五十七 猛る将

「はてさて。隊列の中央にいたお陰で、すっかり後れを取ってしまいましたね」


 前線に出るなり、瞬く間に戦車と重装騎兵隊を殲滅した紅は、次なる獲物を求めて戦場を歩んでいた。


 公国東軍に突撃してきた帝国兵は全て斬り捨て、立て直しまでの時間は十分に稼いだ。


 となれば当初の予定通り、敵本陣へ向かうべきであろう。


 先程視線を感じた方角がそうだろうと見当を付け、足を向けたところに、複数の馬の足音が響いて来るのが聞こえた。


「そちらから来て頂けるとは好都合。ありがたいことです」


 舌なめずりをしつつ向かってゆく内に、指揮官と思しき声が散開を命じ、紅を迂回して後方へ走り抜けようとする気配がした。


「私を無視してもらっては困りますね」


 すぐさま脇を抜けた馬を追い、片翼の一団を即座に肉片へと変える紅。


「さて、もう一つ」


 振り返って逆方向へ駆け出そうとした瞬間のことであった。


 紅はその場で留まり、わずかに半歩身を反らす。


 すると紅の身体すれすれを長大な槍が通り過ぎ、地面に大きな穴を穿った。


 どうやら馬の跳躍を利用した大振りの一撃だったらしい。

 紅ですら、刹那足を取られる程の衝撃が伝わった。


 それでも瞬時に態勢を立て直した紅は、馬ごと槍の主を切断するべく斬撃を繰り出す。


 しかし手応えは馬のものだけで、人を斬った感触はなかった。刀に触れる刹那、馬の背を蹴って跳んでいたのだ。


 そう思い至った直後、再び勢いの乗った斬撃が天より降って来た。


 紅が紙一重で避けるや否や、地にめり込んだ槍が弾むようにして追尾する。

 そして続けて鋭い突きが連続で繰り出された。


「はて。この大陸へ渡ってから、ここまで深く懐に入られたのは初めてですね」


 冷静に突きをかわしながらも、感慨深く呟く紅。


 上陸したベルンツァでの腕自慢との一騎打ちは、わざと踏み込ませたということもあり勘定に入れていない。


 それ以外は相手が攻撃する暇も与えずに全て切り捨てて来たのだ。


「それに、なかなか面白い武器をお持ちのようで」


 そう。相手の武器は槍に似ていたが、最初の一撃は間違いなく斬撃であり、今放っている突きにも風切り音が伴っている。

 穂先と並んで、分厚い刃が付いているものと推測できた。


「なるほど。槍斧そうふですか」

「ふん。見ずして武器の形状まで当てて見せるか。ひとまず見事と言っておこう」


 紅の予想に、攻撃の手を緩めないまま野太い声が応じた。


 そして解答とばかりに、突きだけだった攻撃の軌跡に横振りの斬撃が加わる。


 足音から察するに相当な重装備であろうに、それを感じさせない素早い攻撃の数々を、紅は微笑をもって避け続けた。


「おのれちょこまかと! 打ち合わんのか!」

「珍しい武器ですので、少々勉強させて頂こうかと思いまして」


 輝く笑顔を見せて、紅はより複雑となってゆく連撃を掻い潜る。


「馬鹿にしおって! 顔に似合わず憎たらしい奴め!」


 怒りからか大振りになったところを見逃さず、紅は一度後退し、相手の間合いからするりと抜け出した。


 そして微笑みながら重戦士へ語りかける。


「いいえ。正直に申しまして、感動しております。ようやく探し求めた遣い手と巡り合えたのですから」

「ほう。それはおれの実力を認めたということか。なかなか見る目があるな」

「はい。この大陸で出会った方々の中では随一です」

「それは光栄だが、生憎と貴様のお勉強とやらに付き合う程暇ではないのだ。さっさと公国軍を片付けなければならんので、な!」


 ひゅんひゅんと風を切って槍斧を回転させると、勢いを利用して一足で踏み込み、斬りかかる重戦士。


「ふふ。力強い斬り込みです。迂闊に手を出せば得物が折られてしまいそうですね」


 回転に次ぐ回転で次第に速度を増す暴風のような斬撃を前に、喜びを露わにする紅。


「ずいぶん悠長だが、ここで貴様を足止めしている間に我が重装騎兵隊が後方を食い荒らすぞ。おれはそれでも一向に構わんがな!」

「ああ。ご心配には及びません。どうぞご覧下さい」


 振り切られた槍斧の先端を蹴って距離を取ると、重装騎兵隊が突撃して行った先を指し示す紅。


 その方向には遊撃隊が待ち受けており、もちろん鹵獲した戦車も配置されていた。


