百四 氷将の剣

「……殺したわね」


 地の底から響くような低い声で、フィオリナは紅へ問いかけた。


 全身傷だらけではあるが、見た目の程の重傷ではないらしい。

 しっかりと両の脚で立ち、ふらつく様子もない。


「おや。目を覚まされたのですね」

「質問に答えなさい。私の相棒を、殺したわね」


 手に氷竜の残骸をぶら下げたまま紅が笑いかけるも、フィオリナは再度鋭く詰問した。


「はい。この通り、しっかりと」


 紅は悪びれもせずに頭蓋から腕を引き抜くと、ぼろ布のように成り果てた氷竜をフィオリナの目の前へ投げ捨てる。


「そう」


 どさりと、赤く染まった雪の上に落ちた氷竜の頭を一撫ですると、フィオリナはずるずると死体をゆっくり引き摺って背後の大穴へと移動させた。


「後でお墓を作ってあげるから、少し待っててね」


 しばし瞑目した後、紅へと振り返ったフィオリナは表情こそ変わらずだったが、全身からは刺すような殺気が溢れていた。


「ふふ。戦意が残っているようで何よりです。まだ愉しませて頂けるのでしょうか」


 そう言って微笑んだ紅は、こてりと首を傾げた。


 一瞬で踏み込んできたフィオリナが放った小剣の突きをかわしたのだ。


 そのままフィオリナが素早く横薙ぎに繋げると、紅は後方に下がりながら手の甲で受け流そうと試みる。


 しかし手が刃に触れた瞬間、鋭い冷気がぴりりと肌を刺し、紅はとっさに強く弾いて距離を取っていた。


「はてさて。面白い武器ですね」


 凍傷になりかけた手の甲をぺろりと舐めて、フィオリナの様子を伺う紅。


「まったく、いちいち反応が速くて嫌になるわね」


 初手で仕留め損ねたフィオリナも深追いはせず、小剣を一振りして改めて身構える。


 その青い刀身は白いもやをまとっており、先程感じた冷気の正体であろうと思われた。


「ふふ。噂に聞く魔剣というものの類ですか」


 氷竜の乗り手らしく、氷にちなんだ武器を持っているのは不思議ではない。

 しかし、あれほど多彩な手数を誇っていた氷竜の主が扱う剣である。ただ単に冷たいだけではなく、他にも能力が隠されている可能性も考慮すべきだろう。


 紅は手の凍傷が大したことがないのを確認すると、フィオリナを手招いた。


「その力、もっとお見せ下さい」

「言われなくても……」


 紅の挑発に乗って地を蹴ったフィオリナは、紅の目前に迫ると同時に足元を蹴り上げて雪を巻き散らす。


 紅がそれをかぶらぬように後退すると、すでに背後に回り込んでいたフィオリナが斬撃を繰り出した。


 紅はその勢いに逆らわずに身体を回転させてやり過ごすと、遠心力を利用してフィオリナへ反撃の蹴りを見舞う。


 しかしフィオリナが剣で防御しようとするのを察知し、蹴りの軌道を途中で変え、その足元を激しく踏み砕いた。


 そしてがくんと態勢を崩したところへ、がら空きの首を狙って手刀を放つ。


 しかし、がちん、と硬質な手応えと共に冷気が指先にまとわりつくのを感じ、手を引いて追撃を諦める紅。


 弾き飛ばされたフィオリナは、腰の後ろに差していたらしい二本目の小剣を持っていた。とっさに抜いて首の防御に回したのだろう。


「フェイントが効かない上、もう二本目を使わされるなんてね。これだから心眼持ちは」


 フィオリナはうんざりといった様子で溜め息をつく。

 本来二刀流が主なのだろう。その構えは先程よりも馴染んで見えた。


「いやはや。驚きました。背後を取られたのはいつぶりでしょうか。素晴らしい動きです」


 対して紅は喜色満面の笑みを浮かべて賛辞を贈る。


「貴方に言われても嫌味にしか聞こえないんだけどね。もしかして、私を竜に乗ってるだけのおまけだとでも思った?」


 フィオリナは素っ気なく返し、軽く肩を竦めるのみ。


「その考えは改めました。それにしても、その剣はなかなかに厄介ですね。それも二本となれば、さすがに素手では厳しいと感じます」


 攻めるにせよ、守るにせよ、生身で刀身に触れれば冷気が蓄積されていく。それは凍傷の進行を意味し、動きも制限されることに他ならない。


 今のままでは迂闊に手出しできない状況に陥ったことを、紅は素直に認めた。


「ここからは、真剣にて勝負とさせて頂きましょう」


 すらりと脇差を抜き放ち、紅は本来の構えへ戻る。


「好きにしたら。どうせ勝つのは私。でも五体満足で逝けると思わないでね。その首をヘルヘイムの墓前に飾ってあげなきゃいけないし」


 激しい怒気を抑え付けながらも、務めて平静を装うフィオリナ。


「ふふ。奇遇ですね。私も首を取るのが好きなのです。どちらが先に首を刎ねるか。競争と参りましょうか」


 紅がにこりと笑みを返すと同時に、フィオリナは一足で距離を詰め、二刀による時間差の斬撃を放っていた。


 その両方を一撃で跳ね上げた紅は、返す刀で袈裟掛けに斬り下ろす。


 両手が上がった状態のフィオリナは万事休すかと思われたが、素早く二つの小剣を打ち合わせて破壊すると、砕けた刀身が空中で結合してたちまち目の前に氷の壁が立ち塞がった。


 紅は構わず氷壁を斬り崩すも、すでに向こう側にフィオリナの姿はなく。

 そして砕けた氷壁の破片が一斉に紅へ襲い来る。


 それを一蹴する間に、頭上に気配を感じた紅がすっと後退すると、目前へ槍のように伸びた氷の刀身が雪原にどすりと突き刺さった。


 間を置かず、雪を跳ね除けながら氷剣が勢いよく振り上げられ、脇差で受けた紅をわずかに宙へ浮かせる。

 そこを狙って正面からもう一本の氷剣が突き出された。


 踏ん張りが効かない姿勢にも関わらず、紅は脇差を一閃させて双方の氷剣を粉砕するも、その欠片が再び宙を舞って進路を塞ぐ。


 それを迂回して側面に現れたフィオリナの手に握られた小剣は、折れたはずの刀身が復活しており、突き出すと同時にひゅんと凄まじい速さで伸びて来たではないか。


 頭と足元を同時に狙った二本の軌跡を、半歩横にずれただけでかわし、反撃の一撃を放つ紅。


 しかしフィオリナは敢えて氷剣が折れるように受け、破片を撒き散らし盾と成して離脱していく。


「流れるような攪乱かくらん。お見事です」


 剣風で周囲の氷片を一薙ぎにしながら、紅は感嘆の声を漏らす。


 素の速度や剣の技量も相当だが、砕けて宙に舞う霧氷の中に気配を溶け込ませるのが格段に上手い。紅ですら、時折姿を追い切れなくなる程である。


 雪中での戦闘に慣れているのもあるのだろう。傷を抱えながらもその移動速度は衰えを知らず、ますます上がってゆく。


「ふふ。楽しくなってきましたね」


 再度変則的な軌道で氷剣が伸びて来るのを迎え撃ちながら、紅は嬉しそうに唇を舐めた。

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