九十八 闇に眠る
アレスト少将は宰相ガンデラに連れられて、帝都の郊外へと移動していた。
辿り着いた場所は一見小高い丘のように見えるが、周囲は高い柵で覆われ、警備の兵が多数詰めている。
それは代々の皇帝が眠る墳墓であった。
二人は入り口にて警備兵による身分照会を経て柵の内側へ入ると、正面の玄室へ向かう扉ではなく、脇へ逸れて丘の裏手に回って行く。
正面入り口の真逆に着くと、同じような作りの頑丈そうな扉が姿を現した。
「墳墓に裏口があったとは知りませんでした」
皇帝の墳墓は、皇族及び管理を任じられた一部の側近以外の立ち入りを禁じられているため、アレストの驚きも無理はなかった。
アレストが興味深く周囲を見回していると、ガンデラはいつの間にか手にした鍵で裏口の扉を開いていた。
「ここへ入るのは、軍部では貴方が初めてのはずですよ」
ガンデラはにこにこと言いながら、アレストを中へ誘った。
兵から借り受けたランタンが、深い闇に沈んだ石造りの廊下を淡く照らし出すと共に、かび臭さを含んだ湿った空気が外へ流れ出てゆく。
扉を潜った先は石壁に覆われた廊下となっており、天上はそれなりに高く、横幅は大人二人が並んで歩けるかどうかというところ。
足元さえ疎かにしなければ、歩くのに特に不都合はなさそうである。
小さな光源を手にしたガンデラからはぐれないよう慌てて追いかけるアレストに、ガンデラは神妙に語り掛けた。
「ここは初代皇帝の時期に建てられた、秘密の宝物庫へと繋がる道です。当時はまだ
「は……! しかし、それ程重要な場所に、小官などを入れてもよろしかったのですか?」
予想だにしなかった禁忌の場所だと知り、動揺を隠せないアレスト。
「ええ。少将にお貸しする秘宝は、力を得んとする本人が訪れ、試練を受ける必要があるのです」
「試練、ですか?」
「はい。適正を見る、と言い換えてもよろしいでしょう。ともあれ、到着すればわかりますよ。お楽しみにしていて下さい」
細かい説明は現地でするつもりのようで、ガンデラは悪戯っぽい言葉をアレストに投げて、再び扉を開けた先に現れた階段を降りだした。
アレストもすぐに続くが、思った以上に階段の傾斜は急で、かつ深く長く伸びていた。
先は完全に暗闇に呑まれて見通せず、足を滑らせればどこまで転げ落ちて行くか知れたものではない。
二人は用心し、一歩一歩踏み締めるようにして進んで行く。
ふと地底の奥深くまで潜っていくような感覚に呑まれ、アレストは息苦しさを覚えた。
どちらかと言えば武官ではなく参謀寄りのアレストにとって、運動は不得手な部類である。戦地での移動はもっぱら馬や馬車に頼り切りであった。
加えてこのところは書類仕事が多かったせいで身体がなまっており、早くも足に違和感を覚えつつあった。
対照的に、前を行くガンデラはまったく息を切らしておらず、ランタンを持つ手も安定していた。とても老齢とは思えぬ健脚である。
確かに内政も体力勝負の仕事には違いない。先帝の若き頃から仕えている年季を感じさせる体力に圧倒され、アレストは己の運動不足を恥じた。
どれだけ降りただろうか。
暗く代わり映えしない風景の中を歩くのはかなりの精神的苦痛を伴ったが、ようやくにも平らな床に足がついたことで、アレストはほっと一息つくことができた。
そこでふと、両側を固めていた石壁がなくなっていることに気付く。
ガンデラの持つ光源が四方に散っても照らし切れない深い闇が、そこには広がっていた。
まさか帝都の地下にこれほど広大な空間があったとは夢にも思わず。
束の間アレストは呆然と立ち尽くした。
「さて。ひとまずはこちらへ」
アレストが荒い呼吸をしている横で、ガンデラは疲労も見せずに壁伝いに歩き始める。
仕方なしに足へ気合を入れてついていくと、ランタンが壁に設置された扉を照らし出した。
「少々お待ちを」
ガンデラは鍵束から目当ての鍵を選び出して、扉を開けて入って行った。
