四十七 不運

「くそ! 何だったのだ今のは!」


 帝国第4軍駐屯地から増援の兵5千を連れて移動中だったシャーレス少佐は、怒りを露わにして馬車の荷台を殴りつけた。


 目的地であるルバルト平野の野営地の方角より、突如凄まじい暴風が吹きつけたと思った瞬間、隊列の左翼を掠めて切り崩して行ったのだ。


 後には大地に刻まれた巨大な爪痕が残るのみで、結局正体は不明のまま。

 直撃を受けた兵達はばらばらとなった死骸を地面に晒すか、底の見えない奈落に落ちて行き、彼らの生存は絶望的であった。


「被害状況報せ!」

「は! 現時点で1班から3班までの消失を確認! 被害は千名近くに上ると思われます!」

「二割を持って行かれただと……!?」


 情報をまとめた側近の報告を受け、シャーレスはくらりと眩暈に襲われた。


「ゴルトー少将より預かった兵を、このような訳のわからぬ形で失ってしまうとは……どう申し開きをしたらよいものか……!」

「この土地特有の異常気象だったのでしょうか……?」


 側近が遠慮がちに呟くも、シャーレスは即否定した。


「そんなものがあってたまるか! そもそもこの付近には大規模な農場があったはず。あのような現象が存在していては、安定して運営などできまい」

「確かに……失礼しました」


 シャーレスは頭を下げる側近に手を振って制すと、大きくため息を付いた。


「いや、よい。無理にでも何らかの理屈を付けねば納得しかねるからな。しかし忌々しいが、このまま道草を食っている訳にも行かん。先行隊の大佐が首を長くしてお待ちだろうしな。原因の究明は諦め、無事な者の点呼が済み次第、行軍を再開させよ」

「了解しました」


 側近が全体に指示を出しに行き、一人になったシャーレスは再び深く息を吐いた。


「まったく、不運にも程がある。これから大規模作戦も控えているというのに、何と言う幸先の悪さだ」


 大地の割れ目を睨み付け、切り風の吹いてきた方向へつつっと視線を滑らせたシャーレスは、ふとある考えが頭に浮かんだ。


「待てよ……野営地は無事なのか……?」


 割れ目の延長上にあるはずの目的地の存在に思い当たり、シャーレスは慌てて馬車の屋根に飛び乗って自ら双眼鏡を覗き込んだ。


 ここから野営地までの距離は残り一日といったところ。双眼鏡をもってすらそうそう全容が見えるものではなかろうが、異常があれば何かしらの痕跡が伺えるかも知れぬ。


 焦燥に駆られて双眼鏡を握ったシャーレスだったが、その結果、悪い予感は的中した。


 彼方の野営地と思われる位置から、黒煙が多数立ち昇っているのが見えたのだ。


 今は昼時ではあるが、炊事の煙にしては明らかに異常な量であり、何らかの非常事態が起こったと思わせるには十分な視覚情報であった。


「──総員警戒態勢にて待機! 斥候隊は野営地へ先行偵察に向かえ!」


 シャーレスの命令が場に響き渡るのと、次なる異変が起こったのはほぼ同時であった。


 部隊前方で出発の準備を始めた斥候隊付近に、いつの間にか黒衣を着た世にも美しい少女が立っていたのだ。


「もし。つかぬことをお伺い致します。あなた方は帝国軍とお見受け致しましたが、いかに?」


 凛と通る涼やかにして可憐な声が、兵のざわめきをすり抜けて部隊中央付近にいるシャーレスの元までも届いた。


「ありがとうございます。それでは、お命頂戴つかまつります」


 それに応答したのだろう斥候隊へ少女が一礼を返すと、前方に配置していた兵の首が数十、一斉に宙へ舞い飛んだではないか。


「くっ、総員戦闘態勢へ移行! 散開して包囲せよ!」


 驚愕に襲われつつも指揮官の任務を放棄せず、反射的に命を下すシャーレス。

 伊達に長く前線を担っている第4軍の将官ではなかった。


 兵らも警戒命令を受けた矢先のことで動揺が見られたが、よく訓練されているようで、命令に即応して散開を開始した。


「少佐殿! あれはまさか!」

「ああ、恐らく奴だ! だがそれ以上は言うな。兵の士気に関わる」


 慌てて戻って来た側近に頷き返しながら、シャーレスはそれ以上の発言を禁じた。


 少女の付近の兵が前触れもなく瞬時に斬り飛ばされてゆくのを見て、噂以上の化け物だと瞬時に悟ったのだ。


 すでにベルンツァの悪魔という名が、兵の間で禁忌の存在になりつつあることをシャーレスは理解していた。

 もし誰かがその名に行きつき口にすれば、即刻部隊が恐慌状態に陥るだろうとの予想が付いた。


「少佐殿は後方へ! 接敵してしまった以上、を出し惜しみする理由はありますまい!」

「分かった、ここの指揮は任せる!」


 だからこそ、急ぎ対処せねばならない。

 シャーレスは馬車を飛び降りると、後方へ向けて駆け始めた。


「まったく、よくよく不運とは重なるものだ!」


 そう吐き捨てる間にも少女による虐殺は加速していたが、自分が飛び出して行って止められるものではないと確信し、シャーレスは断腸の思いで決して振り返らなかった。

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