九十六 密告者
レンド公国情報部所属カーレル大尉は、ミザール原野奪還の報を持って王都レンドニアへ帰還していた。
ワーレン要塞を経由した際にすでに先触れの伝書鳩を飛ばしてあるが、小さな手紙で送れる情報などほんの一握りでしかなく、結局は己で子細を説明する必要がある。
リドール砦より早馬を使い潰しての強行軍で王都へ到着したカーレルは休憩も取らず、早々に情報部直属の上司であるエヴァン少将へ報告すべく、軍本部の廊下を足早に進んで行った。
その途中、ふと前方から遠目にも目立つ風貌の将校が歩いて来るのが視界に入る。
性格にさえ目をつぶれば眉目秀麗、金髪碧眼の貴公子と名高いリーゼンシュタイン家の
珍しく取り巻きを連れておらず、一人で行動しているのを見るのは多少違和感がある。
カーレルは面倒を避けるため道を譲るべく廊下の端に寄り、不動の敬礼を取ってやり過ごそうとしたが、何の気まぐれかフォルツは通り過ぎずに立ち止まり、こちらへ話しかけて来たではないか。
「カーレル大尉か。戻っていたのだな」
「は、大佐殿。お久しぶりであります」
「ちょうど良い。貴官に話がある」
フォルツは周囲に目をやり誰もいないことを確認すると、手近にあった無人の部屋へとカーレルを連れ込んだ。
「一体何事でありましょうか」
困惑するカーレルへすぐには答えず、部屋の鍵をかけてカーテンを閉める徹底ぶりを見せるフォルツ。
「少々込み入った話なのでな。余人の耳に入れたくはないのだ。貴官もその点を留意した上で聞いてもらおう」
衆目を完全に断ったのを確認し、フォルツは改めてカーレルへ向き直って念を押した。
「はあ……」
カーレルは流れが読めずに生返事をするしかなかったが、フォルツは気にせずマイペースに話を進める。
「情報部でも把握はしているだろうが、我がリーゼンシュタイン家は所有する船舶で、独自の交易ルートを複数開拓している」
リーゼンシュタイン家は王家に匹敵する財力にものを言わせ、海軍に負けない程の大船団を保有している。それらを使って他国と直接貿易を行うことで、その懐をさらに潤していた。
そこまでは当然カーレルも知るところであった。
「そして取引先の一つに、和国も含まれていた。これは私もつい最近知ったことなのだがな。先日、和国へ向かった船団が航海を終えて戻って来たのだ。とんでもない情報を入手して、な」
「と、言われますと?」
もったいぶって言葉を区切るフォルツに、カーレルは思わず先を促していた。
紅と言う傑物を輩出した和国については、交易ルートが少ないこともあってまだまだ情報不足である。国の方針や風土が、紅の強さの源である可能性も考慮すれば、少しでも生きた情報は欲しいところである。
カーレルが食い付いたのを見て気分を良くしたのか、フォルツは薄笑いを浮かべて続けた。
「それがな。和国と言う国は、すでに崩壊していたとのことだ」
「……は?」
予想外の展開に、間の抜けた声を出してしまうカーレル。
「分かるぞ、大尉。私も聞かされた時は同じような反応をしたものだ」
フォルツはカーレルの表情を愉快そうに眺めると、腕を組んで含み笑いを漏らした。
「……詳しくお聞かせ願えますか」
「無論だ。件の船団が和国に上陸した際、取引先の大名、こちらで言う領主だな。その当主諸共城は落とされ、最早その統治は失われていた。辛うじて生き残っていた民に話を聞いたところ、和国全体が同様の有様らしい。何でも和国では大名同士の戦が永らく続いていたが、いつの頃からか戦場に不意に飛び込んでは両陣営を叩き潰していく、戦喰らいと呼ばれる化け物が出現するようになったとか。敵と見なした者はことごとく皆殺し。諸大名は次々とその化け物に滅ぼされて行ったのだそうだ」
話を聞きながら、カーレルは知らず知らずの内にごくりと喉を鳴らしていた。