これ幸いとアレストがしゃがみ込んで休憩しようとするも、ものの数分もせずにガンデラは戻ってきて扉を閉め直した。
「おや。歴戦の少将殿が、これしきでへたばりましたかな?」
「いえ! 問題ありません!」
情けない恰好を晒していたアレストを見たガンデラがにやっと笑みを見せると、アレストは意地を張って勢いよく立ち上がった。
「結構。それでは本命へご案内します」
満足げに頷いたガンデラは、今度は壁から離れ、広間の中心へ向かって行く。
やがて視界の内に、光を鈍く反射する物体が現れ始める。
近付くにつれ実像を露わにしたそれは、黒く太い金属の柱が等間隔に連なった柵に見えた。
しかしさらに寄って行くと、柱同士の間隔は人一人が通れる程離れている。これでは柵とは呼べまい。
「これは、一体……」
柱の列まで辿り着いた時、アレストは思わず呟いていた。
「
それを聞き止めたガンデラが簡潔に答えた。
「檻、ですか? それにしては、隙間が大きすぎるような……」
「あれが見えますか」
アレストの疑念を払拭するべく、ガンデラはランタンを高く掲げ、檻の奥を照らし出した。
「……な……!?」
そこに居た者を認めたアレストは、驚愕のあまり硬直した。
闇に溶けこむような漆黒の体色。
とぐろを巻く見上げる程の巨大な蛇身に、ムカデのように数多く生えた不気味な脚。
背にはコウモリを思わせる四対の翼。
この世の醜悪をかき集めて凝縮したような、吐き気を
これまで一度たりとも見たことのない物体がそこには鎮座していた。
確かにこの巨体であれば、檻の間隔は十分なのだろう。
到底尋常な生き物には見えないが、ゆったりとしたペースで腹部が上下している。こちらに反応がないのは、眠っているからであろうか。
「閣下、これは何なのですか!?」
顔を引きつらせたアレストの焦燥混じりの問いにも、ガンデラは落ち着き払って返答した。
「これぞ、初代皇帝が建国の際に騎乗していた
言いながらガンデラは、先程の部屋から持ち出したのだろう一本の手綱をアレストに手渡した。
「これは初代皇帝が用いた魔法の手綱。唯一この邪竜を制御することができる
「……このような大役、小官に務まるのでしょうか……?」
手綱と怪物を交互に見やり、弱気な声を出すアレストに、ガンデラは語気を強める。
「務まるか否かではなく、やるのです。でなくば、死あるのみ。貴方は断言しましたね。全てを捧げる覚悟であると。今こそ、その誓いを示す時。命を
常の穏やかな笑みが嘘のように、冷徹な表情を見せるガンデラに、アレストは気を呑まれた。
「しかし私とて、何の根拠もなしに挑めと言っている訳ではないのです」
ガンデラは怯んだアレストを案じるように語調を弱め、丁寧な説明を始める。
「文献に曰く、この者は邪竜ならではの特性として、強い恨みや怒りなどの負の感情を好む傾向があるそうです。初代皇帝も奴隷の身分から反乱を起こした、言わば負の感情の化身。であればこそ、この者も力を貸したのだろうと推測できます。今現在、貴方を
ガンデラの穏やかな声で落ち着きを取り戻したアレストは、その言葉を吟味する。
そういった理由で己を選んだのであれば、ある程度納得のいく話であった。恨みつらみならば有り余っている。
仮に竜騎士になったとして、並の飛竜ではあの悪魔に対抗できないことは、皮肉にもファルメル大尉達によって証明された。
であれば、自分は少なくとも三騎将に並ぶ程の強力な竜を得なければならない。
それ程の力を、代償もなしに得ようと考えていた己の愚かさにアレストは思い至った。
目前には、太古に建国を担った竜。認められなければ死。
しかし命を賭ける価値は十二分にあると言える。ここまでお膳立てされて乗らない手はあるまい。
「……ねじ伏せてご覧に入れます」
ガンデラが見守る中、覚悟を決めたアレストは、手綱を片手に檻の隙間を潜り抜け、邪竜の元へゆっくり歩み寄って行った。
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