九十七 選定者

「死ぬつもりはないと言っていたではないか……!」


 ウグルーシュ帝国第5軍の立て直しに奔走するアレスト少将は、死地から救い出してもらった上、進むべき道をも示してくれた恩人、竜騎士ファルメル大尉戦死の報に大きな衝撃を受けていた。


「誰もが私を残して死んでゆく……!!」


 一時期は再びの入院を危ぶまれる落ち込みようであったが、ここで膝を折ってはファルメル、ひいてはグリンディール大佐にも顔向けできないと奮起し、見事な立ち直りを見せた。


 そしてファルメルの遺志を継ぐべく竜騎士となるため、第5軍の募兵と訓練を進めながら、並行して竜種の生態についての勉強に勤しみ始めたのだ。


 その日もアレストは、過密スケジュールから無理やり捻り出した時間を用いて、帝国の英知の結晶たる軍図書館で書物を漁り、熱心に読書に耽っていた。


 過去の竜騎士達が残した記録。

 自伝から資料集まで多岐に渡る膨大な量の蔵書が図書館には収められており、とても一朝一夕で読み切れるものではない。


 しかしそれぞれが、飛竜との接し方、騎乗する際の心構え、実戦における戦法など、どれもが実際に体験した者しか知り得ない生きた情報であり、生来の勉強家であるアレストの好奇心を大いに刺激し魅了した。


 時間も忘れ本の世界へ没頭するあまり、アレストはその人物が話しかけて来るまで、側に立たれたことにもまったく気付かなかった。


「……少将。アレスト少将」


 不意に名を呼ばれ、跳ねるように本からがばりと顔を上げたアレストの視界に入ったのは、宰相のガンデラであった。


「御機嫌よう、少将。読書中失礼。何度かお声がけしたのですが、ずいぶんと熱中されていたようで」

「こ、これは宰相閣下! 御無礼致しました……!」


 思わぬ大物の出現に、慌てて席を立ってびしりと敬礼するアレストへ、ガンデラは気を害した様子もなく微笑んで見せた。


「いえいえ。お邪魔してしまったのはこちらですので、お気になさらず。それにしても、素晴らしい集中力でしたね。お噂は聞いておりますよ。何でも竜騎士の試験を希望されているとか」

「いや、お恥ずかしい限りです。さすがは閣下。お耳が早くていらっしゃいます」


 国政を一手に握る宰相たるガンデラは、帝国全体の内情に通じている。もちろん軍も例外ではなく、仮にも一軍の将であるアレストが何らかの行動を起こせば、こうしてすぐにも耳に入るのだろう。


 このような場所で出会ったのも偶然ではなく、何か意図があって赴いたのだろうとアレストは察した。でなければ、己以上に多忙なはずの宰相がこうして足を運ぶ理由が思い付かない。


不躾ぶしつけながら、一つお尋ねしたいのですが。これまで将の役割に徹していた貴方が、急に竜騎士を目指すとは、どういった心境の変化でしょうか」


 ガンデラの表情と声音は穏やかなままであったが、唐突な質問の切れ味は鋭かった。


 何かを試されていると直感したアレストは、包み隠さず答えることを選択する。


「……自分の非力さに嫌気が差したのです」

「と、言われますと?」

「これまで小官は、将とは後方にて兵を精緻に動かすための頭脳であればいいと考え、そのように軍を運用して参りました。しかしあの悪魔の前では、成す術もなく部隊を壊滅させられ、首を差し出して生き残った兵を守るという、将の最期の責務すら果たせませんでした」


 語りながらアレストの脳裏に、捕虜も認めず皆殺しにすると言い放った少女の姿が鮮明に思い出され、自然と拳を固く握り締めていた。


「かの激戦の話は聞いております。確か竜騎士が救出に向かったと記憶しておりますが」

「仰る通りです。ファルメル大尉により、小官だけがあの地獄より生還できたのです。そればかりではなく、大尉は心が折れていた小官に道を指し示してくれました」

「それが竜騎士になることだと?」

「はい。亡きゴルトー少将がそうであったように、いざという時には将も力を振るわねば、守れるものも守れないのだと気付かされたのです」


 アレストはそこで息を吐くと、黙祷するように目を閉じた。


「それと、こころざし半ばで散ってしまった大尉や部下達への追悼としたい気持ちもあります。私情を挟むことにもなりますが、竜騎士となって奴を討つことができたなら、皆も多少は浮かばれるのではないか、と夢想していることは否めません」


 そこで目を開き、アレストは苦笑した。


「ただ、東方戦線へ睨みを利かせていたフィオリナ大佐が先日動いたと聞きました。こうなれば、小官がじかに復讐する機会はもう訪れないでしょうね。今もこうして竜騎士を目指していることは、結局は小官の自己満足に過ぎないのかも知れません」

「ふむ……貴方が力を求める理由はわかりました。ですが、そう悲観することはありませんよ」


 静かに話を聞いていたガンデラが、穏やかな眼差しに一片の強い光を宿してアレストを見詰めた。

 思わぬ眼力に、アレストの心臓がどくんと跳ねる。


「確かに三騎将の一角を担うフィオリナ大佐ならば、かの悪魔を討ち滅ぼしてくれると信じております。しかし、陛下は万が一を憂慮していらっしゃいます」

「万が一……大佐が破れると?」

「相手はこれまで我が方の予測をことごとく上回って来ました。その可能性も0ではない、と陛下はお考えなのです。倒せはしても、大佐自身も負傷すれば戦力の低下を意味します。そして南方の部隊が実質瓦解してしまった今や、戦力拡充は急務と言えましょう。そこで陛下は一つの決断をなされました。即ち、帝国がいにしえより秘匿している切り札を解放することを。私はそれを預けるに足る人物を選ぶよう仰せつかっております。そしてここに、見定めは成りました」


 ガンデラはアレストを見据えたまま、語調を強めた。


「アレスト少将。私は貴方の能力、人柄を高く評価しております。帝国のために身も心も捧げんとするならば、貴方の欲する力を授けましょう。いかがなさいますか?」

「もちろん、全てを捧げる覚悟であります」


 アレストは内容も問わず、正面からガンデラの目を見返して即答した。

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