎ直すと、ダルザックが気を利かせた。


「ありがと少将。じゃあね」


 フィオリナはウィンク一つ残すと、美女を抱えて広間を後にする。


 この後悪魔退治という大仕事が待っているというのに、彼女はどこまでもマイペースなままだった。

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