六十二 無色の火種

 帝国第4軍近衛兵に半ば拉致されるようにして護送されたクレベール少佐は、途中増援部隊と合流し、無事に後方のグルーフ要塞まで辿り着いていた。


 グルーフ要塞は元々公国の北の守りを担っていたものだが、戦争初期に第4軍によって落とされて以降は、帝国軍の南方戦線における補給基地として機能していた。


 現在は帝国第6軍が駐屯しており、防衛と補給任務に当たっている。

 彼らの後方支援がなければ、さしもの第4軍も長期に渡る侵攻を行うことはできず、前線を支える重要拠点であると言えた。


 しかしそれも先日までの話。

 クレベールが撤退してきたことで第4軍壊滅の噂が兵達の間にすぐさま広がり、次はここが標的になるものかと、第6軍はにわかに不穏な空気に包まれていた。




「……なるほど。それで第4軍を置いて、おめおめと撤退してきた訳か」


 鷹のように鋭い眼つきをした壮年の男が、執務机に座したまま、直立不動のクレベールを視線で射抜いた。


 第6軍司令官であり、グルーフ要塞の責任者、ガスコール中将に呼び出されたクレベールは、早速逃走の経緯について尋問を受けていた。


 ゴルトーの戦死、悪魔による戦線の崩壊、遅滞戦闘に移り後退するつもりであったことなど、クレベールは包み隠さず報告し、ガスコールが吐いた言葉も甘んじて受け入れた。


「我々が無理やり少佐殿をお連れしたのです! 懲罰は我々が受けますので、どうか少佐殿には寛大な措置をたまわりたく存じます!」

「少佐殿は我が帝国軍に必要な存在と判断した故の行動でした! 何卒御慈悲を……!」

「お静かに。閣下の御前です」


 随伴していた近衛隊が競って罰を肩代わりしようと躍起になるが、クレベールの冷たい視線を受けて沈黙した。


「どのように言い繕おうと、兵を残して敵前逃亡したのは事実です。いかようにも処罰を受ける所存です」


 クレベールは毅然とした態度を崩さず、ガスコールの圧力を正面から受け止めた。


「……話にならんな」


 しかしガスコールは瞑目すると、椅子の背もたれに体重を預けた。


「何か勘違いしているようだが、貴官らの処遇など今はどうでもよい。それより差し迫っているものが他にあるだろう」


 ガスコールは一つ嘆息し、改めて視線をクレベールへ向ける。


「第4軍の残存兵を率いたのはハリス大尉と言ったか。物見からは一人も後退してきた兵の報告は入っていない。恐らく全滅したな」

「……はい」

「これで晴れてルバルト平野は奪還され、我がグルーフ要塞が戦の矢面に立たされることになった訳だ。だが奇しくも、貴官らの機転のお陰で、増援部隊は無傷で帰還が叶った。それを加え、現在我が第6軍は12万の兵力を有している。対して公国軍は長期の防衛で疲弊しきっているはず。その状態で要塞攻めなど愚の骨頂。まずは兵を休養させてから、再編に取り掛かることだろう。よって今すぐ攻め込まれるということはあるまい」


 皮肉を交えつつも、的確な見解を述べていくガスコールにクレベールは密かに息を呑んだ。


 補給線の構築や物資の輸送は、前線の要請を受けてから動けばいいというものではない。戦況を読み解き、先手を打って動くための戦略眼も必要とされる。

 ガスコールは前線にこそ立たなくとも、伊達に長く補給部隊の責任者に就いている訳ではないのだ。


「ご慧眼、恐れ入ります」

「世辞はいらん」


 クレベールは心からの賛辞を送ったが、ガスコールには一蹴された。


「それより今欲しいのは生きた情報だ。かの悪魔と戦った部隊の、数少ない生き残りである貴官らに問う。悪魔を伴って公国軍が攻めて来た場合、我等は勝てるか?」


 現実主義なガスコールらしい率直な問いに、クレベールも思ったままを口にした。


「恐らく、無理でしょう」

「根拠は?」

「ゴルトー少将の実力は閣下もご存知のはず。その少将でさえ、かの悪魔に一太刀も浴びせられずに討ち取られたのです。しかし数で圧倒しようとしても、並の兵では包囲すらままなりません。単純に、あの悪魔に勝てる駒が無いのです」


 ゴルトーが無残に斬り刻まれた映像がクレベールの頭を過ぎるが、ぐっと堪えて無表情を保つ。


「……うむ。実に明快な回答だ。では更に問おう。我々に残された猶予で、奴に抗うために出来ることはあるか?」


 最も欲しいであろう答えを、ガスコールは目を細めて口にした。


「参謀本部へ掛け合い、竜騎士の派遣を要請するのが最良と思われます」


 これ以上半端な兵をぶつけて失うのは愚策である。

 悪魔の強さの上限が読めない以上は、帝国最強の駒をぶつけるしかないのではないかとの思いがクレベールの胸中を満たしていた。


「そこまでせねばならんか。ベルンツァの悪魔、恐るべし」


 クレベールの意が伝わったものか、ガスコールは大きく頷いて書面をしたため始めた。


「貴官の意見を採用する。至急参謀本部へ具申しよう」

「ありがとうございます」

「それと貴官の処遇だが、二つ用意できる。本国へ戻り、直接参謀本部へ判断を仰ぐか。このまま我が第6軍に移籍し、共に戦うかだ」


 二つ目に関しては、ゴルトーの仇討ちの機会を与えようというガスコールなりの配慮なのであろう。

 実際の悪魔の目撃者として意見を求める打算もあるのだろうが、それを抜きにしてもありがたい選択肢であった。


 このように不愛想な自分を、ゴルトーは信頼し、重用してくれた。その恩義は計り知れないものがある。

 同じく慕ってくれた部下達の仇も討たねばならない。


「移籍を希望致します。悪魔に一矢報いねば、少将に顔向けできませんので」


 クレベールは冷徹な瞳の奥に、確かな復讐の炎を宿して即決していた。

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