百二 怪力乱神
深く抉れた大穴の底から立ち上がり、氷竜の太い前脚を片手で持ち上げた少女はまったくの無傷であった。
「巨体に
話しながらもさらに頭上の脚を押し返し、穴から抜け出る少女。
「しかし竜と力比べをできるとは。貴重な体験をさせて頂きました。こういった趣向も良いものですね」
もちろん氷竜は今も全体重をかけ続けているが、微笑む少女は微動だにしない。信じがたいことに、純粋に力負けしているのだ。
「うっそ。何その馬鹿力。それにあそこまで地面にめり込んでおいて、なんで動けるのよ。頑丈にも限度ってものがあるでしょ?」
目を丸くしたフィオリナは、驚愕を通り越して呆れたように尋ねていた。
そもそも氷竜の手加減なしの踏み付けをまともに食らったはず。常人なら原型も残らず圧死する一撃を受けて、目立った外傷が無いことも異常であった。
「師との組み手で、生き埋めになることはざらでしたから。慣れでしょうか」
少女は何のこともなく言い放ったが、それで納得のいくレベルの話ではない。
「生き埋めになる組み手って何……?」
「ふふ。実演して差し上げましょうか」
思わずフィオリナが呟いた言葉を捉え、少女はにこりと微笑んだ。
言うが早いか、少女は氷竜の脚の指を片手で掴むと、大して力んだ様子もなくその巨体を頭上高くに持ち上げる。
「は?」
視界が傾いたフィオリナが間の抜けた声を出す間にも、少女は雪原へ向けて氷竜を振りかぶって激しく背中から叩き付けていた。
たちまち固く凍った氷雪を突き破り、氷竜ごと雪中に埋もれるフィオリナ。
とっさに腕で頭をかばい、ダメージを最小限に抑えるも、間を置かずに地上へ引き上げられ、再度その身を振り下ろされた。
ずがん、と周囲に激震が走り、凍り付いた地面が派手に砕けて地割れを起こす。
大量の氷片が舞い散る中、少女は笑いながら氷竜を棒切れのように振り回し、幾度も大地を穿って行った。
「この、調子に乗って……!」
成すすべなく地面と氷竜の背の合間に挟まれ、大打撃を受け続けるフィオリナ。
辛うじて受け身を取っているが、細かい切創と打撲は増える一方。
相手より優位を取って見下ろすのが好みである彼女にしてみれば、まるで面白くない展開であった。
「いかがですか。自分が生き埋めになる感想は」
対して実に楽しそうな少女が声を上げながら、一層鋭く腕を振り抜いた時。
ぶちり、と。これまで掴んでいた氷竜の指が千切れ、巨体があらぬ方向へと投げ出された。
「おや。外皮は丈夫でも、やはり関節は弱いのですね」
これ幸いと上空へ逃れた氷竜を気にもせず、手に残った指をしげしげと眺めて呟く少女。
「ああ、もう! 髪が乱れたじゃない! よくもやってくれたわね!」
受けた傷より髪型の心配を真っ先にしたフィオリナが声を荒げると、同調するように氷竜が怒りの咆哮を張り上げた。
さすがの氷竜も強烈な叩き付けを連打されたことで、砕けた氷片が体中に突き刺さり、手傷を負っていたのだ。
「おっといけない。私はクールでいなきゃね」
今にも少女へ飛び掛かりかねない氷竜を手綱で抑え、
「私達へ傷を付けたのは大したものだけど、代償はきっちり払わせましょう。最低でも腕一本は貰うわよ」
「まだまだ
物騒な宣言をするフィオリナを見上げ、少女が微笑みかける。
「もう少し本気は出してあげるけど、殺しはしないわよ。もったいないもの。大体貴方、剣はどうしたの? そっちの小剣で私とやり合うつもり?」
未だ少女に執着するフィオリナが指摘すると、少女は今気づいたかのように空の右手を見詰めた。
「ああ。竜を持ち上げるのに夢中で、穴の中に置き忘れたようです。脇差でお相手してもいいのですが」
少女は小首を傾げてしばし思案すると、にこりと笑みを深める。
「いえ。ちょうど身体がなまっていたところです。せっかくの頑丈なお相手ですし、このまま組み手にお付き合い願いましょう」
名案とばかりに言ってのけ、手にしていた竜の指をまるで紙屑のようにぐしゃりと丸めて放り捨てた。
「あ、そう。よーくわかったわ。貴方が私達を舐めてるってことは」
何も持たず両手を広げて見せる少女を鋭く見据え、フィオリナは氷竜の首筋をはたいて気合を入れた。
「ヘルヘイム。遊びは終わり。好きに暴れなさい。運良く首だけでも残ったら、氷像として飾ることにするわ」
フィオリナの許可を得た氷竜は再度雪原に響き渡る咆哮を発し、たちまち猛吹雪を呼び起こす。
見る間に空中で巨大な氷塊が大量に生まれ、ぱきぱきと高音を立てて鋭い
逃げ場がない程の超広範囲を、密集した氷柱が埋め尽くしてゆく。
その身を串刺しにせんと迫る氷柱の雨を、少女は素手で迎え撃った。
刀を持った時と同様、両手を無造作にだらりと下げて脱力した姿勢。
そこへ降る氷柱が、何の前触れもなく次々と破裂していく。
目にも止まらぬ早業で、間合いに入った瞬間に粉砕しているのだろう。
しかしその破壊速度を上回る圧倒的な質量が途切れることなく降り注ぎ、少女の周囲をたちまち氷片で埋めて行った。
「まだまだ。こんなものじゃ済まさないから」
フィオリナの言葉通り、天上へ渦を巻いた吹雪が、これまでの氷柱とは比較にならない大きさの剣を作り上げる。
「じゃあね、悪魔ちゃん。歯応えあって素敵だったわよ」
フィオリナが妖艶にキスを投げると同時に氷竜が高らかに吠え、長大な氷の剣が唸りを上げて少女目掛けて振り下ろされた。
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