四十五 強襲

 ルバルト平野に集結しつつある帝国分隊の野営地は、ベイル砦から徒歩で二日はかかる位置にあったが、紅の健脚は陽が中天に昇り切る前にその距離を踏破していた。


 平野を高速で走り抜けながらも、大人数の気配と喧噪を感じ取った紅は進路をそちらに向けて一人ごちる。


「さて。此度はどのような戦になるでしょうか。楽しみですね、くれない


 腰の刀に微笑みかけながら急停止すると、そこはすでに帝国の野営地の目前であった。

 設営の真っ最中らしく、つちを振るう音があちらこちらから響いて来る。


「……うお!? 何だ? 誰だ!?」


 囲いの杭を打つ作業を行っていた兵士が、突如姿を現した少女に目を白黒させた。


 その叫び声に、作業の手を止めた周囲の兵も寄って来る。


「どうした。敵襲か?」

「いや、何が何だか……顔を上げたらいきなり美少女がいて……」

「む、民間人か? 見張りは何をやっていた?」


 物見台へ叱責が飛ぶが、見張り兵も首を捻るばかり。


「誰も通った形跡はありませんでしたよ。なあ?」

「ええ。少なくとも上からは何も確認しておりません」

「ふむ。どうやら盲目のようだが……まあ経緯はこの際問わん。お嬢さん、ここは帝国軍の管轄となった。戦に巻き込まれたくなければ、来た道を引き返すんだな」


 ざわめきが広がる中で、隊長格らしき男が紅に近寄り退去を促した。


「これはこれは。ご親切にありがとうございます。確認する手間が省けました」


 紅は丁寧に一礼すると、満面の笑みを兵士達に向ける。


「な、何の話だ……?」


 その眩い美貌に意識を奪われそうになるも、ぐっとこらえて聞き返す隊長格の男。


「この度は、皆様のお命を頂戴しに参りました。お覚悟なさいませ」


 次の瞬間、紅を視認した兵らの身がこま切れとなり、物見台や囲いががらがらと崩れ去った。


「て、敵襲ー!」


 離れた物見台から、その様子を目撃した見張りの叫び声が野営地に木霊すると、辺りは一瞬で騒然となった。


「いつの間に接近された!?」

「敵軍はどこだ!」


 恐慌に陥る兵らを他所に、紅はゆったりとした歩調で野営地に入り込んでいく。


「そ、そいつだ! その少女が──」


 見張りが紅を指差して尚も叫ぼうとすると、物見台ごと真っ二つに両断されて左右に別れて地に落ちた。


「人を指差してそいつ、とは失礼ですね」


 紅から物見台まではかなりの距離があったにも関わらず、帝国兵にはどのようにして手を下したのかまったく見当も付かなかった。


 ただ一点。この黒衣の少女が敵であるということだけが、ようやく認識できた。


「一人で乗り込んで来るとは舐めやがって!」

「囲んでとっ捕まえろ!」


 鼻息荒く隊伍を組んで迫る帝国兵だが、手にした武器を振るう以前、紅に近寄ることもできずに切り刻まれてゆく。


 紅が歩んだ跡には、人も建造物も区別なくばらばらに散って行き、ものの数分も経たずに野営地の一角は肉片の散らばる廃墟と化した。


「何て奴だ! 攻撃が全く見えん……!」

「待てよ……盲目に和装の少女……」

「まさか、あれがベルンツァの悪魔か!?」


 紅の神業に尻込みし、遠巻きにしていた兵士の間から悲鳴が上がり始める。


「ふふ。そうも呼ばれているようですね。さあ、この首を討ち取ればお手柄間違いなしですよ。遠慮せずにかかっておいでませ」


 紅は微笑みながら手招きするも、向かって行く兵は皆無であった。


「はてさて。名が広まってしまうというのも考えものですね。向かってきてくれた方が楽なのですが」


ふうと溜め息一つつくと、すねたように愛らしく唇を尖らせた。


「仕方ありません。そちらが来ないのであれば、こちらから参りましょうか」


 言うが早いか紅の姿がその場から消え去ると、固まった兵らの首が一斉に宙に舞う。


 それを見た兵は絶叫を上げて更に後退してゆく。


「貴様ら何をしている! 何故手を出さん!」


 指揮官らしき男が怒号を飛ばすと、兵らの恐慌がわずかに治まった。


「死にたくなければ陣形を崩すな! 槍で牽制し囲い込め! 敵は一人だぞ!」


 それは的確な指示ではあったが、常人相手の発想であった。何しろ、その囲む相手の姿が捉えられないのだから。


「ふふ。指揮官首、しかと頂きました」


 いつの間にか、指示を飛ばしていた男の背後を取った紅がくすりと笑うと、派手に首が飛んで血の花を咲かせる。

 そして返り血を浴びる前に、再び紅は姿を消していた。


「大尉がやられた! 逃げろお!!」


 上官が討たれたことで再び陣形が乱れ、右往左往する兵達を紅の凶刃が一方的に抉り取ってゆく。


 天幕の密集した野営地では、思うように逃走経路が確保できないことも帝国軍にとっては致命的だった。


 自然、出入口に皆が殺到するが、それを見逃す紅ではない。逃げようとする者から次々と斬り捨てて行った。


 そうして野営地の半分ほど、南側を制圧した頃。


 残る北側にて大きな気配が動くのを紅は察知した。


「はてさて。大将首のお出ましでしょうか。楽しくなってきましたね、くれない


 血に濡れた紅い刀身に頬擦りしつつ、紅は軽快に歩みを進めた。

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