四十六 片鱗

 紅の行く先に溢れる帝国兵の反応は様々だったが、辿る末路は全て同じものであった。


 姿を見るなり逃げ出す者。

 果敢にも挑みかかる者。

 必死に兵へ指示を飛ばす者。


 そのことごとくを平等に切り刻んで沈黙させてゆく紅。


 天幕や資材の物陰に隠れてやり過ごそうとする者の息遣いすら察知し、建物ごと寸断しては血飛沫を上げさせる。


 今の紅は、いつも以上に一兵たりとも逃すまいとの意欲に満ちていた。


 何しろエウロア大陸に渡ってよりこれまで、一度も強者と呼べる者と出会っていないのだ。

 大軍とまみえたかと思えば、弱卒ばかりですぐ逃げようとする始末。


 師は大陸には猛者がいると豪語していたが、これならば和国の軍の方がよほど精強であったと思わざるを得ない。


 正直に言って、紅は欲求不満であった。

 せめて数を狩らねば気が済まない。


「刀は使い込まねば錆びてしまうと言いますのに。ままならないものです」


 珍しく顔に不満を浮かべて不平を漏らす紅。


 その憂さ晴らしに斬殺される帝国兵は、もはや憐れと言う他なかった。


 斬られた誰もが己の死を認識できず、悲鳴すら上げずに絶命していくのが、辛うじて救いと呼べるだろうか。


 首が舞い、四肢が乱れ飛び、鮮血が跳ねる。


 短時間で帝国分隊を半壊させた紅は、一しきり暴れてすっきりしたのか、常の淡い笑みを取り戻していた。


「やはり相手取るのは大軍に限ります。多数を薙ぎ払うのは爽快ですね、くれない


 紅の語り掛けに応じるように、切れ味鋭い斬撃を走らせる紅い刀。


 容赦のない進撃を続ける内に、紅は野営地北の炊事場と思われる広場に足を踏み込んでいた。


 そこへ破れかぶれに突撃してきた歩兵隊を一刀の元に肉塊へ変えると、奥の将官用らしき大きな天幕から、言い争いが漏れて来るのを紅の耳は捉えた。


 周囲は統制を欠いた兵の悲鳴や怒号が飛び交っているが、紅の聴力ならば好きな音声を拾うことなど造作もない。


 人垣を斬り払う手は止めずに、注意を引いた会話に耳を澄ませる紅。


「……ですから、兵はどうするのです! 撤退命令も出さずに自分だけ逃げ出すのですか!」

「言葉を慎め中尉! 逃げるのではない! 戦略的後退だ!」

「同じことですよ! まだ戦っている兵がいるのですから、指揮官としての仕事をなさって下さい!」

「馬鹿者が! 私が死ねばそれこそ終いなのだぞ!? 兵が奴を食い止めている間に退去し、増援と合流して立て直す! これも立派な戦略だろうが!」

「しかし!」

「くどいわ!」


 部下を殴ったのだろう打撃音によって会話は終了し、天幕の裏から馬のいななきが響いてきた。


「なるほど。兵を囮に逃げる上官ですか。ずいぶんとご立派なことで」


 失望の表情を浮かべた紅の脳裏で、昨晩のユーゴーの醜態が重なり途端に機嫌が悪くなる。


 紅が最も嫌う行為は、将による敵前逃亡だった。


「ゆっくりお相手しようかと思いましたが、気が変わりました。大将首を逃すつもりもありませんし」


 広場で待ち構えていた一部の勇気ある兵らを一瞬で斬滅すると、紅は馬が駆けて行った方角へ狙いを定める。


「少々、不愉快です」


 笑みを消した紅が平坦な声で呟くと、代わりに周囲の景色が歪むほどの闘気がその身から噴き出し、それを見ただけで逃げ遅れた帝国兵が次々と腰を抜かしてへたり込んだ。


「な、何だあれは……」

「これ以上何をしようってんだよ……」


 絶望に満ちた兵の声がぽつぽつと上がる中、紅はゆっくりと納刀すると、腰を落として居合の型を取る。


「臆病者。地に還るべし」


 そして凛とした声で一言告げると、ひゅっと短い呼吸と共に不可視の斬撃を繰り出した。


 一瞬の静寂。


 すでに音もなく納刀し、背筋を伸ばした紅の目前の地面がばくりと割れ、凄まじい勢いで一直線にひびが走ってゆく。


 次いで、腹に響く轟音と共に周囲を驚異的な揺れと暴風が襲い、地面のひびがこじ開けられるように広がって行ったではないか。


 揺れと風が収まると、広場はもちろん、正面の天幕も跡形なく消し飛び、露わとなった地平の先まで届くかと思わせる、長大な地割れが大地を引き裂いていた。


 紅の振り抜いた斬撃が強大な衝撃波を生み、地を容赦なく抉り取った結果であった。


「地面を……斬りやがった……?」

「に……人間技じゃねえ……」

「悪魔……悪魔だ!」

「敵う訳がねえ! 逃げろ!」


 大地の裂け目を見て怯え、這いつくばって逃げ出そうとする兵らを一瞥し、紅は微笑みを取り戻して呟いた。


「ふふ。その呼び名も大分慣れてきました。ああ。もちろん皆様逃がしはしませんよ」


 その宣言通り、ものの数秒で残存兵を全滅させると、地割れの彼方へ目を向ける紅。


「さて。先程の方の生死を確認がてら、そのまま増援も叩いてしまいましょうか」


 逃げた指揮官の死亡は確信していたが、ついでとばかりに増援に狙いを定め、紅は舌なめずりをして崩壊した野営地を後にした。

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