五十六 狂う歯車
「……は?」
双眼鏡を手にしたまま、ゴルトー少将は思わず間の抜けた声を出していた。
確かに自身の目で見たと言うのに、未だに受け入れがたい。
並の剣や矢など容易く弾き返す装甲を着込んだ軍馬と、鋼鉄の塊と言っても良い戦車が、一瞬にして解体されたなど。
しばし呆然とするゴルトーだったが、崩れ落ちた戦車の陰から黒衣の少女が現れたのを視認して、一気に正気を取り戻した。
「奴が悪魔か! おのれ、前衛にいなかったとは! 雑兵諸共引き潰されておればよかったものを!」
複数の戦車を投入すると言う大盤振る舞いも、それを狙ったものであったが、見事に空振りと終わったようだった。
はたと気付いて他の戦車の存在を確認するも、先程まで暴れ回っていたはずの戦車の姿もすでに消え去っていた。
「何という手の速さ……!」
悔し気に物見台の手摺りに拳を叩き付けている間にも、刻々と戦況が動いてゆく。
戦車を破壊したことで公国軍の指揮系統が立ち直ったのか、残った重装騎兵隊を矢の雨が襲いだした。
しかし速度の乗った騎兵隊の装甲に矢など効きはしない。
戦車を失っても士気の落ちていない重装騎兵隊は、矢弾を弾き返しながら公国軍の懐へと更に突撃して行った。
その勢いに押され、迫る脅威から弓矢を捨てて逃げ出す公国兵だが、馬の足に敵うはずもなく。
騎兵隊が背後から長槍で突き刺さんとしたその時。
ゴルトーの視界を黒い影が一瞬
周囲を必死で見渡すと、紅い刀を携えた少女の横顔が目に止まる。
その瞬間、双眼鏡で観察を続けていたゴルトーの方角へ、不意に少女が振り返り微笑んで見せたではないか。
「な!?」
思わずゴルトーは双眼鏡から目を離して身を反らした。
偶然か否かは不明ながら、少女の閉じた
「あり得ん……これ程の距離だぞ……」
双眼鏡を使わねば視認できない位置から視線を感じ取る。盲目故の超感覚とも言うべき少女の能力に、さしものゴルトーも戦慄した。
その時、西側を見張らせていた物見から報告が上がる。
「閣下! 西へ出撃した戦車が襲撃されています!」
「他にも手練れがいたのか!」
急ぎ視線を西へ向けると、今まさにユニコーンに騎乗した騎士達が戦車を囲んでいるところであった。
正面から突進した一騎が瞬時に軍馬の首を刎ねたかと思うと、慣性で走り抜ける戦車を踏み台にして跳び越える。
同時に左右から挟み込んでいた騎士達が槍を投げ、各車輪の隙間に食い込ませて、無理やり戦車を止めて見せたではないか。
動きの止まった戦車など、単なる的でしかない。
窓から多数の剣と槍を突き入れられ、戦車は乗員達の棺と化した。
「ちっ……西部で暴れたと言う一角騎士団か!」
白き風となって戦場を駆け始めた一角騎士団は、重装騎馬隊と互角に渡り合い、足止めに成功していた。
これではいずれ西側の指揮系統も回復してしまうだろう。何としても、早急に東側を壊滅に追い込まねばならない。
しかしあの少女がいる限り、兵を進めることは不可能だろう。
今しも紙切れのように斬り散らされている重装騎馬隊第二陣の惨状を確認し、ゴルトーは覚悟を決めた。
「第三陣の出撃は遅らせろ! おれが直接指揮を執る! 馬を出せ!」
物見台を飛び降り、控えていた伝令と近衛兵にそれぞれ指示を出す。
「閣下。危険では?」
クレベールが眉尻をわずかに下げ、ゴルトーへ声をかけた。
「ふ、こんな時になってようやく表情を崩してくれるとはな。何、心配はいらん。その顔を拝めただけで吉兆と言うものだ」
「茶化さないで下さい」
意識したのだろう、すぐにいつも通りの無表情に戻ると、クレベールはゴルトーを非難した。
「では真面目に話そう。おれが見る限り、兵達ではあの悪魔は止められん。東部軍攻略に時間をかけられない以上、おれが直接奴の首を取るしか選択肢はあるまい」
「ですが……」
クレベールは反論の言葉が続かなかった。
ゴルトーは武力を頼みに出世を重ねた、名実共に第4軍最強の将であることは周知の事実であるからだ。
数で圧殺できなければ、質で勝負するしかない。
理解はできるが、承服しかねるというクレベールの態度に、ゴルトーは兜をかぶりながらジョークを飛ばす。
「まあ見ていろ。あんな小娘すぐにでも打ち負かし、少佐の喜ぶ顔を拝みに戻って来るとも」
そして近衛兵が連れて来た軍馬に颯爽と乗り込むと、クレベールを見下ろした。
「では本陣の指揮は任せる。お前達、少佐を頼むぞ」
『は!』
「……閣下。ご武運を」
クレベールと近衛隊の敬礼を背に受け、得物を手にしたゴルトーは重装騎馬兵第三陣を伴って出撃した。
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