「逃走に成功した兵はごくわずか。その者達が語るには、化け物の外見は黒髪を結い上げた黒衣の少女。そして真紅の刀を携えていたと言う。どうにも覚えがある風貌ではないか?」
「……はい」
その伝聞が確かであれば、まさしく紅と一致する。大陸に渡って来た時期からして、和国を滅ぼしてからこちらへ赴いたのだとすれば勘定も合う。
じわりと冷や汗を浮かばせるカーレルに、フォルツはさらに続ける。
「これは決して、恥をかかされた怨みから来る発言ではないことをまず理解してもらおう。その上で率直に言うが、彼女は危険だと私は判断する。いつ我が国にも牙を剥くか知れん。このまま彼女を軸とした作戦を進めることには疑念を挟まざるを得ない」
念押しをしてきたものの、私怨かどうかはこの際問題ではない。情報の信憑性が焦点となる。
しかし仮にも大貴族リーゼンシュタイン家の名を出した上での発言。いくらフォルツでも、情報部に虚言を流すような愚は犯さないだろう。現地の噂で尾ひれがついている可能性こそあるが、船団が持ち帰った情報自体は確度が高いものと見て良いと思われた。
そして紅を主とした作戦行動に不安を抱いているのはカーレルとて同様である。
今回行動を共にして身に染みたのが、紅が独断で動き始めれば誰にも止められないという、ある種の恐怖。
さらに言えば、富にも名声にも頓着しない性分の紅は、何をきっかけとして暴走するかが読めないという懸念も含んでいた。
この件は自分の手には余る。
カーレルは即座に上官への報告を決め、フォルツへ敬礼をして見せた。
「大佐殿。貴重な情報提供に感謝致します。これは情報部預かりと致しますので、他言無用に願います」
「何。私の愛国心を示したまでだ。無論他言はしない。後は上層部の判断に委ねよう。まあ、私としては適当な言い訳をつけてさっさと縁を切るのが賢明だと思うがね」
フォルツは満足そうに首肯し、扉の鍵を開けて退室して行った。
その後カーレルは情報部へ赴き、ミザール原野の現状と合わせて、フォルツより提供された情報をエヴァン少将へ報告した。
「……まずは、ミザール原野での任務ご苦労だった」
報告を聞き終えたエヴァンは目を閉じ、情報を整理するようにゆっくりと言葉を吐き出した。
「いえ。偵察隊の出番は無いも同然でしたので、若干心苦しくあります」
「仕方あるまいよ。誰が一日でミザール原野を走破して制圧してしまうなどと予想できたろうか。貴官に落ち度はない」
うつむきがちなカーレルを慰めると、エヴァンは顔を引き締めた。
「しかし、フォルツ大佐の情報は無視できんな。ここしばらく、大陸への和国からの交易船が途絶えていることは確認している。和国が滅んだ、あるいはそれに準じる事態が起きたのは間違いないと見ていいだろう」
「やはり、そうなのですか……」
「件の戦喰らいの凶行も……紅少佐相当の実力を考えれば、あり得る話ではある」
机に立てた肘に顎を乗せたまま、エヴァンは思案顔を見せる。
「しかし我が軍は今、アッシュブール奪還へ向けた作戦を進行中だ。このタイミングで参謀本部へ情報を上げても、要らぬ混乱を呼ぶだけだろう」
エヴァンは神経質そうに机を指でとんとんと叩き、眉根を寄せた。
「そもそも彼女とは、利害の一致という薄っぺらな関係性でしかない。下手につついて機嫌を損ねれば、最悪あの刃がこちらに向くかも知れん。それだけは避けたい」
それきりしばし押し黙るエヴァンだったが、やがて決断した様子で口を開いた。
「……この件は一旦私が預かる。例え危険があろうと、彼女の力はまだ我が軍に必要だ。折を見てロマノフ中将に相談するが、今はその機ではない。貴官も他言せぬように」
「は。了解しました」
カーレルは背筋を正し敬礼したものの、心中に芽生えた不安を取り除くことは難しかった。
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