三十八 接触

 遊撃隊は次なる任地へ向かうため、細い山道を行軍していた。


 王都からは馬で出発したものの、目的地の砦は起伏の激しい山中を通る。

 そのため途中の駐屯地へ馬を預け、徒歩に切り替えたのだ。


 ワーレン要塞の東西は豊かな山野が広がっているが、砦を例外として、人の手はほとんど入っていない。


 平時には関所として機能するワーレン要塞を経由し、ロウカ渓谷の街道を通行すれば良いために、山道を整備する必要がないのだ。


 そして戦時下においては、各砦同士の間を塞ぐ天然の迷路として利用される。公国軍が測量した正確な地図が無ければ、通り抜けることも困難な密林が大軍の行く手を阻む。

 攻め手の帝国側から見れば、ウォール森林と並んで厄介な地形であった。




「……以上のことから、公国は林業があまり盛んではないのです」


 きつい斜面を登りながら、カティアが紅に講義をしていた。


 今回は無茶な行軍をしないよう遊撃隊全員で頼み込んだため、紅は皆と歩調を合わせている。


 その代わりに、再びカティアに地域の解説を求めたのだ。


 ウォール森林の時より余裕があるため、カティアは進みながらでも授業をすることができた。


 アトレットは他の斥候と共に先行しており不参加。

 そのため茶化す存在がおらず、カティアは気分よく紅に知識を披露していく。


「建築等に使う木材や石材は、王都近郊の山林で十分まかなえます。そもそも公国は山岳より平野の割合が多く、農業や牧畜が主産業なこともあり、森の恵みに頼る必要が少ない点も理由の一つと言えましょうか。もちろんアトレットのような猟師もいますが、少数派ですね。それだけに、毛皮などはなかなか貴重です」


 いかにも優等生といったおもむきで、淀みなく説明をして見せるカティアに、紅は尊敬の念からほうと息を吐いた。


「カティアは物知りですね。私は自分の国ですら、そこまで多くを知り得ません」


 正確には、師の座学の内容は多岐に渡っていたが、戦に関する事柄以外はほとんど聞き流していたせいだった。


「いえ。私など本で得た知識だけで、経験が伴っていませんから、まだまだです。隊長のように国を出たこともありませんし」


 褒められたカティアはかすかに喜びを顔に出したが、自らを戒めるためか謙虚な答えを返す。


 そんな様も好ましいと紅は感じ入った。


 真面目さは美点だ。


 カティアの場合は度が過ぎるきらいもあるが、極めて勤勉で常識がある。


 アトレットや隊員の皆も、それぞれ癖はあっても良識のある人間達だと言って差支えないだろう。


 せめて自分の下にいる間は、くだらぬことで命を散らせたくはない。そう思う程度には、遊撃隊に愛着が湧きつつあった。


 孤高の人斬りであったかつての紅からすれば、随分と大きな変化だと言える。


 そんな己の心境を知ってか知らずか、紅はカティアの教授してくれた内容を反芻はんすうし、とある疑問に行き会った。


「そう言えば。先程のお話の中で、この辺りの森は公国軍の地図がなければ迷う、とのことでしたが」

「正しくは、地図があっても、ですね。高低差が激しく、とても入り組んだ地形なので。特定のルートでなければ通り抜けられない場所も多くあります。ウォール森林とは違って軍の敷地ですから、民間人の立ち入りも禁止されています。当然、現地の猟師などのガイドを雇うこともできません。そしてこの地図も砦の位置も、軍事機密ですので非公開のものです。作戦ごとにルートが指定され、任務終了後は速やかに燃やすよう厳命されています」


