百三 暴力執行
「ふふ。これはさばき甲斐がありますね。飛竜の単調な炎とは一味違います」
上空を覆い尽くし、息つく間もなく次々と襲い来る氷柱を砕きながら、紅は嬉しそうに笑っていた。
師からは剣術以外にも、刀を手放した時を想定して徒手空拳による体術なども学んでいる。
しばらく刀に頼り切りで出番のなかった格闘の勘を取り戻すには、打って付けの場面と言えた。
成人男性より大きな氷柱を指先で突いて粉々にしていく様は、熟練の空手家も顔負けの切れを誇っている。これで本調子ではないというのだから、紅の底知れなさが覗えた。
数えるのも馬鹿らしい物量で攻め立てる氷柱を叩き落としている内に、紅の周囲はとっくにその背丈を超す程の氷片が積み上がっていた。
迎撃を続ける紅はふと、降り注ぐ氷柱のさらに上空へ、新たに巨大な物体が生まれつつあることに気付く。
「なるほど。そういった芸当もできるのですね」
手を止めずに感心し、物体の大きさを推し量る。
恐らくは氷竜本体よりも遥かに大きい。振り下ろせば紅どころか、ここら一帯を巻き込んで地形が変わるだろうと思わせる程。
上からは絶え間ない氷柱の弾幕。周囲は積み重なって凍て付いた氷壁がそそり立ち、一見逃げ場はない。
隙を突き氷壁を打ち砕いて突破することは容易だろうが、あの巨大な物体が地に落ちれば、相当の余波が発生するものと考えるべきである。どれ程の規模となるかが読めない以上、その範囲から抜け出せるかどうかは賭けになろう。
なかなかどうして、抜け目のない攻め手である。
紅がしばし思案する間にも、巨大物体の構築は進み、いよいよ振り下ろされようとする気配が伝わって来た。
迷っている暇はない。
「はてさて。退いて駄目なら押し通すまで。少々乱暴に参りましょうか」
対抗手段を決めて不敵に微笑む紅の全身から、ゆらりと景色を歪める程の闘気が立ち昇る。
その熱気に触れただけで、接近した氷柱はじゅわりと蒸発して果てた。
迎撃に回していた手が自由になると、紅は腕を大きく広げ、次の瞬間思い切りぱぁんと両の
その直後。発生した凄まじい衝撃波が四方に炸裂し、周囲の氷柱や氷雪をことごとく吹き飛ばしたではないか。
拓けた頭上には、今にも落下してくる氷の巨剣。
紅はそれを認めると、空中に飛び散った氷柱の破片を足場にするべく地を蹴り、次々と飛び移って自ら巨剣に向かって行った。
そして巨剣の真下から抜け出すと、絶妙な位置取りで脇へ張り付き、その側面へと
ばきんと表面を割り、容易にずぶりと手首までが氷の刀身へ埋まる。
次いで内部をしっかり握り込んで腕を固定すると、紅は悪戯っぽい笑みを浮かべて呟いた。
「ふふ。良い得物です。少々拝借致します」
その言葉と同時に、宙で身を捻ると、氷の巨剣の重量を無視して大きく真横へ一回転させる。
ぶぉん、とたっぷり遠心力の乗った巨剣が、あまりのことに驚愕したまま固まっているフィオリナを氷竜ごと薙ぎ払った。
ごしゃり、と生々しい音を立てて、視界の彼方へ弾き飛ばされる氷竜。
「峰打ちにしましたが。まだ命はあるでしょうか」
紅がくすくすと笑みをこぼしながら着地した時には、手にしていた巨剣はすでに溶けて消え失せていた。
予想外の大打撃を食らって、氷竜の集中が解けたせいだろうか。同じく周囲の猛吹雪も収まっていた。
刃の部分で斬らずとも、あれだけの質量である。巨大な鈍器で殴り飛ばしたのと大差ない。いくら強靭な氷竜と言えども相当な衝撃を受けただろう。
その生死を確認するため、敵が吹き飛んだ先へ駆け出す紅。
大した時間もかけずに辿り着いた場所には、巨大な穴の中心にめり込んだ、氷竜の無残な姿があった。
翼は根元から千切れ飛び、打撃を受けた左半身は折れた骨が突き出す程ぐしゃぐしゃになっている。
それでも騎手だけは守ろうとしたのだろう。氷竜が緩衝材となって、原型を留めたままのフィオリナが付近に投げ出されていた。
浅い呼吸は聞こえる。ただ気絶しているだけらしい。
紅が穴の淵に足をかけると、氷竜がぎこちない動きながらも首を持ち上げ、口を大きく開けて威嚇した。
「それ程になってもまだ動けるとは。大した耐久力ですね」
称賛しつつ紅が近寄ろうとすると、氷竜は激しく損壊した身体を顧みることなくふらふらと立ち上がり、背後のフィオリナを庇うように迎撃態勢を取った。
「素晴らしい忠義。惚れ惚れします」
紅が足を止めずににっこりと笑みを広げると、同時に氷竜が吹雪を吐き出していた。
しかし紅は宙に跳んで難無くかわすと、なんと吹雪の上を瞬時に駆け抜けて、氷竜の顔面を
「あなたの忠節に報いるためにも」
紅は言いながら、氷竜の上顎へ五指を食い込ませると、頭部を地面へ痛烈に叩き付ける。
「主殿を巻き込まない形でやり合いましょうか」
そしてそのまま巨体を穴から引っ張り出し、凍結した地面へ氷竜の顔面を押し付け爆走を始め、氷を砕きながら凄まじい勢いで引きずり回した。
たちまち氷竜の傷口が大きく広がり、ざりざりと外皮や肉が削ぎ落されて行く。
辛うじて繋がっていた四肢がぶちぶちともげ、腹が裂けて
氷竜は紅の手から逃れようと暴れるが、動けば動く程に体の傷は深くなるばかり。
十数秒としない内に雪原は赤く染まり、氷竜からはがれ落ちた身の各部位が散乱する地獄絵図と化した。
やがて紅が足を止めると、氷竜は頭、首、胴、尻尾のみが残る蛇のような姿に成り果てていた。それも半分程にまで擦り切れ、背骨やあばらが覗いた状態である。
そうなってすら、氷竜は未だに息があった。
動きが止まった瞬間に、すっかり下顎を失くした口で紅へ食らい付こうともがきだす。
「見上げた根性ですね。しかしさすがに限界でしょう。それなりに良い運動になりましたし、今楽にして差し上げます」
どちゅ──
ほんのためらいもなく、紅の貫手が氷竜の頭蓋を貫くと同時に。
「ヘルヘイム!!」
背後からフィオリナの悲痛な叫びが響いた。
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