「何! まさか……!」


 重戦士の攻勢が止み、その先を食い入るように見やる。


 距離はあったが、紅の耳にははっきり聞こえていた。


 戦車に乗り込んだ隊員が照準を合わせ、カティアが発射の号令を叫ぶのが。


 そして撃ち出された連弩の太い矢が、重装騎兵隊を次々貫いていく音と、その断末魔が。


 さしもの重装騎兵隊とは言え、連弩の威力には耐えられず、瞬く間に落馬してゆく。

 前方で倒れた味方があだとなり、失速した残りの騎兵隊に、公国軍の騎馬隊が襲い掛かる。

 速度の落ちた重装兵など良い的である。たちまち囲まれ、一人また一人と討ち取られて行った。


「ふふ。私の部下の皆様もなかなかのものでしょう?」


 紅は遊撃隊の働きに満足し、自慢気に笑みを浮かべる。


「……おおおのおおおれえええ!!」


 重戦士の雄叫びが戦場の喧噪をかき消し、紅に叩き付けられた。


「やはり貴様が全ての元凶か!! この悪魔めが! 貴様さえいなければ……!」


 だんと激しく地を蹴り付けて繰り出された突きを、紅は首を傾げてかわした。


「はて。弱者必滅はこの世の理。あなた方も公国を弱卒と侮り攻め込んだのでしょう? 反撃されたとて、何の文句が言えましょうか」

「余所者の貴様に! 何が分かると言うのだ!」


 続けざまに放たれる連撃は、どれも急所を正確に狙っていたが、紅には一つとしてかすりもせず。


「ふふ。怒りによって、また一段速くなりましたね。部下を失えば怒るのですか? では先に本陣を落とした方が、もっと楽しい死合いになるでしょうか」


 紅の興味が駐屯地へ向いたのを察し、重戦士の怒りの気が膨張した。


「それだけはさせん!!」


 渾身の一撃が紅の胸元を捉えて突き破る。


「取った!!」


 快哉を叫ぶ重戦士だが、確かに穿ったはずの槍先に手応えはなく、紅の姿はぼやけて消えて行った。


 残像だったのだ。


 重戦士が気付くのと同時に、紅はその背後を取っていた。


「残心がなっていませんよ。それと、時間をかけ過ぎましたね。すっかり目が慣れてしまいました」


 一歩。


 最早興味を失ったとばかりに紅は踏み出す。


「ま、待て……」


 ばきん、と槍斧の先端が弾け飛んだ。


「残念ですが、これまでです。わずかでしたが、楽しい時間をありがとうございました」


 紅はくるりと振り返ると、重戦士の背中へ向けて優雅に一礼して見せた。


「待てと、言っている……」


 からからと、槍の握り手が輪切りになって地に落ちてゆく。


「ああ。そう言えば。本陣から様子を覗っていたのはあなたでしょう? 話しぶりからして大将首とお見受けしましたが、いかに?」

「そう、だ。おれこそが、帝国第4軍、司令官、ゴルトー、様だ……」

「そのお名前、しばらくは覚えておきましょう。ではこれにて失礼致します。まだ本陣の掃除が残っておりますので」

「待、て。おれの首を、獲って、終いだろう……?」


 槍斧を握っていた片腕がぼとりと落ち、鮮血が噴き出した。


「どなたかも仰っておりましたね。敢えて何度でも答えましょう。戦はどちらかが全滅するまで終わらないのですよ」

「この、悪魔、め……!」


 ゴルトーは振り向いて紅に殴り掛かろうとしたが、身を捻った拍子に身体がばらばらと崩れて行く。


「これでは……少佐の、笑顔が……見れ……ん……」


 首に残った最後の酸素で儚く呟くと、紅を睨み付けたままこと切れた。


 帝国第4軍、猛将ゴルトー少将の壮絶な最期であった。


「大将自ら前線に出張るとは、天晴でした。皆様に見習って頂きたい勇猛さです」


 紅はその死に様を見届けると、改めて帝国駐屯地へと向き直る。


「さて。それでは刈り取りに向かいましょうか。遊びが過ぎたせいで、待たせてしまいましたね、くれない


 ゴルトーの筋は悪くはなかったが、それでも刃を交わし合える程の実力ではなかった。珍しい武器を使っていなければ、即座に斬り捨てていただろう。

 戦い足りない分は、やはり数で補うしかない。


 将を失った帝国第4軍へ引導を渡すべく、紅は歩を進め始めた。

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