百六十二 仕切り直し
「なるほど。あのような大物を多数従えていると。あちら様はなかなかに戦力が充実しているようですね」
魚人軍を一掃して悠々と海面近くへ浮上した紅は、負傷者の処置や偵察などの手配を終えたテティスから、労いと共に海獣についての説明を受けていた。
「どのように躾けているのかは不明だがな。案外捕食者同士で気が合うのかも知れん。海蛇だけではなく、タコやイカ、サメ、クジラ、果ては海竜などというとんでもない化け物も稀に混じっている。深海で暮らすにあたり、巨大化することで水圧に耐え得るよう進化してきた連中だ。相応に頑丈な奴も多い。今回は小さな分隊だったせいか一匹しか連れていなかったが、複数をけしかけて来られるとかなり厄介だぞ。お前の強さは理解したつもりだが、一応気に留めておいてくれ」
「それはそれは。お相手するのが楽しみですね」
「何とも頼もしい言葉だな」
一片の恐れも見せずに笑う紅を見て、テティスはふっと表情を和らげる。
しかしそれも束の間。すぐに顔を曇らせてしまった。
「此度は本当にすまない。先に存在をきちんと伝えておくべきだった。そうすればあのような危険な目に遭わせることもなかったろうに……」
「いいえ。油断したのは私ですし、責めるつもりはありません。それに大蛇に食べられるなど、なかなかの貴重な経験でした」
うつむいて謝罪するテティスへ、紅はあっけらかんと返して微笑んだ。
「それだけで済ませてしまうとは、お前は器が大きいな。ともあれ、無事でいてくれてよかった」
ほうと息を吐いたテティスは、自分達の都合のためではなく、純粋に紅の身を案じた様子であった。
「ところで。あの肉は食べられるのでしょうか」
「……どこまでも肝が据わっているものだ」
そんなことには構わず、己が呑みこまれた大海蛇の巨大な
「腹を壊したくなければやめておけ。あれを好んで食べるのは魚人くらいだぞ」
「それは残念です。となると、魚人の方々は海獣を戦力として扱うと同時に、食用にもしているということですか。実に合理的ですね」
「人間とて、馬を同様に使役しているではないか。普段は騎乗し、非常時には食べると聞いたぞ」
妙な点に感じ入った紅は、テティスの指摘を受けて納得とばかりに手をぽんと打った。
「言われてみればそうですね。陸でも海でも、戦の本質はそう変わらないということでしょうか」
「かも知れないな」
互いに頷き合っているところへ、テティスの親衛隊の一人が近寄って報告を始める。
「姫様。負傷者の手当ては滞りなく進んでおります。しかし、想定以上に被害が大きい模様です」
兜に覆われその表情は読み取れないが、口にする声は暗く沈んでいた。
「追っ手に襲われていた分隊は半壊。本隊も死者と重傷者を合わせて、約3割が戦闘不能となりました」
「そうか……緊急事態だったとは言え、奴らと正面からぶつかったのは愚策だったな」
「あの場面では仕方ないかと。すぐに割り込んでいなければ、分隊は全滅していたでしょう」
意気消沈するテティスに、親衛隊が気遣う言葉をかける。
「おや。そう悪い話ばかりでもなさそうですね」
「……ああ。そのようだ」
ふと何かに気付いた紅が声をあげると、テティスも耳を澄まして表情を輝かせた。
赤と青の血肉で溢れる海の向こうから、多数の気配が漂って来たのだ。
「姫様! ご無事ですか!」
やがて波間を割って現れたのは、武装した人魚の群れだった。
散り散りに逃げたという人魚軍の一部に違いあるまい。
テティスの姿を見つけるなり、大挙して押し寄せて来た。
「この有り様は一体!?」
「もしやその者の仕業ですか!」
血肉が撒き散らされた合流地点の惨状に驚愕し、見知らぬ存在である紅へ一斉に武器を向ける分隊の人魚。
「落ち着け! 彼女は味方だ!」
危うく一悶着起こりそうになるも、テティスが慌てて制止して事なきを得た。
そして互いに再会を喜んだ後、分隊長の報告を受けると、彼らも逃亡中に追っ手の攻撃を受けたらしい。
運よく敵軍の規模が小さかったために撃退できたとのことだが、まったくの無事という訳には行かず、何割かは脱落してしまったと言う。
その後しばらくの間、続々と他の隊も集結し始める。
しかし追撃を免れた方が少数派であり、手負いの兵が目立った。
「この分では、途中で全滅した方々も多そうですね」
待機時間が長くなり、退屈を始めた紅が何気なく漏らす。
兵数が一万を超えた辺りから、合流する隊がぱったりと途絶えてしまったのだ。
正直なところ、人魚に道案内以上の期待をしていない紅にとって、その生死など興味の対象ではなかった。
しかし部下であり民でもある者達を案じていたテティスは、紅の遠慮のない言葉に沈痛な表情を浮かべる。
「どうやらこれ以上は見込めないか。思った以上に魚人の追撃が苛烈だったらしい……実に無念だ」
最期を看取れずに散って行った兵達へ黙祷を捧げ、テティスは意を決したように顔を上げた。
「仕方ない。十分な戦力とは言えないが、時間は有限だ。もしも生き残りが来た時のために伝令を置き、進軍を開始する」
「待ちかねました」
テティスの苦渋の決断に、紅はぱっと顔を輝かせた。
「しかし兵の消耗も激しい。まずはある程度立て直さなければ。とは言え休むにしても、小舟の上や水中ではお前がゆっくりできまい。この先、我が国へ向かう途中に小さな無人島がある。そこなら火も使えるし、陸の食料も調達できるだろう。もうじき日も沈む。今日はそちらで野営し、本格的な作戦は明日からとしよう」
「道理ですね。ちょうど小腹も空きましたし」
紅が同意したことで、テティスは全軍へただちに指示を飛ばす。
かくして数を増した人魚軍は、外洋の南下を再開した。
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