 そう言って手元の地図を掲げて見せるカティア。その紙面には、今回使う経路が赤いインクで示されていた。


「はて。それでは、帝国軍はどう目星をつけて仕掛けて来るつもりでしょうか」

「言われてみれば確かに……麓の砦はともかく、山中では難儀するでしょうね」

「……流石に力技で森を伐採して進もうってんじゃあないですよねえ」


 話を聞いていたのか、すぐ後ろを歩いていた隊員が冗談半分に言って来る。


「もしかして竜騎士が燃やしに来るんじゃねえか」

「俺らがやったことのお返しかよ? そうだったらやばいな」

「兵の数に物を言わせて、山狩りでもするんじゃねえの?」


 紅の投げた波紋が、隊員達の間にざわめきとなって広がってゆく。


 様々な憶測が飛び交うが、どれも紅にはしっくり来なかった。


 そこでふと浮かんだ可能性を口に出してみる。


「もしや、地図が帝国に漏れたという可能性は?」

「まさか……」


 カティアがあり得ない、と言いかけるも途中で止める。


 実際にベルンツァで守備隊に密偵が潜り込んでいたのだ。

 王都にもいないとは断言できまい。


「では、後ろにいる方々に聞いてみましょう」

「後ろ……って!?」


 言うが早いか、紅は跳躍して木の枝に飛び乗ると、猿のような速さで枝を伝い後方への道を引き返した。


 そして隊の最後尾から程よく離れた木の影に、面食らって慌てふためく黒ずくめの三人の人物を捕捉する。


「少々お尋ねします」


 尋問をするのは一人で十分。

 着地と同時に不要な二人の首を刎ね、残る一人に刃を突き付ける紅。


「あなたは帝国の密偵ですね。何の御用でしょうか」

「ぐ……!」


 何故尾行が露見したのかという疑問を抑え付け、男が沈黙する。

 その仕種こそが、訓練された密偵であることを雄弁に物語っていた。


「隊長! どうしたのですか!?」


 そこへ遅れてカティア以下遊撃隊が駆け付けて来る。


 紅がそちらへわずかに気を向けた隙をついて、覆面に黒ずくめの男は背後に飛び退き草むらに紛れて逃げ出した。


「野郎、逃げやがった!」

「とっ捕まえろ!」

「いえ、追うのは後です。まずはそこの死体を検めて下さい」


 紅が指示を出すと、隊員らが素早く死体をまさぐった。


「身分証などは見当たりませんが、これは!」

「周辺地図がありました!」

「やはりそうですか」


 納刀した紅が軽く息を吐いた。


「隊長、これはどういうことですか!?」

「山に入ってからずっとつけられていたので、意図が読めるまで泳がせていたのです。斬るだけならいつでもできますから」


 詰め寄るカティアに紅はあっさりと告げる。


「しかしこれではっきりしました。地図の流出は確定。我等を尾行し、正規の道筋を調べようとしたのでしょう」

「利用されたなんて……もしや北の帝国軍の動きは、増援を誘うための陽動!?」

「断言はまだできませんが。今回の作戦は、麓の砦に兵力を集中させて帝国軍を迎え撃つものでしたね。その裏をかき、手薄となった山中の砦を少数精鋭で攻める可能性も出て来ました」


 そこまで言うと、紅は男が逃げ去った草むらへ向き直った。


「私は先程の方を追います。上手くすれば彼らの本隊へ連れて行って下さるでしょう」

「ああ、そのためにわざと逃がしたんですか」


 見逃した隊員が納得の表情を浮かべると、紅は微笑みながら頷いた。


「はい。逃げる間際に手傷を負わせました。血の匂いを辿って行けば、すぐに追い付けます」

「隊長お一人でですか?」

「追跡するには身軽な方がやりやすいですから。皆様は急ぎ目的地へ向かい、この件を報告して警戒を促して下さい。方角は覚えておりますので、後で合流致します」

「……了解しました。どうかお気を付けて……!!」


 カティアが緊迫した表情で敬礼を取ると、隊員達もそれに倣った。


「それでは行って参ります」


 隊員を安心させるべく華やかな笑みを見せると、紅は木陰に飛び込み追跡を始めた。

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