百一 オーバーキラー

「……ふう。あー、びっくりした。まさか竜をぶん殴るなんてね」


 帝国三騎将フィオリナ大佐は、グルーフ要塞跡の北側の平原まで吹き飛ばされたところで氷竜の態勢を立て直し、辛うじて墜落をまぬがれて大きく息を吐いた。


「あんなお人形さんみたいな綺麗なお顔で暴れん坊かぁ。そのギャップもそそるわ~。貴方もそう思わない?」


 未だに衝撃が抜けていないのか、ふらふらと頭を振る氷竜に話しかけつつ具合を見るフィオリナ。


 硬い外皮を有しているだけあり、派手な打撃を受けた割にはさほどのダメージは残っていないようだった。


「さっすがヘルヘイム。私が認めた子」


 フィオリナは誇らしげに氷竜を撫でると、再び己の思考に没頭して独り言を漏らす。


「にしても、美人で強い女の子なんて最高よねー。絶対私のものにして、いっぱい鳴かせてあげるんだから。うっかり殺さないように気を付けないと」

「いいえ。手加減は無用に願います」


 恍惚とした表情で呟くフィオリナの眼下に、いつの間にか追い付いた黒衣の少女が立っていた。


「うわ速。もういるし」


 手も足も速いことを認識し、半ば呆れたように呟くフィオリナ。


「……貴方こそ。初手で斬らなかったことを後悔するわよ」

「望むところです。噂の三騎将のお力を存分に示して下さい」

「どこまでも生意気なんだから。そんなところも可愛いけど」


 にこにこと余裕たっぷりに微笑む少女を見下ろし、フィオリナは唇の端をにいと吊り上げる。


 三騎将として名が売れた今や、自分に対してこれ程までに不敵な態度を取る者は皆無であった。

 久々に真正面からの挑戦者を迎えたことで、自然と歓喜の笑みがこぼれたのだ。


「いいわ。まずどちらが上なのかをわからせてあげる。その笑顔が涙でぐしゃぐしゃに崩れる瞬間が楽しみね」


 その言葉を戦闘開始の合図として、フィオリナは手綱を引いていた。


 途端に氷竜がばさりと翼を打つと、一気に加速して地上の少女へと狙いを定める。

 同時にその口からブレスを吐き、大量の氷雪を全身にまとって急降下を始めた。


 少女は逃げずに正面から刀で迎え撃ったが、氷雪が障壁となって斬撃をそらし、氷竜本体へは惜しくも届かず。

 その隙に巨大な前脚を脳天から叩き付けられ、圧倒的な質量の前に押し潰された。


 そのままずずん、と大地を揺らして氷竜が大穴を穿つと共に、地面がたちまちぱきぱきと分厚い氷に覆われてゆく。


 今の一撃ですら少女の生死は危ういが、フィオリナは構わず氷竜の力をさらに解放させた。


 空気がびりびりと振動する程の咆哮を放つと、青々とした晴天から一変、氷竜を中心として突如横殴りの猛吹雪が巻き起こり、見渡す限りの平原を瞬時に真白く塗り潰す。


 すり鉢状に陥没した大穴も、激しく降り積もる氷雪で見る見るうちに埋まって行き、氷竜がし掛かったままの少女へ重量と言う名の追い打ちをかけ、さらに土中深くへめり込ませて行った。


 脱出どころか、呼吸すらできないのではと思わせる徹底ぶり。


 個人間の戦いではまずあり得ない、地形と天候を変える程の猛攻。

 その存在はすでに災害。一人軍隊ワンマンアーミーと称される、三騎将の火力が遺憾なく発揮された一幕であった。


「ちょっとやりすぎたかしら。でも竜の突撃を真正面から受けるのが悪いのよねー。てっきりかわすと思ったけど、意外と頭は残念な子だったりして? いかにも脳筋ぽかったし」


 白き嵐を呼び込む氷竜を見守りながら、フィオリナはあっけらかんと言葉を連ねた。


 氷竜の主たる彼女には効果が及ばないのか、吹雪の影響を受けずに平然としている。


「ま、竜を殴り飛ばすくらいだし、それなりに身体は丈夫でしょ。このまま仮死状態になるまで待って掘り返せばいっか。そしたらたっぷりと人工呼吸と心臓マッサージをしてあげて、ついでにああしてこうして……うふふふ……」


 フィオリナは自分勝手に納得して結論付けると、見るからによこしまな感情が混ざった笑みを浮かべて妄想にふけりだす。


 その心中には、人一人を生死の淵へ追いやったという認識はまったくなく。せいぜいが蟻一匹を踏み付けた程度の感情しか抱いていなかった。



 ふと。



 ぴしり、と何かが割れるような微細な音が、吹雪の合間を抜けて聞こえた気がした。


 フィオリナははたと我に返り、騎乗する氷竜の足元へ目をやるも、特に変わった点は見付からず。


「んー。まさか、ねえ?」


 振り返った氷竜と目を合わせ、肩を竦めて見せるフィオリナ。


 氷竜も、確かに仕留めたと言わんばかりに鼻息荒く頷いた。


「そうよねー。貴方に踏んづけられてバキバキに凍らされたんだもの。まだ動けたら、それはもう人間じゃないわよ」


 と、フィオリナは自分の口をついて出た言葉にはっとした。


 そして今、相手にしている者の異名を思い出す。



 悪魔。



 帝国内で多くの者が人外と断定する彼女に関しての情報は、そう多くはない。その中でも攻撃力の報告ばかりが目立ち、防御力についてはほぼ未知数である。


 もしも仮に。


 氷竜の突進をかわす素振りがなかったのは、食らっても何かしらの対策を打てるという計算があったのだとしたら。


 そう思い立ったフィオリナは、氷竜へ追加の命令を出した。


「ヘルヘイム。念のため、雪の密度を倍にしちゃって。あくまで保険だけどね。本人も手加減するなって言ってたし」


 努めて平静に振る舞いながら、さらなる吹雪を呼び始める氷竜の首筋を撫でるフィオリナ。


 どうせ勝つなら、このまま圧勝したい。ただそれだけのこと。


 そう言い聞かせている己が胸中にいることに、フィオリナは軽い苛立ちを覚えた。


 その時、再びぱきり、と。


 先程よりしっかりした破砕音が耳に感じられた。


「嘘、よね?」


 フィオリナが思わず呟くと同時に、氷竜が甲高く吠えて身体中を力ませた。


「どうしたの、ヘルヘイム!?」


 突如興奮し出した氷竜をなだめるように手綱を引くフィオリナを、大きな揺れが襲う。


 氷竜の足元の氷が不意にがしゃがしゃとひび割れて行き、少女を踏み付けていた巨大な前脚が徐々に地上へ押し返され始めていた。


 やがて周囲を固めていた氷へ無数の切れ目が入ると、木っ端微塵に砕け散り、氷竜の前脚は穴の淵から完全に追いやられ、土中から白く細い腕がゆっくりと姿を現した。

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